第147戦:散ればこそ いとど桜は めでたけれ
昨日、漸く退院し。家へと戻って来た桜文だが、しかし。
「暇だ……」
彼はぽつんと、ソファへと寝転がり。右へ、左へ、別段当てもなくごろごろする。
すっと天井を見上げ。
「せっかくの休日なのに、まだ激しい運動は禁止されているからなあ。部活にも道場にも行けないなんて」
「暇だなあ」と、またしても。鬱蒼とした音が、その喉奥から漏れる。
けれど、ふとテーブルの上に広がった、チラシの山へと目がいき。
「ん、B級グルメフェスティバル……? ふうん、あそこの公園でやっているのか」
桜文は案内の書かれたチラシを手に取ると、まじまじと眺め。屋台という文字だけで、自然と涎が出てきてしまう。
それを手の甲で拭っていると、開きっ放しだった扉の隙間から菊の姿が見え。
「あっ、菊さん。良かったら一緒に公園に行かない? なんかイベントをやっているみたいでさ」
にこにこと、例のチラシを見せながら。「楽しそうだよ」と桜文は後を続けるも、菊は直ぐにふいと顔を反らし。そのまま背を向け、すたすたと行ってしまう。
彼は、もう一度チラシを眺め。
「興味なかったのかな」
どうしたものかと考え込んでいると、今度は芒が通り掛かり。
「おっ、芒。お兄ちゃんと一緒に、公園に行かないか?」
「公園?」
「ああ。ほら、色んな屋台が出ているみたいでさ。食べたい物、なんでも買ってあげるぞ」
「僕は別に行ってもいいけど。でも、藤助お兄ちゃんに怒られない? 桜文お兄ちゃん、お外に出たら駄目って言われていたよね?」
「うーん、そうだけど。でも、少しだけなら大丈夫だよ、きっと」
そう返す桜文に、芒は、「そうかなあ」と。難しい顔をさせるが、しかし。ひらひらと桜文が軽く揺らしているチラシに、彼の瞳は次第に輝きを増していき。
にぱっと満面の笑みを浮かばせると。
「うん、そうだね!」
二人はどちらからともなく手を取り合うと、颯爽と玄関へと向かって行く。
が――。
「ねえ、桜文。あのさ、洗濯物なんだけど……って、あれ。桜文がいない……。おかしいな、さっきまでいたのに。
あっ。ねえ、道松。桜文を知らない?」
「桜文だって? アイツなら芒を連れて出て行ったぞ」
「出て行ったって……」
「一体どこに」と、呟きながら。藤助は、蛻の殻であるリビングを見渡す。すると、先程まで彼が寝転んでいた場所の付近に落ちている、一枚の紙切れへと視線がいき。
「まさか……」
そんな訳……、いや、彼なら充分有り得ると。その考えに達すると、藤助の背後からはただならぬオーラが噴出し。
数時間後――……。
「ただいまー!」
と、活気良い音と共に。芒はぴょこぴょこと飛び跳ねながらリビングの中へと入るも、しかし。突然、彼の目の前に、大きな壁が立ちはだかり。
「おかえり、芒。それから桜文……!」
にっこりと満面の、けれど、堅く張り詰められたその表情を前に。芒と、その後ろに控えていた桜文の口から、同時に「ひっ!」と短い悲鳴が漏れる。
そして、何故か藤助を前にして、二人は自然と並んで正座をし。
「ふうん、二人で公園にねえ。まさかとは思うけど、プロレスごっこなんかしていないよね?」
「あ、ああ、勿論。芒とちょっと散歩をして来ただけだから。なあ、芒」
「うん、そうだよ。僕達、散歩しかしていないよ」
「ふうん、散歩だけねえ。確かに服は汚れていないみたいだけど、でも……」
藤助は、一度そこで口を閉じ。けれど、直ぐにもまた開かせて。
「本当に散歩だけ?」
「えっ!? えっと、だから散歩がてら、ちょっとだけお祭りを見て来て……」
「へえ、お祭りねえ。でも、見ただけじゃないでしょう? 一体何を食べたの?」
「何って……」
「何を食べたのか、言ってごらん。全部だよ、全部。食べた物、全部言ってごらん? ほら、早く」
「言ってごらん」と、先程よりもはっきりとした声で。繰り返させる藤助を前に、芒は大きな瞳にたっぷりの涙を溜めさせ。桜文の背中に隠れるよう、べったりとくっ付く。
一方の桜文は、顔を蒼ざめさせたまま。
「ごめんなさい」
と、頭を床に擦り付け。素直に謝るが、藤助の顔色は変わることなく。
「ううん、俺は謝れなんて言っていないよ。何を食べたのか、言えって言っているの」
「えっと、確か、たこ焼きにお好み焼き、焼きそばに唐揚げ。フライドポテトにバナナチョコ、それから……」
「あとね、カレーの大食いコンテストをやっていて。お兄ちゃん、優勝したんだよね」
「優勝? 優勝ってことは、相当食べたってことだよね……?」
「いや、そんなには。軽く、えっと、三キロ程度だったかな?
優勝賞品が、イベントに出品されている物をなんでも無料で食べられるフリーチケットで。だから、お金は全然使っていないんだよ」
そう飄々と述べる桜文に、藤助はふらりと気が遠くなり。
「まさか、そんなに食べていたなんて。退院したばかりなんだから、食事はあれほど気を付けないとって言ったよね? 取り敢えず、今日の夕食はいらないね」
「そんな!? あの、お腹空いたんだけど」
遠慮深げに。そう懇願するのと同じタイミングで、桜文の腹からは弱々しくも虫が鳴き出し。その音を遠くに聞きながら、藤助は最早呆れ顔を浮かばせる。
「そんなに食べておいて、まだ食べるなんて。一体どんな胃袋をしているんだよ。
……あれ。芒、何を隠しているの? 後ろに隠している物を出しなさい。ほら、早く……って、りんご飴……?
この期に及んで、まだ食べる気だったなんて……!」
藤助の顔が、飴の色みたく。紅潮していくと、小さなその手から奪い取ろうとするものの。
「違うもん! これは、菊お姉ちゃんへのお土産だもん!」
そう言うと、芒は藤助の手からすり抜け。ばたばたと忙しない音を立てながらも、とある部屋の中へと駆け込み。
「菊お姉ちゃん! これ、お姉ちゃんにお土産。桜文お兄ちゃんが、お姉ちゃんにって」
そう口早に告げると、芒は半ば無理矢理菊へと押し付け。にこにこと、満面の笑みを浮かばせる。
けれど。
「こら、芒! お説教はまだ終わっていないよ」
階段の下から藤助の怒声が聞こえるや、その声に反応し。芒の小さな肢体は、びくんと大きく跳ね上がる。
そして、来た時みたく慌ただしく部屋から出て行く芒に向け。咄嗟に手を伸ばす菊だが、それは虚空を掴んだだけで何の意味も果たさず。
「うーん。思っていた以上に、藤助に怒られちゃったなあ」
藤助に手酷く叱られ。とぼとぼと背を丸めさせながら、桜文は自室へと行こうとするも。部屋の前に、何かが置かれているのが目に入り。
「あれ、これって……」
桜文は、ひょいとそれを拾い上げ。
「おかしいな。りんご飴、好きだったはずなのに」
甘い香りに、鼻を擽られ。ふっと、とある部屋のドアを見つめながら。
どうしたものかと、すっかり持て余してしまったそれを。その場に立ち尽くしたまま、彼はぶらぶらと軽く振り回した。
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