第159戦:天雲の 八重雲隠り 鳴る神の
薄暗い公園内で。鋭い瞳を燦爛と光らせている菊を前に、男は怪しく微笑んで見せ。
「どうかな? その手の者を使って調べさせたんだけど、真偽の程は。大体合っているとは思うんだけど」
男は相変わらず胡散臭い笑みを浮かばせたまま、感想を求めてくるも。菊が素直に応じる訳もなく。
代わりに彼女は、ゆっくりと薄桃色の唇を開かせていき。
「……アンタ、誰?」
「あれ? そっかあ。僕のことを知らないなんて、思ってもいなかったな。
うーん、自分ではそれなりに売り出したつもりだったけど、僕もまだまだ……ってことかな」
男は一寸難しい顔を浮かばせ考え出すも、直ぐに調子を取り戻させ。
「まあ、いいや。そうだね、お互いこうして会うのは初めてだから。一応、自己紹介をしておこうか。
僕は朱雀定光――、いや、朱雀というのは芸名であり、父の旧姓であり。本名は
よろしくと締め括ると、定光は菊に向かって手を差し出す。が、それはいつまでも宙に浮かべられたままであり。
「あれ? おかしいな。女の子なら、みんな喜んで握手に応じてくれるのに」
「……なんで芸能人がこんな所にいるのよ。それとも、ただのそっくりさん? からかっているの?」
「いやいや、僕は本物の朱雀定光だよ。それに、芸能人と言っても、昨日から芸能活動は休業中でね。だから、今はただの一般人、のつもりなんだけど……」
本人の意思とは反対に。定光が弁明すればするほど、菊の眉間には深い皺が刻まれていき。そんな彼女を前にして、困ったなと、彼はわざとらしく息を吐き出して見せる。
だが、その行為は、反って不信感を積もらせるばかりで。定光はわざと菊のことを煽っているのか、彼の行動一つ一つに、彼女の神経は逆撫でられるばかりだ。
眉間に刻まれた皺をそのままに、菊は更に瞳を鋭かせ。
「それで。百歩譲って、アンタがあの朱雀定光だとして。一体なんのつもり? 人んちのこと、こそこそ調べて」
「『敵を知り己を知れば百戦殆うからず』と言うだろう。敵の素性を知ることは、戦において基本だと思うんだけど」
「敵……?」
「……本当に、何も知らないんだね」
定光は一瞬だけ、至極冷徹な面を浮かばせるが。直ぐにも胡散臭い笑みを繕い直し。
「なんだか拍子抜けしちゃうな。知らないということは、もしかしたら幸福なのかもしれない。
でも、僕は君達のことを知った時、思わず心が躍ってしまったよ。特に菊さん、君の存在は救いでもあった。だって、僕も父のように、鳳凰家の――、いや、憎き天正家の血を味わえる楽しみができたんだもの」
「さっきから、何を訳の分からないことばかり言っているのよ。アンタの目的はなに?」
「目的、か。そうだね。僕の目的は、憎き天正家を潰すことだ。朱雀家と天正家の因縁を終わらせるには、どちらか一方を喰い尽くすより他に方法はない。
その為の布石として、君が必要だ。ぜひとも僕の物になって欲しい。それに、この話は君にも十分にメリットがあると思うんだ」
「メリット……?」
瞳を鋭かせたまま聞き返す菊に、定光は一拍置かせると冷やかな瞳を揺らし。嘲笑を帯びた唇をゆっくりと開かせていき。
「ああ。特に君のことは念入りに調べさせてもらってね。例えば、先日起きたストーカー事件のこととか。気の毒だったね。君も、そして、三番目のお兄さんも。
だけど、こういった事件は、決してこの前が初めてではなく、今までにも何度かあったようで。そして、おそらくこれからもきっと……」
「……一体何が言いたいの?」
「本当に君は資料通り、せっかちのようだね。それでは言わせてもらうけど。どの道君の存在は、天正家を滅ぼすことになると思うんだ。だけど、君には他に行き場なんて」
「どこにもないだろう――?」と、定光は菊の耳元に顔を寄せさせると、まるで幼子を宥めるように。冷やかな面とは裏腹、なんとも穏やかな声で囁いた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「ったく。女って、どうしてああいう話が好きなんだろう」
あんなにわんわん泣いていた癖に、ころっと態度を急変させるなんて。同情して損したと、ぶつぶつと愚痴を溢しながらも牡丹は帰路を進んで行く。
怒り任せに歩いていると、ふと前方に見知った姿が目に入り。思わず足を止めさせると、今度は対峙するよう彼女の前に立っている青年に首を傾げさせる。
(菊の奴、一体誰と話しているんだ? 制服を着ていないし、ウチの学校の生徒……ではなさそうだけど。それにあの人、どこかで見覚えが。)
あるんだけどと頭を捻り、思い出そうと努めるも。あと少しという所で引っ掛かってしまい。
なかなか思い出せないでいる中、取り敢えずとばかり引き続き歩を進めさせ。彼等との距離が縮まっていくと、先に男の方が牡丹の存在に気付くと同時。
「おや。君は、天正牡丹くんじゃないか」
「え――……、どうして俺の名前を……」
そのまま素通りしようと思っていた牡丹だが、不意に呼び止められ。足を止めさせると、彼は男の方を振り返る。
一方の青年も、じろじろと訝しげに牡丹を見つめ。
「ふうん。本当に、君達は何一つ知らないんだ。テレビで言っていた通りか。
君にも一応、自己紹介しておこうか。なんせ君は、将来、僕と義兄弟になる予定なんだから」
「え……、」
(この人、一体何を言って……、)
いるんだと、結論付けるより前に。
「僕の名は鳳凰定光。朱雀定光という名で、少しばかり役者なんかをしていてね。あっ。だけど、今は休業中だったな」
けろりとした顔で告げる定光に、牡丹はきょとんと目を丸くさせる傍ら。
(鳳凰……、朱雀定光……? それに、役者ってことは……。
あの朱雀定光――!??)
漸く頭の中にずっと引っ掛かっていた物が取れ。動揺を隠すことなく何度も彼の顔を見直す牡丹に、定光はくすりと小さな笑みを溢す。
「君は菊さんとは違って随分と素直なんだね。やっぱりこれが普通の反応だと思うんだよね」
「えっと。あの朱雀定光が、どうしてこんな所に……」
「どうしてって、従兄弟である君達に会いに来るのに理由なんて必要かな?」
「へ……、従兄弟って……?」
「ああ。僕の父は、君達の父親の義弟に当たるんだ。でもさ、不思議だよね。僕等は従兄弟同士なのに、この歳になるまで一度も会ったことがないなんて。
そして、天正牡丹くん。本当に君には驚かされたよ。だって、本当の息子である僕よりも、君の方が余程母と似ているんだもの」
(母って、定光の母親と俺が……?)
一体どういうことなんだと、相変わらず混乱しっ放しの頭をそれでもどうにか捻らせて。牡丹は考えようとするものの、一方の定光がそれを許さず。
彼は間髪入れることなく、口を動かし。
「僕の母は君達の父親の、実の妹に当たるから。この二人も顔が似ていたから、君が母とそっくりでも何も不思議はないんだけどね。
おっと、もうこんな時間か。道理で辺りが暗い訳だ。今日の所は、これで失礼するよ。今回は宣戦布告に来ただけだからね」
にこりと不敵な笑みを残すと、定光はコートの裾を翻し。その場から立ち去ろうとするものの、放心状態だった牡丹は意識を取り戻すや、咄嗟に彼の元へと駆け寄り。
「おい、ちょっと待てよ……!」
「おっと、どうしたのかな?」
「知っているのか……? お前は俺達の親父のこと、知っているのか……?」
乱れた息をそのままに、牡丹は目を瞠らせ。定光の深い漆黒色の瞳を見つめる。反対に、彼も牡丹のそれを見返しながらもゆっくりと口角を動かし。
「……ああ、勿論。彼の現在の居場所は知らないが、どういう男かということはよく知っているよ。
鳳凰、いや、
「桐実……。天正桐実、それが親父の……」
牡丹は半ば無意識に、口先で何度もその名を紡がせる。その間、定光は語り続けるも。その声は遠くの方から聞こえるばかりで、上手く頭の中に入っては来ず。
時間ばかりが過ぎていく中。真っ白になった脳内には、いつまでもその名ばかりがべっとりと張り付き続けた。
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