延長戦 第19戦:牡丹と菊~お兄ちゃん☆モラトリアム

 朝も顔を出したばかりだというに、とある家屋からはぎゃあぎゃあと、喧騒な音が響き渡り。



「この、変態っ!!」



 それに続き、ぱんっ――! と清々しいまでも乾いた音が発せられ。






 暗転。






「なんだよ、牡丹。その顔は。一段と男前になったんじゃないか?」



 教室に入るなり牡丹の登校に気付いた竹郎は、意地悪くも彼の真っ赤に染まっている頬を指差して示す。


 にやにやと、気味の悪い笑みをそのままに。



「また天正菊にやられたのか? それで、今日は一体なにをしたんだ?」


「おい。どうして俺の方に非があると、前提して話を進めるんだ?」


「だって、いつもそうじゃないか。けど、その代わり良い思いをしているんだろう? 俺だったら一発叩かれるくらい、その駄賃だと思えば全然構わないけどなー」



 飄々と返す竹郎に、牡丹は人の気も知らないでと思うものの。おそらくいくら訴えた所で聞き入れてはもらえないことなど簡単に想像できるので、心の中だけに留めさせる。


 今朝だって偶々菊のスカートに、鞄を引っ掛けてしまい。少しばかり捲れ上げてしまっただけなのに。わざとじゃないのにと、ぶつぶつと口先で愚痴を溢している牡丹を他所に、竹郎は大きな息を吐き出させ。



「けどさあ。あんな可愛い子が同じ屋根の下にいて、よく我慢できるよな。俺ならとてもじゃないけど耐えられないな。だって、生殺しじゃないか」


「生殺しって……。そうかあ?」


「そうだよ! あんな美少女と生活を共にするなんて、健全な男子高校生には毒だぞ、毒! しかも、兄貴の恋人なんて手も出せないし尚更だよ」


「そんなこと言われても。初めて会った時に、異母妹だって紹介されて。ずっとそう思い込んでいたから、実は全く血が繋がっていなかったことが分かってからも今更って感じだったしなあ。

 それに菊は我が儘だし、素直じゃないし。食い意地が張っていて、おまけに直ぐ手が出て子供っぽい所があって。やっぱり妹なんだよなあ。

 うん。俺の方が年上で、大人でお兄ちゃんだしさ」



 ふんと鼻息荒く。ちょっと得意になっている牡丹だが、しかし。竹郎は、じとりと目を細めさせ。



「けどさー。牡丹って先輩達とは違って、全然天正菊に兄扱いされていないよな」



 飄々とした調子で告げる友人に、牡丹は声を裏返し気味に。



「なっ……!? そんなことは……」



「ない」と言い切りたいのに、口先は自然と萎んでしまい。牡丹は、ゆらりと小さく頭を揺らさせ。



(そう言えば、菊に『兄さん』って呼ばれたのって、よく考えれば……、いや、考えなくても一度だけか……?)



 あれが最初で最後だったなと、当時のことを思い返し。じめじめとし出す牡丹に、竹郎は容赦なくも更に追い打ちを掛けるよう。



「それに。もし桜文先輩が天正菊と結婚しちゃったら、そしたら天正菊は妹から義姉になっちゃうよなー」


「へ……? え……?」


「『え……?』って、だって、そうじゃないか。兄の嫁になる人は、たとえ自分より歳下でも世間一般的には義姉になるじゃん」



「そしたら牡丹は弟になるのかー」と、他人行儀な(実際にそうなのだが。)竹郎の声を背景に。あの時、あんなに必死になって定光の手から菊を奪還したのを、少しばかり後悔している自分がいるのを否定し切れなく。また、唯一維持できている、今の座さえ脅かされている事実に。この猶予期間は果たしてどのくらいなのだろうかと、言い表しようのない恐怖心ばかりが牡丹に付きまとう。


 しかし、それを振り払うよう、彼は頭を左右に強く振り回し。がばりと勢い良く立ち上がるが、その際、右手に布切れのような物がまとわり付き。それは、ひらりと軽く舞い上がって――。



「花柄……って、げっ、菊――!??」



 牡丹は咄嗟に口を押さえるものの、時既に遅く。おまけに。


「おおっ! ナイス、牡丹!!」

と、竹郎を筆頭に周囲からは彼を称え、男子生徒達の歓声があちらこちらで沸き上がる。


 いつまでも鳴り止みそうにはない盛り上がりに、牡丹の顔色はますます青くなる一方であり。



「ちがっ……、今のは偶然で、事故で。だから、わざとでは決してなくて……」



 牡丹は必死になって弁解するものの、けれど、菊が聞き入れてくれる訳もなく。



「藤助兄さんに、どうしてもアンタが忘れた弁当を届けてくれって頼まれたから、わざわざ持って来てやったのに。それなのに、恩を仇で返すなんて……」



 菊の眉は、ぎんと逆さに釣り上がり。瞳には、鋭い光が燦爛と宿る。


 牡丹が構える暇もなく、彼女の右手は大きく振り上げられ、そして。言うまでもなく。



「この、変態――っ!!!」



 怒声と共に、ぱーんっ!! と澄み切った音が校内中へと響き渡り。牡丹は、その音を遠くに聞きながら。


 たとえ妹だろうと義姉になろうと、おそらく今とたいして変化はないのだろうと。牡丹の中で諦めの念が、本人の意思とは裏腹にそれでも素直に湧き起こるのであった。

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