第106戦:我れのみや かく恋すらむ かきつはた
「天正菖蒲くん。あなたに生徒会に入って欲しいの」
「お断りします」
「そんなこと言わずに、話だけでも……」
「済みませんが、何度頼まれても入るつもりは一切ありませんので」
そうきっぱり言い返すと、菖蒲は一人すたすたとその場から去って行く。
一定のペースで小さくなっていく背中をひくひくと頬を引き攣らせて見送る鄙勢だが、しかし。この遣り取りは別段今回が初めてという訳ではなく、既に何度目になるだろうか。
それでも鄙勢は、決してめげることなく。
「天正くん。話だけでも、もう少し聞いてくれないかしら……って、あれ、いない!?」
「天正くん。あのね……って、またいない!?」
「ちょっと、天正くん。少しくらい話を……」
「聞きなさいよー!」
と、大声を上げながら。鄙勢は前方を走っている菖蒲を追い掛ける。
けれど、その要望に菖蒲が素直に応じるはずもなく。彼女は荒い息をそのままに。
「ちょっと、本当に待ってよ……。せめて話だけでも……って。
日光、何をしているの。さっさと来なさい!」
「会長こそ、待って下さいよー。俺には無理です。ただでさえ走るの苦手なのに、あの天正先輩に追い着くなんてえー」
「弱音を吐いている暇があったら、足を動かしなさいよ、足を!」
「そんなこと、言われても……」
「やっぱり無理ですー……」と、その声は徐々に小さくなっていき。それに伴い、彼の姿も次第に遠くなっていく。
鄙勢は眉を吊り上がらせたまま。
「もう、仕方ないわね。いいわよ、私一人で追い掛けるから」
あっさりと日光を見捨てると、彼女はそのまま走り続け。
「こんのっ……。こうなったら絶対に、絶対に今日こそ捕まえてやるんだからーっ!!」
「なーんて言っていましたが、会長だって……」
じとりと細めた目で見つめてくる日光に、鄙勢は乱れた呼吸を整えさせながらも。
「う、うるさいわね。少し休憩しているだけよ」
「会長、やっぱり説得は無理だと思いますよ。それ以前に、話さえ聞いてもらえませんし。もっと別な方法で攻めないと」
「別な方法ねえ……。
あっ、色仕掛けとか? 恥ずかしいけど、この学園の為なら私……!」
「一肌脱いじゃおうかしら」と、鄙勢は薄らと頬を染めながら続けさせるも。一方の日光は、すっと彼女から視線を逸らし。
「会長の色仕掛けなんか見たら、反って入ってくれなくなると思いますが……」
「ちょっと、日光。それは一体どういう意味かしら?」
「済みません。もしかしたら夢にまで出て、入ってくれるかもしれませんね」
「だから、それはどういう意味よ?」
刹那、ぽかんと鈍い音が鳴り響き。日光は目の端に薄らと涙を浮かばせ、痛む頭を手で擦る。
「ふざけていないで、真面目に考えなさい」
「痛いですよ、会長。大体、先に言い出したのは会長の方じゃないですか。会長だって黙っていれば、そこそこいけてるのに。勿体ない」
「なによ。なんか言った?」
「いえ、なんでもありません。そうですねえ。手っ取り早く天正先輩の弱みでも握って、脅した方が余程早いんじゃないですか?」
「脅迫ですって? アンタ、可愛い顔して見掛けに依らず、物騒なことを考えるのね……」
「会長の色仕掛けよりは、ましだと思いますが」
「なによ、しつこいわね。でも、脅迫かあ。そういう姑息な手を使うのは、どうかと思うけど……」
鄙勢は腕を組んで、一寸考え込むも。
「よし。それじゃあ、早速聞き込みに行くわよ」
ぶんぶんと腕を振りながら歩き始める鄙勢に、
「やる気満々じゃないですか」
と。日光は半ば呆れた面を浮かばせながらも、黙って彼女の後へと付いて行く。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
「はあ? 菖蒲の弱みになりそうなことだと? そんなもの、知らん」
「えっ。菖蒲の秘密? そうだなあ。実はオタクで、週に一度はメイド喫茶に通っている……とかだったら面白くない?」
「菖蒲の人には言えないことを知らないかって? ううん、そうだなあ……。ええと、なんだろうね」
「菖蒲の苦手な物ねえ。あっ。菖蒲は辛い物全般が苦手だよ。カレーも甘口しか食べられないくらいでさ」
「菖蒲の弱点だって? そんなことを訊いて、どうするんだよ?」
「えっ? それは、そのー……。ほら、私達、天正くんのことあまり知らないから。だから彼が入部する前にどんな人なのか、ある程度知っておこうと思って」
「本当にそれだけか? まさか菖蒲のこと、……生徒会に入れる為に、脅そうとしていないよな?」
じとりと牡丹に猜疑の瞳で見つめられ。鄙勢は思わず息を詰まらせるも、どうにか調子を整えさせ。
「ちょっと。生徒会長であるこの私が、そんな真似する訳ないでしょう」
「本当か?
……まあ、どっちにしろ、菖蒲の弱みになることなんて。俺には思い当たらないけどさ」
「えー、どーしてよー。人間誰しも一つくらい、欠点はあるものでしょう」
「そんなこと言われたって。思い付かないんだから、仕方ないだろう」
「もう、同じ家に住んでいる癖に。兄弟揃って役に立たないわね」
「悪かったな、役に立てなくて」
むすりと眉間に皺を寄せさせた牡丹にあっさりと別れを告げると、鄙勢と日光は次に図書室へと向かい。
「えっ。天正くんの苦手な物? えっと、なんだろう……。
苦手な物はないんじゃないかなあ。推理小説が特に好きだとは言っていたけど、ジャンル問わず色々読んでいるみたいだから。あとは近代文学も好きだと思うよ。その辺りの作家さんの本をたくさん持っていて、私もよく貸してもらっているの。漱石に太宰治、それから森鴎外に……」
「あの、神余さん? 私達が知りたいのは天正くんの本の趣味ではなくて、苦手な物なんだけど……」
「あっ、ごめんなさい。そうだったね。ううんと、苦手な物か……。
あっ、でも、百中若杜は好きじゃないって言っていたよ」
「百中若杜? 誰、それ。最近流行のアイドル?」
「ううん、アイドルじゃなくて作家さんだよ。天正くん、彼女の作品は好みじゃないって。珍しくそう言っていたよ。私は好きだけどね」
鄙勢は口の端を歪ませたまま、「そうなんだ」と、苦笑いを浮かばせる。
隣に控えている日光も揃って同じ表情を浮かばせていると、突然栞告の後方から一つの影が忍び寄り。
「かーこーちゃん!」
「きゃあっ!? せっ、先輩! どうしてここに。まだ部活中では……」
「今は休憩時間だもーんって、あれ。ふうん。君達、まだ菖蒲のことを調べていたんだ。
それで、何か収穫はあった?」
「ええと、そうですね……」
「その様子だと、収穫らしい収穫はなかったみたいだね」
見事梅吉に図星を刺され。くすりと口元を緩ませる彼を前に、鄙勢は後を詰まらせる。
悔しげな表情をさせている彼女を、梅吉はにやにやと気味の悪い笑みを浮かばせたまま見つめ。
「そうだなあ。二進も三進もいっていないようだから。そんな君達に、特別に一つヒントをあげよう」
「ヒントですか?」
「ああ」
梅吉は一つ頷いてみせると、くるりと栞告の方へと身体を向け。そして。
「うりゃあ!」
「きゃあっ!?? あっ、あああ、あの、先輩? 一体どうしたんですか……!?」
「別にー。ただ抱き着きたかったから。なんで、嫌?」
「嫌とか、そういうことではなくて……」
「それならいいじゃん」
「でも、でも……! 御厨さん達がいますし……」
栞告は顔を真っ赤に、胸板を押し返そうとするも上手くいかず。反対に梅吉は、ますます彼女の腰に回した腕に力を入れる。
そんな彼等を、鄙勢と日光の二人はただ茫然と突っ立ったまま。
「あの、会長。どうして俺達、先輩達のラブシーンなんて見ないといけないんですかね」
「さあ。私に訊かないでよ。
ていうか、天正先輩。神余さん、気絶していますが大丈夫なんですか?」
「えっ? ああ、本当だ。栞告ちゃん? おーい、栞告ちゃんってばー。あー……、ちょっとやり過ぎちゃったか。ごめんね、栞告ちゃん。
でも、これで分かっただろう? お二人さん。つまりはこういうことだよ」
「こういうって……」
「だから、必ずしも苦手イコール嫌いではないし、自分にとっての弱点が、他人にとってはなんともなかったりするってこと。菖蒲は分かり辛い性格をしているからなあ。普段はあのポーカーフェイスで必死に隠しているだけで、案外意外な所に落とし穴があるかもしれないぜ――」
「はあ……」
未だベタベタと引っ付いている二人を余所に。首を傾げさせたまま、鄙勢と日光は図書室を後にするも。
「ねえ、日光。先輩の言っていたこと、分かった?」
「いえ、さっぱり。
……あの、会長。俺から提案しといてあれですが、やっぱりあの天正先輩に弱点なんて。そんな物、ありませんよ。成績優秀、品行方正。非の打ち所がない所か、お釣りまで返って来る始末ですし。
今まで聞いた話をまとめたって、精々辛い物と百中若杜とかいう作家が苦手なくらいで、こんな情報、なんの役にも立ちませんって。見事な無駄足でしたね」
「そんなことないわよ!
……天正くんの飲み物に、タバスコ一本分でも仕込もうかしら……」
「そんなことをしても、入部してくれるとはとても思えませんが……」
本日の成果を振り返れば振り返るほど、自分達が相手にしている人物の存在が大きく見え。なんだか反って虚しさが募り。
二人は困惑顔を突き合わせると、ほぼ同時。揃って深い息を吐き出した。
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