延長戦 第24戦:猪鹿蝶~静寂の中のクライマックス(前編)
とある住宅街の端っこにある、古風な喫茶店にて。
店内はもう直ぐ閉店時刻間際の為か人気はなく、一層と閑散とした空気で満ちており。
そんな室内に、不意に飄々とした声が上がり。
「それでは、マスター。お先に失礼します」
「ああ、今日もお疲れ様。あっ、そうだ。萩くんって、映画は好きかな?」
「映画ですか? ええ、まあ。暇な時に観に行ったりはしますが。
それがどうかしたんですか?」
「いや、映画のチケットをお得意さんからもらったんだけど、良かったらいらない? 学生向けの内容だろうし、僕の趣味ではなくてね」
そう言いながらマスターは、鑑賞券を二枚、萩へと差し出す。彼は礼を言いながらそれを受け取ると、じっとタイトルの文字を見つめる。
「映画か……」
(『僕の全てを君にあげよう』か。これって確か、女子の間で話題になっていた作品だよな。カップルで見たい映画ナンバーワンだとかなんとか。
……紅葉さん、好きそうだよな。それに、牡丹はこういう純愛映画は、絶対に観られないからな。もし紅葉さんを誘ったら、『きゃーっ! 実は私、この映画、前から観たかったんです。なのに、牡丹さんなんか、ちっとも誘ってくれなくて……。やっぱり萩さんの方が素敵だわ!』なんて思ってもらえる、絶好のチャンス――!)
己の妄想にも関わらず萩は思わずガッツポーズを取るも、その手は直ぐにも緩められ。
(けどなあ。紅葉さんには告白してふられているし。なのに、誘ったりしたら、しつこいと思われるだろうか……。)
チケットと睨めっこをすること、数十分。それでも考えが定まらずにいると、ふと機械的な音声が耳を掠め。
『そして、明日の運勢が一位なのは、蟹座のあなた! 気になる異性と急接近の予感! 少しくらい強引に攻めるのが吉!』
(『急接近』、『少しくらい強引に』か……。
よし――!)
テレビの星座占いの音声を背景に、萩は力強くチケットを握り締め。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
翌日の昼休み――……。
裏庭にて。萩は手の中に収まっているチケットを見つめていたが、意を決すると真っ直ぐにベンチへと向かって行き。
「紅葉さん。今度の日曜日、映画を観に行きませんか?」
ぐいと例のチケットを見せつけながら、萩はベンチに腰掛けていた女生徒――紅葉に問い掛ける。
すると、突然の誘いに彼女はきょとんと目を丸くさせ。
「えっと、映画ですか?」
「はい。実は、バイト先のマスターにチケットをもらったんです。『僕の全てを君にあげよう』という作品なんですけど、紅葉さん、好きそうだなと思ったので」
「どうですか?」と、更にずいと近付きながら。萩は再び問い掛ける。
しかし、問題の紅葉はちらちらと。隣に座っている牡丹の方に視線を向けるばかりであり。それに気付いた萩は、むすりと眉間に皺を寄せ。怒りの矛先をその先へ――、牡丹へと向けさせ。
「おい、牡丹。俺と紅葉さんが映画を観に行っても構わないよな? だってお前と紅葉さん、付き合ってはいないんだろう?」
にたりと嫌味たらしい笑みを添え。わざとらしく投げ掛ける萩に、牡丹も顔を顰めさせる。が、更に追い打ちを掛けるよう、萩の攻撃の手は休まることを知らず。
「なんだよ。それともお前が紅葉さんと観に行くか? それならこのチケットを譲ってやってもいいが……。でも、お子様の牡丹には、この映画は難しいと思うけどなあ」
「なっ……、誰がお子様だ!」
「なんだよ。恋愛映画の一本もまともに見られないんだ、充分お子様だろう?」
「うっ……。そ、それと子供かどうかは関係ないだろう。大体、男はこういうチャラチャラした映画は見ないんだよ!」
「はっ、なに言ってんだか。そういう所がお子様なんだよ」
ふんと鼻息荒く。萩は小馬鹿にした態度を取ると、紅葉へと向き直り。
「と言う訳で、紅葉さん。牡丹みたいなガキは放っておいて、観に行きましょう。そうですね、映画館で待ち合わせということで。来てくれるまで、俺、ずっと待っていますから」
口早にそう言い残すと、萩は颯爽とその場から去って行く。
ひゅう……と嵐が通り過ぎたみたいに、その場には静寂が訪れるものの。二人の間には明らかに先程までの色とは変わった空気が流れており。
そんな中、紅葉はゆっくりと桃色の唇を開かせていき。その隙間から、空気混じりながらも音を発し。
「あ、あの、牡丹さん。その……」
けれど、いつまで経っても、その先が紡がれることはなく。そのまま黙り込んでしまう紅葉を、牡丹はちらりと横目で眺め。
「せっかくだから、観てくれば? 紅葉、あの映画、前に観たいって言っていたじゃん」
半ば投げやりに告げる牡丹に、紅葉は一拍の間を置かせてから口角を上げさせていき。
「そうですね」
薄っすらと笑みを添え。そう答える紅葉を、牡丹はまたしても横目ばかりで見つめる。
が。
帰宅後、牡丹は自室のドアをやや乱暴に閉め。
「なんだよ、萩の奴。どうして紅葉を誘うんだよ。なにも紅葉でなくても、別にクラスの女子でもいいじゃないか」
(選りにも選って、どうして紅葉を……。)
疑問をそのままに、牡丹は床に鞄を適当に置くと、続いて自身の肢体をベッドへと投げ出す。それから、ポケットからスマホを取り出し。
(映画のタイトル、なんて言ったっけ。ええと、確か、『僕の全てを君に』とかなんとか……。っと、このページかな。
なに、なに。『胸キュン必須! 純愛ストーリー』だって? なんだよ、このキャッチフレーズは。あっ、動画がある……。)
牡丹は一寸考えてから、試しにCM動画を再生させるが。数秒経った所で、画面からばっと顔を離し。
「わーっ、わー、わー、わー!! こんなの観ていられるかっ!!」
手にしていたスマホを、壁に向かって投げ捨てる。それからベッドの上で、右へ左へごろごろ転がり。
「あーっ!!! 無理、無理、無理、無理っ。やっぱり無理、絶対に無理! 大体、タイトルからしてふざけているだろう!!」
そう叫ぶと同時、牡丹はずるりとベッドから滑り落ち。ごんっ――! と鈍い音が鳴り響く。
彼は、痛みに顔を歪ませながら。よろよろと上半身を起こし上げると、ベッドの縁へと預けさせ。
(別に紅葉が誰と映画を観に行こうが、紅葉の勝手で。俺がどうこう言えることではなくて。それに、どうせ俺は、こういう映画は観られないし。)
「でも、紅葉はこういうのが好きなんだよな……」
そう口先で呟くも、その音は直ぐにも跡形もなく静寂の中へと溶け込んでいき。彼はこてんと頭をシーツへと傾かせると、そのまま顔を埋めさせた。
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