延長戦 第21戦:藤と雷~ないものねだりのディスタンス(前編)

 とある長閑な昼下がり――……。


 その静寂は突如室内に鳴り響いた、ピンポーンという甲高いチャイムの音により壊された。


 リビングで寛いでいた牡丹達兄弟は、同時にこてんと首を傾げさせ。



「誰だろう? こんな中途半端な時間に」


「宅配便じゃないか? どうせまた親父が大量にお土産を送り付けて来たんだろう」



 そうに違いないと梅吉の意見に誰もが同意し、代表して牡丹が玄関先へと赴く。


 フライングとばかり判子を用意して扉を開ける牡丹だが、しかし。開かれたその先が目に入った瞬間、彼は摘まんでいた判子を思わず地面へと落としてしまう。


 それを拾うという行為すら、彼の頭の中からはすっかり吹き飛んでしまい。



「さ……、定光――っ!??」



 瞳を見開かせている牡丹とは裏腹、その人物――定光は、にこりと胡散臭い笑みを浮かばせ。






 暗転。






「で。なんでお前がウチに来るんだよ」

と、梅吉並びに兄弟達は瞳を細めさせ、悠長とした調子でカップに口を付けている定光を見つめる。


 彼はマイペースにも、紅茶を味わうのに夢中のようであり。



「おい。お前、留学したんじゃないのかよ? こんな中途半端な時期だ、学校は休みじゃないだろう?」



 梅吉が先程よりも棘の帯びた声を発すると、漸く定光はカップをテーブルの上へと戻し。一拍置かせてから。



「確かに留学はしたけど、ほら。入学式は、九月だから。だから正式には、学校はまだ始まっていないんだよね。引っ越し作業や環境に慣れる為に早目に移り住んだんだけど、落ち着いたから一時帰国したんだ」


「だからって、なんでウチに来るんだよ」


「そうは言われても。東京の方は、マスコミがうるさそうだから。これでも一応、元芸能人だからね。

 その点、この辺りは静かで彼等に追い回される心配もなさそうだから、暫くゆっくりしようと思ってね。

 それに、従兄弟の家に遊びに行くのに、特別な理由って必要なのかな?」



 淡々と問い掛ける定光に、梅吉を筆頭に兄弟達は揃って眉をぐにゃりと歪ませ。



「なにが“従兄弟”だよ。普通、従兄弟の家を買収したり、脅迫したりするかっての。そんな人間をそう簡単に信用できるか。

 一体なにが目的なんだ?」


「目的なんて、人聞きが悪いな。さっきも言ったけど、実家だとゆっくりできそうにないからで。でも……、」


「『でも』なんだよ?」


「でも、菊さんに会いに来たのも事実かな。何度手紙を送っても、菊さん、全然返事をくれないから。だから来ちゃった」



 にこりと堅苦しい笑みを添え。さらりと告げる定光に、その視線の先にいる菊の眉間には、次第に皺が寄っていく。


 それからじろりと瞳を細めさせる彼女に、定光は一切構うことなく。



「僕はまだ、君のことを諦めたつもりはないから。ご丁寧にも返してくれたウエディングドレスだけど、大切に保管してあるんだ。だから、いつでも式を挙げられるよ」



「どうかな」と、妖しい色を帯びた瞳を揺らし。問い掛ける定光に菊は、

「嫌」


 間髪入れることなく、きっぱりと。一ミリたりとも揺らぐことなくそう返す。



「そっか、それは残念だな。でも、暫くの間はお世話になるつもりだから。気が変わったら、いつでも言ってよ。直ぐに式の用意をさせるよ」



 やはり変わらぬ調子で告げる定光に、けれど、梅吉が間に割り込み。



「おい、世話になるって……。まさかお前、ウチに泊まるつもりかよ?」


「そうだけど、さっきも言ったじゃないか。暫くの間、ここでゆっくりするって」


「ちょっと待った! 勝手にそのつもりでいるようだが、俺達はお前のこと、まだ許した覚えはないんだけどなあ。

 栞告ちゃんとのクリスマスデート、よくも台無しにしやがって……! あの時の恨み、牡丹じゃないけど根に持っているんだからな!」



 ばしばしとテーブルを強く叩きながら、梅吉は声を荒げる。その振動を受け、かちゃかちゃとカップが小さいながらも甲高い音を奏でさせる。


 その音をおとなしく聴きながらも、定光は漸く僅かながらも困惑顔を浮かばせ。



「なんのことかよく分からないけど……。その時のお詫びとして、ウチが経営しているホテルのレストランの食事券をプレゼントするよ。料理は一流だし、最上階に位置しているから景色も最高だし、女の子ならきっと喜ぶんじゃないかな?」



「これで許してくれないかな?」と、ちらりと分厚い紙の束を定光が覗かせると、梅吉は彼の背中をばしばしと強めに叩き出し。



「なんだよ、なかなか話の分かる奴じゃないか。定光くん、好きなだけいたまえ」


「梅吉兄さんってば……。藤助兄さんじゃないんだから、そんな物に釣られないでよ」


「だってよう。こんな高級ホテルのレストランなんて、なかなか手が出せないぞ。たくさんあるから、ちゃんと牡丹にも分けてやるって。紅葉ちゃんを誘って行って来いよ。

 あっ、お兄ちゃんはいらないよな? どうせ豊島家の金で、いくらでも贅沢できるんだから。道松抜きで、みんなで分けようぜ」


「ちょっと、梅吉ってば。牡丹の言う通り、現金だよ。それに、そんな高価な物もらえないよ」


「その程度の物、気にしなくていいのに。宿泊代としてでも受けってよ。それとも、藤助くん。君にはこっちの方が良かったかな?」



 そう言って今度は洗剤やら柔軟剤やらの日用品詰め合わせセット取り出す定光に、藤助は目にした瞬間、燦爛と瞳を輝かせ。



「喜んで――っ!!」


「藤助、お前……。あの馬鹿と変わりないじゃないか」


「だってえ。丁度洗剤が切れる所だったし」


「藤助って高価過ぎる物や現金には興味が薄い癖に、物には滅法弱くて。本当、面倒臭いよなあ」



 がっしりと箱を抱き締め、決して離しそうにはない四男に、道松ならず梅吉までもが呆れ顔を浮かばせ。


 にこにこと不敵な笑みを浮かばせている定光を前に、牡丹は上手いこと彼に丸め込まれていると。なんだか面倒なことになりそうだと、特にまだなにも起こっていないにも関わらず。先走りとばかり、彼の口からは大きな溜息が吐き出されるのであった。

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