第126戦:妹は心に 乗りにけるかも
殺陣稽古の指導の為、演劇部に出張に来た牡丹(とおまけ数名)。
だが、室内は妙な空気が流れており。
「あの、部長。この人達は一体……」
「ああ、私が頼んだんだ。殺陣の演技の指導役に。次の演目が決まるまで、演技の幅を広げるにはいいと思ってな。
それでは、早速稽古に移るとしよう。菊くん。特に君は、しっかりと教えてもらうといい」
「あの、石浜先輩。先輩は部長ではなく、元部長だと思うのですが。それに、先日引退したはずですよね?」
「なに。君の為なら、私は協力を惜しまなくてね。ほら、木刀だ」
菊の嫌味をさらりと躱し。石浜は彼女の手に半ば無理矢理木刀を握らせるが、菊の顔色が変わることはなく。
「余計なお気遣い、ありがとうございます」
と、一抹も心の籠っていない声音で。菊は淡々と述べながらも、いつの間にか肩に回されていた手をぺちんと叩く。
そんな彼等の様子を前に、竹郎は紅葉の耳元に顔を寄せ。
「あのさ、甲斐さん。石浜先輩って、いつもあんな感じなの?」
「そうですね。いつもあんな感じですけど、ここ最近は一段とですかね。部長ももう少しで卒業なので、それまでにと考えているんだと思います」
「そうだなあ。三年生が卒業するまで、あと半年もないもんな」
「はい。菊ちゃんは部長のことを煙たがっていますが、引退した先輩が顔を出して下さるのは、部としてはありがたいですから。私達は一向に構わないんですけどね」
懲りずにまた手を叩かれている石浜に、紅葉はくすりと小さく苦笑する。
「やれやれ、相変わらず手厳しい。そうだな。菊くんは、マンツーマンで指導してもらうといいだろう。ここはやはり、兄である……」
ちらりと、石浜は牡丹の方に視線を向けようとするも。ふと隣の人物の姿が目に入り。
「おや、君はミスター黒章。そうか、君も剣道部だったのか」
「いえ、コイツは違います。よく分かないけど、勝手に付いて来ただけです」
「なんだよ、別にいいだろう。俺の方が、牡丹より余程役に立てるんだ」
「ふうん、成程。そうだな、私も一向に構わないよ。指導者が多い方が、こちらにとってはいいからな。それに、君とは一度、きちんと話をしてみたかったことだし」
「はあ? 話って……」
何を言っているんだと、萩は猜疑の瞳を浮かばせるが。
「紅葉くんも。そんな後ろにいないで、もっと前に来るといい」
「は、はい」
「なっ!? あの気障先輩……!」
(牡丹の妹だけじゃなく、紅葉さんにまで手を出すつもりか……!)
紅葉の肩に回された石浜の手を、萩はじとりと睨み付けながら。
「そうですね、先輩。ぜひ話し合いましょう! できれば刀で!」
「話が早くて助かるよ。私もそうしたいと思っていてね」
すんなりと意見が一致すると、両者は同時に木刀を掴み取り。
(この私からミスター黒章の座を奪った屈辱、ここで晴らしてやる……!)
(紅葉さんにまで手を出すなんて、そんなの、絶対に許すまじ……!)
カン、コンと、鈍い音が響き渡る中。
「へえ。足利、なかなかやるじゃないか」
「中学までは剣道をやっていたと思うぞ。大会で見掛けたことがあるから」
「ふうん、そうだったのか。
でもさ、あれ、ただのチャンバラごっこになっていないか? 殺陣の稽古はどうしたんだろう。少し話し合えば、互いの利害の一致さに気付けるものを」
無益な争いに、竹郎と雨蓮は呆れ顔を浮かばせるしかなく。
数時間後――……。
「先輩、なかなかやりますね」
「そういう君こそ。骨のあるやつで遣り甲斐があるよ……」
休むことなく動き続け。二人は息を切れ切れに、それでも憎まれ口を止めることはなく。
けれど、紅葉が遠慮がちに、石浜の方へと寄って行き。
「あの、石浜部長。そろそろ下校時刻ですが」
「っと、もうこんな時間か。今日の稽古は、ここまでだな。
やれやれ。私としたことが、すっかり熱くなってしまったようだ。菊くん、もう辺りも暗い。危ないから家まで送ろう……って、菊くん?」
きょろきょろと左右を見渡す石浜に、紅葉はまたしても言い辛そうに。
「部長、菊ちゃんならもう帰りましたけど……」
「帰ったって、牡丹と一緒に帰ればいいのに。同じ家に住んでいるんだから」
「ははっ。牡丹ってば、相変わらず嫌われているなー。ここにいる間だって、ずっと天正菊に無視されていたしな」
「うるさいな、ほっとけよ」
「なにっ、菊くんに嫌われているだと――!?
それは困る。君には私と菊くんとの仲を取り持ってもらわないとならないんだ」
がしりと肩を掴み、激しく揺さ振って来る石浜に。牡丹はただ困惑顔を浮かばせて。
(ったく、菊の奴。こんな厄介そうな人を置いて一人で先に帰るなんて。ていうか、確かこんなこと。)
前にもあったようなと、思う傍ら。
「君には私の将来が掛かっているんだ!」
と、しつこい石浜の手から。どうやって逃げようかと、無駄に頭を悩ませるばかりであった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
日付が変わろうとしている、深夜遅く。
ガチャンッ――と甲高い音が、小さいながらも家内中へと響き渡り。続いてリビングの扉が開き。
「天羽さん、おかえりなさい」
「藤助。まだ起きていたのか?」
「はい、その。色々やっていたら、こんな時間になっちゃって……」
藤助はアイロンの電源を切ると、立ち上がり。直ぐにも台所へと向かう。
「夕食、まだですよね? 直ぐに温めますね」
「ああ、済まないな」
「いえ、このくらい」
藤助は右へ、左へ、忙しなく狭いその中を動き回り。天羽の前に、次々と料理を並べていく。そして、最後に。
「お水です」
と、天羽の目を真っ直ぐに見つめながら。彼の手元近くへと置いた。
全てが並べ終えられたことを確認してから、天羽は一口、グラスに口を付け。今度は漸く箸を手に持ち。
「藤助。その、今朝の話の続きだが……」
「はい」
「詐欺の電話だったと言っていたが、相手の男とはどんな話をしたんだ?」
「え、どんなって、特には。ただしつこく名前を聞かれて、それで。でも、なんだか変わった人で……。いや、詐欺をしようとしている時点で、既に変わっているんでしょうけど。急に和歌なんか詠み始めたりして、本当におかしな人で」
「和歌だって?」
「はい。なんでも源氏物語の中に出て来る和歌らしくて。菖蒲が言うには、光源氏が藤壺の宮とか言う人に詠んだ歌だそうです」
「藤壺の宮に? そうか……」
「アイツらしい皮肉だな」と、空気混じりに。そう呟くと、天羽はカツンと甲高い音を立てて箸を置く。
それから組ませた手の上に、額を預けるようにして置き。
「そうだな。お前が物語通り似ていなかったことが、私にとって唯一の。救いだったのかもしれないな……」
「え……? 天羽さ……」
天羽は不意に頭を上げ、虚ろな瞳をそのままに。
唇を、ゆっくりと動かし。
「――お前にだけは……」
最後まで、言い切る前に。天羽の頭は大きく揺れ。――刹那、がしゃんと甲高い音が室内中へと鳴り響く。
テーブルの上から箸が転げ落ち。お椀は傾き、小さな湖が広がっていく。
その光景に、藤助は生唾を呑み込ませ。
「天羽さん……?」
「天羽さん」と、もう一度。呼び掛けるも、聞こえて来るのは小さな寝息ばかりで。彼の呼び掛けに、答えることはない。
その整った息遣いを耳に、無意味だと分かっていながらも。藤助は震える口先で、縋り付くみたいに繰り返させた。
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