第107戦:丹つらふ妹は いかにかあるらむ
夕食を終え、一段落着いた天正家にて。
いつもの日課とばかり、勉強を訊きに菖蒲の部屋を訪れている牡丹だが。
その室内から、
「はあ」
と、たっぷりの空気を含んだ声が上がり。その発言者である菖蒲は、レンズでフィルター掛けられた瞳を小さく揺らしながら。
「僕の弱点ですか?」
「そうなんだよ。生徒会長、なんだか菖蒲のことを探っているみたいでさ。菖蒲の弱点を知らないか訊かれたんだ」
「そうですか。それで」
「それでって?」
「いえ。牡丹くんは何と答えたのかと思って」
「ああ。俺には何も思い付かないって。そう答えたけど……」
牡丹がそう返すと、菖蒲は「そうですか」と。自分から訊いておきながら、なんだか素っ気ない返事をする。けれど、一方の牡丹はたいして気にしていないのか、さらりと流し。
「でも、本当に菖蒲って、そういう欠点? みたいなのがないよな。苦手な物とかないのか? 例えば、高い所が怖いとか、虫が嫌いとか」
「苦手な物ですか? そうですね……。辛い物が食べられないことですかね。その所為で、いつも藤助兄さんには気を遣わせてしまっていますし」
「そう言えば」
そうだったなと、つい先刻の食卓の風景を思い返しながら。今夜のカレーも、彼と末っ子の分だけは別の鍋に用意されてあったなと。牡丹はすんなりと納得する。
「まあ、俺もある程度の辛さなら平気だけど、激辛くらいになると食べられないからな。
でも、わざわざ苦手な物まで調べるほど、菖蒲を生徒会に入れたいなんて……。あの生徒会長もしつこいけど、菖蒲は生徒会に入る気はないのか?」
「はい。ありませんね」
「即決だな。そんなに生徒会に入るのが嫌なのか?」
「嫌と言うよりは、そうですね。自分の時間を大切にしたいんです。勉学に、読書。それから、なるべく執筆の時間を確保したいので」
「ああ。菖蒲は作家だから、確かに忙しい身だもんな」
「作家と言っても端くれですし、勉学を最優先にしているので、そこまで本腰を入れてはいませんが。それに……」
「それに?」
「……いえ、なんでもありません」
菖蒲は言い掛けるも、小さな息を吐き出させると。声に出す代わりに、喉奥へと呑み込ませる。
そんな彼の様子を気に留めながらも、牡丹はちらりとその顔色を窺いつつ。
「あのさ。前から疑問に思っていたんだけど、そのー……、印税? とか原稿料? とか。そういうのって、どうなっているんだ?」
しどろもどろ訊ねる牡丹に、菖蒲は一寸考え込むも直ぐにも薄らと口を開き。
「そうですね。僕はデビューして日も浅いですし、そんなに売れてもいないので。原稿料は安い方だと思いますよ。それから、実は父の借金がありまして」
「えっ。父って……」
きょとんと目を丸くさせる牡丹に、菖蒲は察したのだろう。
「義理の父です」
と、即座に返す。
行方不明中の父親に繋がる手掛かりを得られるのではと、抱いてしまった淡い期待は直ぐにも消え去り。それもそうかと、牡丹は簡単に思い直す。
「得た収入は義父の借金の返済に充てているので、僕の手元にはほとんど残りませんね」
「借金って、菖蒲が返しているのか?」
「はい。義父が亡くなったので伯父が肩代わりして業者の方には返済して下さったのですが、やはり申し訳なくて。なので、少しずつですが返済しているんです」
先程から顔色一つ変えることなく答える菖蒲とは引き替え、牡丹は言葉を詰まらせるも。
「そうなんだ……」
と、ただ一言。どうにか喉奥から絞り出し、手短ながらもそう答えた。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
時は移り、次の日。
校内のとある一角にて。
「こうなったら、やっぱり小細工なしで直行勝負よ!」
「今日も張り切って行きましょう!」と、鄙勢は元気良く告げるも。一方の告げられた方である日光は、げんなりと顔を歪ませており。
「会長。いい加減、諦めましょうよ。そりゃあ、あの天正先輩が入部してくれたら、色々と楽はできそうですが。あんなに嫌がっているんですから、絶対に無理ですよー」
「だから、簡単に弱音を吐くんじゃない!」
日光の言い分を一刀両断する鄙勢であるが、今回ばかりはと彼も易々負けることはなく。
「簡単にって、最近の俺達、ずっと走りっ放しじゃないですか。きっとその辺の運動部より余程走っていますよ。大体、俺は会長とは違って、運動系ではなく文化系なんですから」
ここ最近の疲れやストレスが、すっかり溜まっているのだろう。ぶつぶつと愚痴を溢し出す日光に、鄙勢は一瞬躊躇させられるも。
まるで拗ねた子供みたいに、口先を小さく尖らせ。
「だって天正くん、禄に私達の話も聞かずに決めちゃっているじゃない? 本人は気付いているのか知らないけど、彼の能力は、きっとこの学校の為に存分に活かせると思うの。なのに、なんだか勿体ないなって。
それに、なんて言うの? あそこまではっきり断られちゃうと、反って意地でも入れたくなるというか……」
「会長、大の負けず嫌いですもんね」
分かっていましたがとでも言いたげに、日光は呆れ顔を浮かばせながら。一つ乾いた息を吐き出させると、観念したとばかりに両手を挙げ。
「分かりましたよ、分かりました。でも、あと少しだけですからね。会長に付き合うのは」
「さすが日光! それでこそ私が目に掛けた男ね」
「そんなお世辞はいらないので、あとでジュースでも奢って下さいね」
「本当にアンタは可愛くないわね」
「別に会長に可愛いだなんて。思ってもらえなくて結構なので」
ああ言えばこう返す後輩に、やはり可愛くないと。鄙勢は心の内で呟くが、気持ちを切り替えさせ。
二人は同時にその場にしゃがみ込むや、早速何度目になるだろうか。最早数えるのすら面倒な、第××回天正菖蒲・生徒会勧誘作戦会議をし始める。
閑話休題。
「じゃーん! どう? どう?」
「さすが会長。どこからどう見ても男に見えますよ」
くるくるとその場で軽く回って見せる鄙勢もとい一人の男子生徒に、日光はぱちぱちと拍手を送る。いつまでも手を止めそうにはない彼の頭を、鄙勢はぽかんと軽く叩き。
「痛いですよ、会長」
「アンタがしつこいからでしょう。日光の制服、少し大きいけどどうにか着られたし、演劇部から短髪のウィッグも借りられたし。即席にしては、なかなかじゃない?」
「はい。なにより一番の勝因は、会長の胸が小さかったことですよね」
刹那、またしても日光の頭上に鄙勢の拳が命中し。
「痛いですよ、会長。会長の胸が小さいのは、俺の所為ではないじゃないですか。そういうの、八つ当たりって言うんですよ」
「もう、うるさいわね! いいから無駄口なんか叩いていないで、早く行くわよ」
「はい、はい。それより、会長。今回の作戦、ちゃんと分かっていますよね。天正先輩に正体がばれたら意味ないんですから、くれぐれも気を付けて下さいよ」
「分かっているわよ、それくらい」
そう軽く返すと、「任せなさい!」と。鄙勢は一つ、大きく胸を叩いてみせる。
そんな彼女の様子に日光は訝しげな表情を浮かばせるが、その視線をさらりと躱し。鄙勢は一つ深呼吸をして、自然と高鳴る胸を落ち着かせる。
そうして廊下の曲がり角に身を隠しながらも、図書室の扉をじっと睨み付けるみたく見つめ続け。
がらりとそれが開く様を目に留めると、鄙勢は床を見つめたまま、すたすたと前方へと進んで行く。そして、反対側からこちらへと近付きつつある男子生徒に狙いを定め。
「少しばかり、お時間頂戴してもよろしいかしら? 天正くん――」
そう言うと同時、鄙勢はにっと口角を上げさせ。一歩、彼の前へと大きく踏み込んだ。
その突然の襲撃に、菖蒲は漸く状況を理解するが些か遅く。次の瞬間、彼の顔からばっと眼鏡が離れていき――。
「やった……、やったわ! 作戦成功よ!」
奪った眼鏡を高々と掲げさせながら。嬉しさのあまり、鄙勢はぴょんぴょんとその場で軽く飛び跳ねる。挙句の果てに、くるくると回って見せる始末であり。
すっかり得意気になっている中、菖蒲に向き直るも――。
「さあ、天正くん。眼鏡を返して欲しければ、今日こそ話を聞いてもらうわよ……って、うそ、いない!? ちょっと、天正くん?
天正くんってば、一体どこに行っちゃったのよ!」
思いがけずも事態は急変。鄙勢はきょろきょろと辺りを見回すが、お目当ての姿はどこにも見当たらず。先程までの浮かれた気分はすっかりどこかへと吹っ飛んでしまい、素っ頓狂な音を上げる。
成功したかと思いきや、今回も見事失敗に終わり。酷く落胆しながらも試しとばかり、鄙勢は手にしたそれを掛けてみるが。
「うわっ、度が高い! 天正くんって、余程目が悪いのね」
「やっぱり勉強のし過ぎかしら」と。鄙勢はちかちかする目を何度も開け閉めさせて、調子を取り戻しながらも。どうしたものかと、すっかり持て余してしまった眼鏡に小さな息を吐き出させた。
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