第158戦:桧原の山を 今日見つるかも
冬独特の冷やかな風によって、冷えた身体を早く温めようと。牡丹は足早に廊下を進んで行き、教室の中へと入るも。足を踏み入れた瞬間、どよどよと室内全体に漂っている、陰気臭い雰囲気に思わず足を止め。頬の端を引き攣らせたまま、こそこそと自分の席へと移動する。
机の上に鞄を置くと、後ろの席の竹郎の耳元へと顔を寄せさせ。
「おい、竹郎。何かあったのか?」
「これだよ、これ」
「これって……」
そう言って手渡されたのは、一冊の雑誌であり。牡丹はそのまま、予め開かれていたページへと視線を向ける。
「ええと、なに、なに……。『俳優・朱雀定光。まさかの長期休業を発表。復帰の予定は未定とのこと。』って……」
成程と、納得すると同時。もう一度教室内を見回すと、陰湿な空気を醸し出しているのは女生徒達であり。
「ふうん、あの定光が芸能活動を休業するなんて。今が一番売れ時だろうに」
「そうだよな、勿体ないよな。しかも、休業の理由は一切明かされていないしさ。
スキャンダルがあった訳でもないし、芸能界が嫌になったからだとか、事務所と揉めたとか。噂は色々飛び交っているが、定光って来年から大学生だから学業に専念する為じゃないかって説が一番有力らしいぞ」
「へえ、学業ねえ」
芸能人も大変なんだろうと、その苦労が分からないながらも勝手に同情するが。たいして興味もないので、それ以上の感情が湧き上がることはなく。
だが、そんな彼とは引き替え。
「なんで、どうして休業しちゃうの? 明日から、一体何を希望に生きていけばいいのよう……」
明史蕗並びに女生徒達は、みな机の上に突っ伏し。涙ながらに訴え出す。
その異様な様を前に、牡丹はまたしても頬を攣らせ。
「たかが俳優のことで、大袈裟だなあ」
「なによ、うるさいわね! 牡丹くんに私達の気持ちが分かるもんですか!」
噛み付かんばかり、女生徒を代表し。吠え立てる明史蕗に、牡丹は思わず身を竦ませ。
「な、なんだよ。そんなに怒らなくても。
休業ってことは、別に引退する訳ではないんだろう? その内戻って来るって、きっと」
「下手な慰めなんていらないわよ! いつ復帰するのか分からないのよ? それに、休業なんて言って、事実上引退だってこともあるし」
ますます声を上げて泣き出す彼女達に、反って油を注いでしまったと。牡丹は後悔するも遅く。教室中からわんわんと、喚き声が響き出す。
その声に、牡丹は思わず手で耳を塞ぎ。
「なによ、なによ、自分には紅葉ちゃんがいるからって。いい気になって」
「別にいい気になんか……って、なんで知っているんだよ!? 誰にも言っていないのに」
刹那、教室全体の時間がぴたりと止まり。視線は一瞬の内に、牡丹へと集中する。
わらわらと押し掛けて来る大衆に、牡丹は簡単にも取り囲まれてしまい。
「えー、なに、なに? もしかして牡丹くん、とうとう紅葉ちゃんに告られたのーっ!??」
「それで返事は!? オーケーしたの?」
「俺、何も聞いていないんだけど!?」
「そっかあ、やっとかー。じれったかったのよねー」
「ねえ、ねえ。早く教えてよ」
「なんだよ。お前等、落ち込んでいたんじゃないのかよっ!!?」
(他人事だと思って、面白がりやがって……!)
先程まで悲しみに暮れていたことなど、疾うに忘れてしまったのか。しつこく追及して来るクラスメイト達は、牡丹の手に負えるはずもなく。
わーわーと横から上がる声を煩わしく思う傍ら、彼は真っ赤に染めた顔をそのままに。いつまでも鳴り止みそうにない甲高い音を、適当に聞き流し続けた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
灰色の空の下――……。
いつもの帰路を菊は一人、歩いているも公園に差し掛かった所で。行く末に、この時間帯にしては珍しく、一人の青年が立っていた。けれど、黒いコートに身を包み、サングラスを掛けたその男は、周りの風景とは些か溶け切れておらず。
違和感を覚えさせる傍ら、菊はまるで一本の木だとでも思っているのか。青年のことを背景の一部だと処理させると、そのまま素通りしようとする。
けれど。
「……情報通り、この道を通ってくれるとは。待っていた甲斐があったよ」
そう漏らすと男はにこりと満面の、けれど、なんだか胡散臭い笑みを浮かばせる。
その場には菊の他に人はおらず、自分に語り掛けているだろうことは間違いないものの。見ず知らずの人間に突然話し掛けられ、不信感を露わにさせると、彼女はそのまま過ぎ去ろうと歩を進め直す。
が、次に男がまた口を開かせると、その足は再び自然と止まり――……。
「天正家長男・道松。旧姓、豊島。
豊島財閥の一人娘との間にできた子だが、血筋の問題から勘当され、天正家に引き取られる。射撃部に所属し、その腕前は全国レベル。
プライドは非常に高く、短気で幼さが残るものの、彼の背後に控えている豊島家の存在もあり侮れない」
「次男・梅吉。旧姓、洲崎。
母親の育児放棄・失踪により、天正家に引き取られる。弓道部に所属し、全国大会出場の常連者。父親同様女性関係は激しかったようだが、最近は落ち着いた模様。
軽い見た目とは裏腹、腹の中では何を考えているのか読み辛く、要注意人物に値する」
「三男・桜文。旧姓、行徳。
愉快犯による放火が原因で家が全焼。その時の火災により、母親と妹と生き別れる。武道に優れており、格闘技全般を得意とする。
性格は穏和で計算に見えなくもないが、おそらくただの天然ボケ」
「四男・藤助。旧姓、北条。
母親を交通事故で亡くし親戚に引き取られるも、養父母からの虐待が原因で天正家に迎えられる。家事全般を一人で担い、ご近所付き合いも幅広い。
性格は至って素直で、扱い易さに長けているとの見解」
「五男・菖蒲。旧姓、下野。
母親は自殺、義父を病気で亡くし、親戚に引き取られるが、後に天正家へと身を移す。勤勉で全国模試でも常に上位に位置し、百中若杜というペンネームで作家業も営んでいる」
「六男・牡丹。旧姓、大塚。母親の再婚により、足利へと二度姓が変わっている。
母親を病気で亡くした後も義父とその連れ子と共に暮らしていたが、後に天正家へと引き取られる。彼だけ容姿が父親に似ているが、それ以外の特記事項は見られない」
「七男・芒。旧姓、市川。
母親は彼を出産時に死亡。代わりに祖母に育てられるが、彼女の介護施設への入居が決まったことにより、天正家へと引き取られる。
運動能力、頭脳共に非常に優れ、あらゆる才能に長けており、天正家の中で一番優秀な遺伝子を受け継いだと言えるだろう。が、未だ小学生の為、脅威は極めて低いと思われる」
「そして、天正家の紅一点、長女・菊。旧姓・相模。
母親は過労が原因により死亡し、天正家へと引き取られる。演劇部に所属し、容姿の良さに加え演技力の高さから、人目を一身に集めている。性格は至ってクールで一筋縄ではいかなそうだが、それはそれで楽しめるだろう。
追加項目としては、僕と形ばかりの愛を育む予定――、いや、決定事項」
まるで事務処理のように、男は淡々と告げていたが。その作業が終えると同時、掛けていたサングラスを外し。それにより、隠れていた双眼が露わになる。
透き通るような漆黒色に、冷やかさを携えさせた瞳を揺らして。
「初めまして、天正菊さん。お会いできて光栄です。そして、これから共に人生を歩んでいくパートナーとして、どうぞお見知り置きを」
男は声高々に後を続けさせると、鋭い眼差しを光らせている菊を一切気にする様子もなく。代わりにくすりと、怪しく微笑んで見せた。
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