延長戦 第18戦:松と藤~長男のお留守番奮闘記!(後編)
藤助と天羽が温泉旅行に行って、二日目の朝――……。
ちちち……と小鳥の囀りが、心地良く牡丹の鼓膜を震わせるも。それは末っ子の乱暴な起こし方によって、無残にも吹き飛ばされてしまう。
それでも彼が薄らと眠気の残る眼を擦りながらリビングに入ると、
「朝食できたぞ」
「朝食って……。えっと、朝から卵粥?」
牡丹がそう漏らすと、道松の眉間にはぐいと皺が寄っていく。
「なんだよ。文句あるのか?」
「ううん、別に」
用意されていただけ良かったかと、牡丹は自身を慰めるや。ぱくんと一口、口に入れる。けれど、次の瞬間、彼は盛大に吹き出してしまう。
げほごほと、咳き込むこと数回牡丹は蒼褪めてしまった顔をそのままに。
(すっかり忘れていたけど、そう言えば。道松兄さんの作る卵粥って、死ぬほど不味いんだった――……!!)
ゆらりと据わった瞳で道松を見つめると、彼は眉を顰めさせており。
「おい、牡丹。なんだよ、汚いな」
「だって……。
あの、道松兄さん。ちゃんと味見はしたの?」
「味見だと? そんなことする訳ないだろう」
きっぱりと返す長男に牡丹がげんなりとさせていると、傍らからまたしても声が上がり。
「なあ、道松」
「なんだよ、桜文?」
「この卵粥、不味いぞ。うん、すごく不味い」
(桜文兄さん、ストレートに言った――!?)
さすがだと牡丹が半ば感心していると、長男は案の定怒り出し。彼はスプーンを手に取ると、自身も勢いよく口の中へと含んだ。けれど、その刹那、かちゃんとテーブルの上に虚しくもスプーンが溢れ落ち。
「そんな……。藤助はいつも美味いと言って食べているぞ」
「それは藤助兄さんが気を遣っていただけだと思うよ……。
ううん、残すのは勿体ないし、かと言って、このなんとも言えない味をどうやって整え直していいかもよく分からないし」
どうしたものかと途方に暮れていると、突然、ピンポーンとチャイムの音が鳴り響き。
「どうも。おはようございまーす!」
「陽斗さんと、えっと……」
牡丹は陽斗の隣に立っている女性を、ついじろじろと眺めてしまい。すると、彼の視線の意図を読み取ったのだろう、彼女は軽く頭を下げさせ。
「豊島家使用人の、池袋月奏です」
そう言って、にこりと柔らかく微笑んだ。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「ふうん、月奏ちゃんも豊島家の使用人だったんだ。
でもさー、いいのか? 職場恋愛なんて、ばれたら大変なんじゃないの? 道松の爺さん、アイツに似て頭堅いだろう」
「いえ、旦那様公認ですから。何も問題ありません。寧ろウチは多いですよ」
「へえ、そうなんだ。意外だなあ。
けどさあ、道松坊ちゃまのお世話なんて、嫌にならないのか? 俺なら半日だけでも無理だけどなあ」
「そうですか? 道松様は気難しいように見えて、案外単純ですから。扱い易いですし、それに、なによりこれが良いですからね」
陽斗は親指と人差し指をくっ付けて丸の形を示しながら、口角に微笑を添えて述べる。
こうして適当に雑談をして時間を潰していると、不意に台所から芳ばしい匂いが漂い出し。
「お待たせしました、できましたよ」
「うわっ……! あの味から、よくこれほどまでに美味しくできましたね」
「本当、神業だよ。うん、すっごく美味しいよ、月奏ちゃん。
そういやあ、二人はなんでウチに来たんだ? お兄ちゃんになにか用か?」
「まあ、そんな所です。いえ、道松様のことですから、どうせ今日もなにかしら遣らかすだろうと思いまして。それなら天正家にいた方が都合が良いかなって。そしたら月奏も付き合ってくれると言うので、一緒に来たんです」
「はい、私もお役に立てればと思いまして。掃除や洗濯もまだでしたら、やりますよ」
「おお、それは助かるな。良かったな、お兄ちゃん。月奏ちゃんがやってくれるってよ」
月奏がそう提案するも、道松は椅子から立ち上がり。
「うるさいっ、俺がやると言っているだろう! お前等も、さっさと帰れ!!」
それだけ言うと、彼は一人その場を後にし。強く足を踏み締めながらも洗面脱衣室へと向かう。
眉間に寄せた皺をそのままに、道松は洗濯機を前にして。
「さてと。昨日は洗濯ができなかったから、今日はやらないとな。牡丹から使い方も訊いておいたし」
教えてもらったことを思い返しながら、道松は籠に詰め込まれていた衣服を次々と洗濯機の中へと押し込んでいく。ボタンを弄り、洗剤をどばどばと入れ。蓋を閉めすっかり悦に浸る道松だが、けれど。次第に洗濯機から鈍い音が鳴り出し、がこん! とここ一番の音が盛大に家内中へと鳴り響いた。
それに続きどたどたと、複数の足音が廊下から鳴り出し。鳴り止む暇なく、牡丹が室内へと飛び込んで来て。
「道松兄さん、今度はなにをしたの!?」
「俺はなにも。言われた通りにしただけだぞ」
「言われた通りって……」
ちらりと道松の視線の先を追えば、洗濯機の辺り一面水浸しになっており。もこもこと、たくさんの泡まで立っていた。
牡丹はじとりと目を細めさせ。
「兄さん、一度に洗濯物を入れ過ぎだよ。しかも、洗剤もたくさん入れたでしょう!?」
「それは……。たくさん入れた方が、汚れもちゃんと落ちるだろう」
「入れればいいってものじゃないよ。多過ぎると洗剤が濯ぎ取れなくなっちゃうんだよ」
「あーあ。この洗濯機、この前買ったばかりじゃないか。しかも、せっかくみんなで値切り倒した物なのに、こうも簡単に壊されるとは。
だから素直に月奏ちゃんに頼めば良かったのによー」
呆れがちに梅吉は、はあと湿った息を吐き出させる。それから後始末に追われている長男を横目に、ピザ屋のチラシを徐に広げ。兄弟達に意見を訊き出した。
暗転。
翌日――……。
テレビから流れている楽しげな音声を背景に、芒はやや鼻歌混じりに満月の毛をブラッシングしながら。
「昨日はピザを多めに頼んでおいて良かったね、お兄ちゃん」
「本当、お陰で道松兄さんがご飯を作らずに済んだもんな。夕方には藤助兄さん達も帰って来るし」
漸くこの不安から解放されると安堵感からソファで寛ぐ牡丹達だが、しかし。がちゃりとリビングの扉が開き、その隙間からビニル袋を抱えた道松が姿を見せる。後ろには、同じように袋を抱えた陽斗も控えており。
「あれ、道松兄さん。その袋は一体……」
「なにって、夕飯の材料に決まっているだろう」
「夕飯の材料? まさか……!」
嫌な予感しかしないと、牡丹が察すると同時。
「今日こそちゃんと夕飯を作る」
と、道松は彼の期待を裏切ることなく、残酷にも宣言する。
「なに、長旅でアイツも疲れているだろう。なのに、帰って来て早々、夕飯を作らせる訳にはいかないだろうが」
「それはそうですが……。
でも、作るって一体なにを作るの? もしかしてまた卵粥?」
「いや、今夜はビーフシチューだ」
「うーん、ビーフシチューか。本当に兄さんに作れるの?」
「当り前だろう。ビーフシチューくらい、俺にだって作れる!」
一体どこからその自信が湧いて来るのだろう、そう豪語する道松の横から陽斗がひょいと顔を突き出し。
「牡丹様、ご安心下さい。既にカットされている野菜と肉、それから市販のルーを買って来ましたから。これなら煮込むだけで済むので、道松様にもできますよ」
「ああ、成程。最近は加工済みの物が売られているから便利ですよね」
それなら安心だと、牡丹は納得顔で頷くも。一応とばかり料理に従事している長男を見守っていると、彼は徐にとある瓶を掲げ出す。
その中身をどばどばと鍋に入れている光景を目にした瞬間、牡丹は勢いよくソファから立ち上がり。
「ちょっと、道松兄さん!? その手に持っているのって……!」
「ああ? なんだよ、赤ワインだが、どうかしたのか?」
「『どうかしたのか?』じゃないよ。なんでそんな物を入れているの!?」
「なんでって、入れた方が美味しくなるからに決まっているだろう。隠し味には、赤ワインだ」
「だからって、いくらなんでも入れ過ぎだよ。それに、そんなに入れたら隠し味には……」
「ならないよ」と、牡丹が言い切る前に。突如道松の背後から、ぼおっ……! と勢い良く火柱が上がる。その出所は鍋からで、火は天高くへと上がり続け。
「ぎゃーっ!?? 火が、火がーっ!!
火事だ、火事! 早く消さないと、家が燃えるーっ!」
「消火器だ、消火器! 早く消火器を持って来い!!」
数分後、どうにか鎮火できたものの――……。
「まさか人生で、消火器を使うことになるなんて……。
どうにか火は消せたけど、ちゃんと使い方を覚えておくんだった。避難訓練って、本当に大事だな。
それにしても。陽斗さん、よく使えましたね」
「まあ、一応主をお守りするのも俺の務めですから。あらゆる事態に備えて、こういった身を守る方法は熟知させられているんですよ」
「へえ、そうなんですか。陽斗さんがいてくれて、本当に助かったよね、道松兄さん。
それで、どうするの? 壁と天井が焦げちゃったよ。鍋も黒焦げだし、床も真っ白だし。藤助兄さん達、夕方には帰って来ちゃうのに」
じろじろと、牡丹ならず兄弟全員から一斉に見つめられ。道松は喉奥を詰まらせるも、ふっと鼻から軽く息を吐き出させる。
歪んでいた眉をいつも通りとばかり、ぴんと張らせ。
「なに、これくらい」
一拍の間を置かせてから。
「陽斗、どうにかしろ――っ!!」
長男の悲鳴混じりの雄叫びは、家内中へと響き渡り。
閑話休題。
空が茜色に染まった時分――。
「ただいまー」と、陽気な音が玄関先から響き渡り。
「はい、みんなにお土産。温泉饅頭だよ。
へえ……。掃除も洗濯もしてあるし、晩ご飯まで作ってあるなんて。すごいじゃないか。道松のこと、見直しちゃった。本当は家が壊れているんじゃないかって心配していたんだけど、やればちゃんとできたんだね」
「ごめんね」と続けさせる藤助から、道松はすっと顔を逸らさせながらも。
「あ、ああ。当り前だろう……」
ぎこちないながらも得意気に返す長男に、黒焦げのビーフシチューを作り直したのは俺と陽斗さんなんだけど……と、牡丹は思うものの言い出せる勇気など持ち合わせてはおらず。その一方で、お金の力は偉大だと、そう深く実感させられる。
割った皿代に、掃除機と洗濯機の修理代。それから壁と天井の修繕費に加え夕飯の出前諸々を考えれば、おとなしく家事代行サービスでも頼んでいた方が余程安上がりであっただろう事実を、すっかり旅行を満喫して来た四男は露も知らないのであった。
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