第128戦:恋に死なむを いかにせよとぞ

 天正家の一階の、普段はあまり使われることのない和室にて。その場の雰囲気とは不釣り合いな、冷たい電子音がいつまでもけたたましく鳴り響き。



「電話? それも、非通知だ」


「こんな夜中に一体誰が……」



 ぐっと眉間に皺を寄せさせる道松を余所に、梅吉はずっと音を鳴らし続けている機械へと手を伸ばし。



「お、おい……!」



 道松の意思通り、梅吉は一瞬だけ躊躇するものの、しかし。勢いに任せるや通話ボタンを押し、そのままゆっくりと携帯を耳に宛がえ。



「……もしもし?」


「もっしもーし! って、あれえ。また声が違う。

 なんだ、藤壺ちゃんじゃないのかー」



「違うのかー」と、残念そうに。男の物にしては高い音で、飄々と紡がれる。


 脳内を揺さ振るようなキンキンとした声に梅吉は思わず電話を耳から離し掛けるも、丁度良い距離感を掴むとその位置で固定させ。



「藤壺ちゃんだって? 誰だよ、それ」


「誰かって、それは君達の方がよく知っているんじゃないかなあ? この携帯に電話を掛けた時、持ち主の代わりに出た子なんだけどさー。

 まあ、いないのなら君でもいいや」


「それは悪かったな、愛しの藤壺ちゃんじゃなくて。

 それで。お宅は一体何者だ?」


「何者かって? そうだなあ」



 男は、一寸考え込み。



「私の名は、光源氏――……とでも名乗っておこうか」



 にやにやと、気味の悪い笑みが後へと続く。



「へえ、光源氏ねえ。随分と大それた名前だなあ」


「光源氏が大それた名だって?」


「だって、そうじゃないか。光源氏って、あれだろう。源氏物語っていう空想話の主人公で、金持ちでー、才色兼備でー、女の子にはモテモテの、誰もが羨む色男だろう?」



 反撃とばかり。今度は梅吉が唇に嘲笑を乗せさせるも、相手はそれをさらりと躱し。



「そうだね。確かに君の言う通り、あの男は、表向きは栄華を極めた誰もが羨む存在であった。だが、その裏側はどうだ?

 数々の女性と関係を持ち、恋に生き、恋に死んだような風に思っているようだが、あの男がしていたことは決して恋ではない。幼い頃に失った母親の愛情を追い求めるあまり、出逢った女性を次々に不幸にさせただけの、――最愛の妻である紫の上でさえ、己の浅墓な行動が故に苦悩の中で死に至らしめた、魔物のような男だ。

 そして、彼自身も彼女を失った絶望感に耐え切れず、残りの人生を失意の日々に身を窶していった、哀れで惨めで救いようのない、愚かな男の一人に過ぎないよ」


「へえ、そうなのか。それは知らなかったな。

 なに、生憎俺は、勉強は大が付くほど嫌いでね。源氏物語なんて壮大な物語の話をされても、さっぱり分からねえなあ」


「そうか、それは残念だ。面白いのになあ、源氏物語」



「残念、残念」と男は繰り返させるが、全く以ってそう思っているようには感じられず。


 梅吉は適当に男のことをあしらうと、わざとらしく咳払いを一つして。



「それで。わざわざ電話を掛けて来たってことは、この電話の持ち主に用があったんじゃないのか? 伝言しといてやるから用件を言えよ」


「いいや。俺が話をしたかったのは、藤壺ちゃんの方で。特にこれといった用はないんだけど、なんだか急に寂しくなっちゃったから。慰めてもらおうと思ってさ」


「ふうん、寂しくてねえ。だったら、ここより余程良い所を紹介してやろうか? テレクラって言うんだけどさ、テレフォンクラブ。おじさん世代の方が詳しいんじゃないの? ネットで検索を掛ければ、直ぐに近所の店が出て来ると思うぞ」


「全く、君は何も分かっていないなあ。せっかく教えてくれた所、悪いんだけど、ああいう所は嫌いでね。だって、作られた出逢いに運命なんて。とても感じられないからさ」


「運命だって? ふうん。だったらウチの藤壺には、その運命とやらを感じているのか?」


「ああ、感じているね。そして君、――秋好中宮にもね」



 機械越しに、くすりと男の笑声が耳を掠め。その嫌らしい嘲笑に、梅吉の眉間には薄らと皺が寄せられる。


 歪んだ顔をそのままに、梅吉は口角を上げさせ。



「秋好むだと? おい、おい。そうやって、勝手に人に変な渾名を付けるな。別に俺、秋なんか好きじゃねえよ」


「そうなの? それは残念だなあ、君にぴったりの名だと思うんだけど。それとも、梅壺と呼んだ方がお気に召すかな?」


「梅壺だと……?」


「ああ。秋好中宮は、梅壺を局としたことから梅壺女御とも呼ばれているんだ。俺としても、秋好中宮だと長くて。梅壺の方が呼びやすくて好きだな」


「梅壺ねえ」



 梅吉の口からは、胡散臭そうな息ばかりが漏れ。がりがりと、やや乱暴に頭を掻く。


 どうしたものかと頭を捻らそうとするも、その矢先。男の吐息が鼓膜を揺すり。



「あっ、そう、そう。一つ忠告しておくと、女三宮には気を付けた方がいいよ。俺は止めたんだけどねえ。三宮を引き取るのは、危険だって。何故ならその身を滅ぼしかねないからってさ――」


「はあ、女三宮だあ? また訳の分からないことを……」



「何を言っているんだ」と、梅吉は返そうとするも。ふっと嫌らしい男の嘲笑がそれを遮り。彼は手短に別れの挨拶を告げると、そのまま音声は途切れてしまう。



「あっ、おい!

 ちっ、切れちまったか。非通知だし、相手の素性所か電話番号も分からずじまいか……」


「おい、梅吉。電話の相手は誰だったんだ?」


「さあ? 光源氏だと言っていたが……」


「光源氏だあ? ふざけているのか?」


「さあな。一見ふざけているようで、――その実、大真面目なのかもしれない……」



 ぽつりとそう呟くや、梅吉は下唇を強く噛み締めさせ。



「おい、道松。お前、源氏物語に詳しいか?」


「さあな。授業で習った知識程度だ」


「なんだよ、使えねえなあ」


「なんだと!? お前には言われたくねえよ。それで、源氏物語がどうしたんだよ?」


「いや、なに。……多分電話の相手は、俺達のことを知っている」


「知っているって、それってどういう……」


「さあな。どこまで知っているかは知らないが、ある程度の情報は漏れていると思う。藤壺は多分藤助のことで、俺のことを秋好中宮――梅壺と呼んでいた。そして、残る女三宮だが、身を滅ぼしかねないって、一体誰のことを……」



 梅吉は、ぶつぶつと呟きながら頭を捻らせるも。元々持ち合わせていない知識では、直ぐに限界に達してしまい。


 引き締めさせていた筋肉を、ぐにゃりと緩めさせ。



「駄目だ、さっぱり分からん。菖蒲は寝ているだろうし、続きは明日にして。俺もそろそろ寝るとするか」


「おい。その前に、藤助の所に行って来い」


「はあ? なんで?」


「なんでって、お前なあっ……!」



 道松は、梅吉の胸倉を掴み上げ。鋭い瞳を以って睨み付けるも、梅吉は固く握られた拳にそっと手を添えさせ。



「俺達は……。俺と藤助、それから菊と芒は、お前達とは立場が違うんでね。特に俺と藤助は、もうこの歳だ。今頃になって放り捨てられても、行き場なんてどこにもない。

 ……アイツ、自分から家を出て行くつもりだぞ」


「出て行くだと……?」


「ああ。たとえじいさんが、ここに居ても良いと言っても。じいさんがトウカと一緒になるつもりなら、アイツはここを出て行く気だ。大学部への進学を辞めて、就職でもするつもりだろう。

 嘘だと思うなら、アイツの部屋を漁ってみろよ。求人に関する資料が出て来るはずだから」


「あのバカっ、一体何を考えているんだ……」



 遣る瀬ないとばかり。道松は吐き捨てるように言い放つと、手の力は自然と緩んでいき。



「……脆いよな。どこから崩れるか、時間の問題だな。

 そういう訳で。俺はもう一人の弟の面倒を見るから、藤助のことはお兄ちゃんに任せるよ」



 緩んだ手の内からするりと抜け出すと、梅吉はにたりと気味の悪い笑みを浮かばせ。一人先に部屋から出て行く。


 すっかり静まり返った室内で、道松は一つ乾いた息を吐き出させ。



「ったく、こういう時ばかり弟面しやがって」



 ちらりと、天井を見上げさせ。



「脆い、か……」



 憂いを帯びた瞳を揺らし。ぽつりと一言、口先で呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る