第127戦:柳こそ 伐れば生えすれ 世の人の

「携帯の中を見るって、そんなこと。天羽さんの携帯は、指紋認証が必要だから。だから、開けられる訳が……」


「そうだな。確かに指紋認証は、本人の指紋がないと開けられない。だが、逆に言えば。本人の指紋さえあれば、本人の意思とは関係なく開けられるってことでもある」


「本人の意思とは関係なく……?」


「ああ。本人自らの手で、開けてもらえばいいだけの話だ。――これを使ってな」



 にっと白い歯を覗かせながら。梅吉はポケットの中に手を突っ込むと、何かを掴み。それを藤助目掛け投げ渡す。


 手の中に納まった長方形の箱に、藤助の瞳は徐々に開かされていき。



「これって、もしかして……」



 顔を上げ、何かを訴えるよう。見つめてくる藤助に、梅吉は至って顔色を変えさせることなく。



「どうする? 実行に移すか否かは、お前が選べ」



「お前が――」と、その声音を空っぽの頭の中で反芻させながら。藤助は目の前でテーブルに伏している男を、空虚な瞳を以って見つめ続ける。


 すうすうと、整った寝息ばかりが小さいながらも部屋一面へと響き渡る中。その緊迫とした空気を打ち壊すよう、不意にがちゃりと甲高い音が鳴り響き。



「へえ。案外効くもんだな、睡眠薬って。とは言っても、正確には睡眠改善薬だが。

 まあ、俺も自分で試しはしたけど、こういうのは体質で左右されるからな」



「上手く効いて良かったよ」と、軽い笑声を上げながら。梅吉は奥へと進んで行き。天羽の元まで来ると彼の懐を漁って、携帯電話を取り出し――。



「それじゃあ、開けてもらいますか」



 梅吉は天羽の人差し指を手に取ると、それをボタンの上へと宛がえ――。



「……っと、開いた、開いた。成功だ。ほら、藤助」



 梅吉は手にしている携帯を藤助に向けるも、彼は首を小さく振るばかりであり。



「なんだ、見ないのか? あんなに見たがっていた癖に」



 梅吉は、つまらなそうに。ふうと小さな息を吐き出させると携帯の画面に視線を戻すも、その矢先。またしても、がちゃんと鋭い音が鳴り響き。



「お前達、何をやっているんだ……?」



 部屋に入るなり道松は、目を見開かせたまま。ゆっくりと首を左右に振り。とある一点に視線を留めさせると、そこへと真っ直ぐに向かって行く。



「おい、藤助。……部屋に行くぞ」



 道松は藤助の腕を半ば無理矢理掴み上げると、彼を連れて室内から出て行き。



「お前等、一体何を。藤助……?」



 急に重くなった右腕に、違和感を覚え。振り向くと、手の先の藤助はぺたりと床に座り込んでおり。



「どう、したいんだろう……」


「藤助……?」


「どうしたいのかな、俺、どうしたら、良かったのかな。もう、よく分かんないや……」






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 天正家の一階に位置する、普段はあまり使われることのない和室にて。


 珍しくも難しい顔を浮かばせ。携帯電話の画面と睨めっこをしている梅吉だが、彼の背後に脈絡もなく一つの影が差し迫り。



「おい」


「ああ? なんだよ」



 梅吉が振り返ると同時、右頬に痛みが迸り。



「いってえ……。

 なにするんだよ!」


「そんなの、わざわざ言わなくとも分かっているだろうが! なんで藤助にやらせた? あんな役、別に誰がやっても良かっただろうが」



 梅吉は真っ赤に染まった頬を押さえながらも、はー……っと、深い息を吐き出し。



「じいさんのことだ。水の中に睡眠薬が入っていたことくらい、どうせ気付いていたさ」


「気付いていたって……。だったらそんな物、普通飲む訳が……」



「ないだろう」と、道松は後を続けさせようとするも。それを梅吉は待つことなく。



「飲んださ。たとえ中身が睡眠薬じゃなくて毒薬でも、じいさんは飲んだよ。

 あの役は、藤助にしかできない。アイツに出されたら、じいさんは飲むしか他にないんだよ」


「だからって、こんなこと。携帯の中を漁っていることが、じいさんにばれたら……」


「なに、どうせこのことも、じいさんは知っているさ。それはこっちも承知だったが……、あーっ、駄目だ! やっぱりそれらしいデータは見つからねえ」



 梅吉は音を上げると、ごろんと畳の上に横になり。携帯を放り投げ、天井を見上げる。


 眩い光を直に見つめ、瞳は自ずと細くなり。



「やっぱり削除されているか。それとも、元々ありもしなかったのか?」


「残念だったな。これだけのリスクを冒したのに、見事な無駄足で終わっちまって」


「そうかあ? 成果なら十分にあったと思うけどな。

 彼女に関する情報を何一つ得られなかったことは、逆にそれが答えでもある。トウカって人のこと、余程俺達には知られたくないんだろうな。だが……。

 あーあ、何一つ情報が手に入らないなんて。トウカって、まるで亡霊みたいだな。この世に存在していない人間を追っているみたいだ」


「そのトウカって人物、牡丹の母親ではないのか? 前に萩に訊いた時、似ていないと言っていたらしいが、歳を取れば顔立ちだって変わることもあるだろう。

 もしあの写真の少女がトウカという人物なら、その可能性だって。牡丹とあの少女――他人の空似で済むような話だとは、俺には思えないがな」


「いいや、それはないな。萩に訊いたが、牡丹の母親の名前でもなかったし、牡丹の近しい人間の中にも、そんな名前の奴は聞いたことがないと言っていたぞ」


「そんなこと、いつ調べたんだよ?」


「この間、一緒に温泉に行ったじゃないか。同じ湯に浸かりながら、色々訊かせてもらったよ」


「その為にアイツを連れて行ったのか? お前もよくやるな……」



 呆れ顔を浮かばせる道松に、一方の梅吉は得意気に。



「まあな。それに、キャンセル料を払うのも勿体なかっただろう」


「それはそうだが、だからってなあ」


「それより。……藤助の様子はどうなんだよ?」


「どうって……。

 アイツ、泣きもしないで、ただ、明日からどんな顔してじいさんと接すればいいんだって、そればかりで。泣いちまった方がいっそ楽になれるだろうに、こういう時に限って泣かないなんて」


「そうか……」


「そうかって、お前なあっ……!」



 声を荒げ、道松がまたしても梅吉に喰って掛かろうとするも。不意に二人の間に、面白味のない機械音が鳴り出す。


 音の出所は、先程梅吉が放り投げた携帯電話からで。



「電話? それも、非通知だ」


「こんな夜中に、一体誰が……」



「誰が」と道松は繰り返させるが、その質問に答えられる者などその場に居合わせているはずもなく。時間の経過と共に、謎は深まる一方で。


 二人は無意味にも、冷たい電子音に耳を傾け。ただおとなしく、いつまでもその音を聞き続けた。

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