延長戦 第12戦:藤に霍公鳥~好きな人より好きな人
かちりと、時計の針が十二時丁度を指した所で。待ち受けていたとばかり、嬉々の色を帯びた声が上がり。
「ねえ、時城。そろそろお昼にしよう」
「えっ。もうそんな時間? あっ、本当だ。道理でお腹が空く訳だ」
時城はパソコンの画面から顔を上げると、軽く背筋を伸ばし。デスクの上に弁当を広げ出す。
お茶を呑み、ほっと一息していると、ひょいと横から由花の手が伸び。
「あら、美味しそうじゃない。一つ頂戴」
そう言うと彼女は返事を聞かぬ内に、時城の弁当箱の中からひょいとおかずを摘まみ上げた。
「あーっ! 私の特製竜田揚げがーっ!??」
「あら、美味しいわよ」
「知っているわよ、私が作ったんだから」
「あっ、そう。でも、まさかあの時城が料理だなんて。絶対長続きしないと思っていたのになー。しかも、ミノリの為に始めたことなのに、アイツと別れた後もまだ続いているなんて」
「だって、それでやめちゃうのもなんか悔しいじゃない。それに、料理ができて損することはないんだしさ」
そう時城が主張すると、由花は「そうね」と簡単に返し。
「そう言えば、昨日、
「へえ、早苗から? 早苗って確か大学に行って、そのまま院に残ったんだっけ? 凄いわよね、まだ勉強するなんて。私は短大の二年で充分だったなー。
それで、早苗がどうかしたの?」
「うん。それが、合コンをするから参加しないかって誘われてさ。勿論、時城も参加するわよね」
「合コンって……。アンタ、彼氏はどうしたのよ? いるのに行く気なの?」
「それなら丁度昨日別れたわよ」
「別れたって……」
動揺を隠し切れていない時城とは裏腹、当の本人である由花はけろっとした調子で淡々と告げる。
「だってアイツ、大切な記念日を今年も忘れていたのよ? それに、結婚のことも全然考えてくれないし。もう我慢の限界だわ。私は早く寿退社したいのにさー」
「寿退社、か。そうね……」
(そういやあ、私も憧れていた時期があったな。いつかはミノリと……なんて。
あの頃は、アイツと別れるなんて。)
ちっとも思ってもいなかったと、時城はすっかり顔を苦めながら。ごくんとお茶を呑み込んだ。
「それにしても。別れた割には、ちっとも落ち込んでいないわね」
「そりゃあ、そうよ。さっさと切り換えさせないと。時間は限られているのよ。いつまでも別れた男のことで時間を費やすなんて、勿体ないじゃない」
「由花って、本当に羨ましい性格をしているわよね。
でも、どうして私まで合コンに参加しないとならないのよ」
「それが、人数が足りないんだって。時城もフリーなんだから、参加しときなさいよ。
それとも、なあに。例の高校生と付き合っているんだっけ? 告白されたとか言っていたけど」
「付き合っていないわよ。頻繁に会ってはいるけど、料理を習っているだけだし。
それに、高校は去年卒業したから、今は大学生だってば」
「ふうん、やっぱり断っちゃったんだ。でも、そうよね。年下は、ちょっとねえ……。
しかも、今は大学生でも、ついこの間までは高校生だったんでしょう? 結婚するとしても、相手が卒業するのを待ってからになるわよね。それから二、三年は働いてもらって、結婚資金を貯めてとなると……。
いくら相手がイケメンでも、私はそこまで待てないな。それに、その間に、もしかしたら別れちゃうかもしれないし。賭けと言うか、投資みたいなものじゃない。
けどさあ、いくら料理を習っているだけとは言え、相手はそうは思っていないんじゃない? 思わせ振りな態度を取るのは、どうかと思うけどなあ」
「なによ、その言い方は。まるで私が悪女みたいじゃない。それに、藤助くんだって私のこと、どうせもうなんとも思っていないわよ」
時城は、こてんと軽く頭を下げ。
(そうよ。大体、告白と言っても、あれは私が無理矢理言わせたようなものだし。それに、私よりも大切な人がいるって。悪いことではないとは思うけど、でも、言われた方はやっぱり複雑なのよね。
由花の言う通り、ついこの間まで高校生で。あの年頃にしてはしっかりしているように見えるけど、危なっかしい所もあって。だから、偶に様子を見るがてら料理も習っているというか。
なんていうか、ほっとけないのよね。)
だけど。
「年下、か……」
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
(結局。)
由花に流されてしまったと、会場である小洒落たダイニングバーで。時城は半ば恨めしげに隣に視線を送る。
しかし、ぎらりと瞳を怪しく光らせ。取り敢えずとばかり外見という情報だけから既に篩を掛けている由花には、全く効果はなく。諦めると、彼女は一つ乾いた息を吐き出した。
「所で、相手の人達はどういう人なの?」
「大学の院生だって。早苗がサークルで知り合ったんだってさ」
「えー、学生なの?」
「しょうがないわよ。私達は短大を出て直ぐ就職したから、今年で社会人三年目だけど。私達の年頃なら、まだ学生だって人も少なくないわよ。
それに、院生って、お金がないとやっていられないでしょう? だから、実家が裕福層の確率が高いのよ。もしかしたら、玉の輿に乗れるかもしれないじゃない」
そのフレーズだけで、由花は俄然と気合いを入れ直し。時城が呆れている間にも、次々と残りの面子も集まり出す。
けれど。
「女子は全員揃ったけど、そっちはどう?」
「それが、一人欠員が出ちゃって。急遽代役を立てたんだけど、そいつがまだ来なくてさ。バイト先の後輩で、そろそろ着くって連絡は来たんだけど……。おっ、やっと来た。
おーい、こっち、こっち!」
「あの、先輩。やっぱり俺、こういうのは……。それに、お金を出してもらうのも悪いですし」
「なあに、そんな細かいことは気にするなって。お前は座っているだけでいいからさ。
なんだよ、先輩の頼みが聞けないのか? みんな集まっているんだ、早く来いよ」
男子陣営の幹事は、来たばかりの青年の腕を掴むと無理矢理引っ張り。輪の中へと連れて行く。
が。
刹那、時城の瞳は自然と一回り大きくなり。
「え、藤助くん……?」
「あれ、小長狭さん?」
二人は視線が絡み合うと、同時にぴたりと動きを止め。ぱちぱちと、何度も瞬きを繰り返す。
すると、後ろから急に悲鳴染みた音が上がり。
「えー! ちょっと、時城。もしかして、この子が噂のイケメン料理教師?」
「料理教師? なにそれ」
「早苗、聞いてよ。それが、時城ってばさー」
「ちょっと、由花!?」
「止めてよ」と時城は制止を求めるも、由花の口が止まることはなく。
「えー、なにそれ。時城ってば、やるじゃない」
けらけらと、一斉に甲高い笑い声が上がり。その空気は、会合が開かれた後も尾を引いてしまう。女子達は藤助を囲むように座り込み、彼の話を……、いや、主に料理講習会中の時城の失敗談の数々を肴に酒を嗜む。
そんな彼女達とは裏腹、すっかり蚊帳の外にされてしまった男側は、隅の方でおとなしく。互いを慰めるよう酒を呑み。
そのどちらにも交われていない時城は、一人じとりと目を細めさせ。愉しげな雰囲気を醸し出している輪をただただ睨み続ける。
(由花ってば、人のことを面白可笑しく話したりして。さっきまでの気合いは、どうしたのよ? 美容院にまで行って、髪をセットした癖に。玉の輿に乗るんじゃなかったの?
藤助くんも、藤助くんよ。すっかり玩具にされちゃって。なによ。そんな顔でこっちを見ても、助けてなんかあげないんだから。)
時城は、ふいと顔を逸らして。そのまま、手元のグラスをぐいと一気に飲み干した。
暗転。
(あれ……。なんか、)
気持ち良いなと、頬を撫でる冷やかな風に。時城はゆっくりと目蓋を開かせていく。すると、身体はふわふわとどこか頼りなく。足は何故か宙に浮いている。
彼女がこてんと首を傾げさせると、ふと前方から声が上がり。
「あっ、小長狭さん。目が覚めましたか?」
「えっと……、あれ。なんで私、藤助くんにおぶられているの……?」
「何も覚えていないんですか? 小長狭さん、酔い潰れてお店で寝ちゃったんですよ。いくら起こしても全然起きないから、俺がこうして……。
やっぱりお酒は止めた方がいいと思いますよ」
「うっ……。言われなくても、分かっているわよ!」
(なによ、年下の癖に。)
「生意気」と時城は言い掛けるも、声に出すことはなく。代わりにぽすんと、藤助の背中に顔を埋めさせる。
けれど。
(あれ……、ふうん……。背中、意外と大きいんだ。)
「知らなかったなあ」と、時城は小声で呟き。
「……投資、か」
「えっ。小長狭さん、株でも始めるんですか? 止めた方がいいですよ、そんなの」
「あら、どうして?」
「だって、絶対に上手くいく保証なんて。ないじゃないですか。失敗した時のことを考えたら危険ですよ」
「うん、確かにそうね。危険よね。
……ねえ。まだあの人のことが、一番大事?」
「……突然なんですか?」
「別に。ただ訊いただけ」
若干苛立ちの色を帯びた声に時城はそれだけ返すと、再び背中に顔を押し付ける。
ちかちかと、人工的な明かりが目を鋭く突き刺すものの。それは次第にぼんやりと薄れていき、淡い光の屑となって消える。
藤助は、長い時間を有してから。
「そうですね」
それから、一拍の間を置かせ。
「あの人がいなければ、今頃俺、この世にはいないと思いますから」
「この世にはって……」
「言っていませんでしたっけ? 今の家に来る前にお世話になっていた家に、強盗が入って。おじさんとおばさんは、その強盗に……。
俺が天羽さんに引き取られた数日後にその事件は起きていて、もしもあのままあの家に残っていたら、俺もきっと巻き込まれていましたから。だから」
その先は、いつまで経っても紡がれることはなく。雑踏の音ばかりが耳を掠める。擦れ違う人々に、時城は上辺だけの挨拶を送って見送って行くも。
けれど。
不意に藤助が、「でも」と、空気混じりの声を発し。
「俺はまだ、あなたのことが……って、」
すうすうと、鼓膜を震わせる心地良さそうな音に。藤助は、仕方がないとばかり。続きは喉奥へと引っ込め、代わりに乾いた息を吐き出させる。
ふっと面を上げると、真ん丸の月が仄かに瞬いており。その朧気ながらも温かな光に、彼は薄らと瞳を細めさせた。
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