第105戦:けふ我が宿の つまとみるかな
赤く腫れた頬に当てていた、ビニル袋に詰められていた氷はいつの間にか解け切り。それとほぼ同時、牡丹は学校へと到着し。
「おい、牡丹。どうしたんだよ、その顔」
一体何があったんだと、竹郎に声を掛けられ。朝の出来事を思い返しながら、牡丹はむすっとした顔をそのままに。
「左頬の引っ掻き傷は狸に、右頬はじゃじゃ馬娘にやられたんだよ」
「狸だって?」
「うん。色々あって、ウチで飼うことになってさ」
「ふうん、狸をねえ。
もしかして、牡丹の親父。……狸にも手を出したのか?」
「まさか。そんな訳ないだろう」
じろりと牡丹が睨み付けると、竹郎は直ぐにも両手を挙げ。
「ははっ。冗談だよ、冗談。でも、狸か。躾が大変そうだけど、その辺はどうなんだ?」
「そうだなあ。芒の言うことなら、ちゃんと聞くんだよな。一番懐いているから。でも、芒以外にはあまり懐かなくて、この有様だよ。まあ、飼い始めてまだ日も浅いからな」
「へえ、そうなんだ。それで、右頬はどうしたんだよ。じゃじゃ馬娘にやられたって言っていたけど、今度は一体何をしたんだ?」
「なんだよ、その言い方は。まるで俺に原因があるみたいじゃないか」
「なんだ、違うのか?」
「当たり前だろう。満月の悪戯を俺の所為にされて。濡れ衣を着せられた上に叩かれたんだ」
「へえ、それはまた。悲惨だったな」
「悲惨の一言で済むか! ずっと氷で冷やしていたのに、全然腫れが引かないんだぞ。おまけにまだ痛みも残っているし」
やはり腑に落ちないと、菊の態度を思い返しながら。牡丹はぶつぶつと愚痴を溢す。
その機嫌が直らぬ内に、ふと頭上に影が掛かり。
「牡丹くん、あの……って、どうしたんですか? その顔は」
「これは、そのー……、色々あってさ」
「……そうですね。左の頬は満月に引っ掻かれて、右の頬は菊さんに叩かれて……と言った所でしょうか?」
「おお、さすが菖蒲。その通りだってさ」
訊くまでもないとばかり、すんなり当てた菖蒲に向け。ぱちぱちと、竹郎は思わず拍手を送る。
その音を疎ましく思いながらも、牡丹は菖蒲へと向き直り。
「それで、どうしたんだ?」
「いえ、このノートが僕の鞄の中に混ざっていたので」
「あっ、俺のノート。昨日、一緒に勉強したから。その時にでも混ざったんだな」
牡丹は昨夜の状況を思い返しながら、礼を述べてノートを受け取る。
用件が済みその場を後にしようとする菖蒲であったが、そんな彼の前に突然一つの人影が遮り。その人影――腰に手を当て仁王立ちをしている女生徒は、バレットでまとめられている肩下まで伸びた髪を軽く揺らして。
「教室にいないと思ったら、こんな所にいたのね。私のこと、知っているとは思うけど、こうして直接話すのは初めてだから。一応、自己紹介をしておくわ。
私の名前は
「それはどうもご親切に。わざわざありがとうございます」
「ふふっ。別に礼には及ばないわ」
「それで、僕に何か用ですか?」
「ええ。実は、天正くんにお願いがあってね」
鄙勢はわざとらしく、そこで一度咳払いをし。続きを語ろうとするも、菖蒲が軽く頭を下げ。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「ちょっと、まだ何も言っていないんだけど」
「いえ。嫌な予感しかしないので」
さらりとそう返す菖蒲に、鄙勢はすっかり出鼻を挫かれ。けれど、またしても咳払いをすると、どうにか体勢を立て直させ。
「もう。断るのは、せめて内容を聞いてからにしてよね。
それでお願いというのは、天正くんに生徒会に入ってもらいたくて。書記の枠が空いているんだけど、ぜひあなたに頼みたいの」
本人としては、おそらく営業スマイルのつもりなのだろう。鄙勢はにこにこと、満面の笑みを浮かばせる。
しかし、そんな小細工が菖蒲に通用する訳もなく。
「お断りします」
と、またしても即座に。菖蒲は顔色一つ変えることなく、やはり淡々とそう告げる。
その返答が、鄙勢には余程不服だったのだろう。彼女は口をあんぐりと開けさせ。
「なんで、どーしてよ!?」
「はあ、そう申されても。そうですね。生徒会活動に興味がなく、且つ、プライベートの時間を確保したいので。申し訳ありませんが、お断りさせて頂きます。
それに、第一僕は既に文藝部員です。なので、他の部と――執行部と掛け持ちする気もありません」
「それでは」と簡単に話を切り上げると、菖蒲は一人足早に教室から去って行く。
そんな彼の態度に、一方の鄙勢は呆然とその場に立ち尽くしたまま。
「なんで、なんで、どーしてよーっ!??」
「どうしてって、興味がないからだと言っていたじゃないですか。会長、諦めましょうよ。天正家の人気にあやかって生徒からの支持を得ようとしている魂胆が、見透かされているんじゃないですか?」
取り乱す鄙勢に、彼女の後ろに控えていた男子生徒――
「何を言っているのよ、一回断られたくらいで。いいこと? 私の辞書に『諦める』なんて単語はないんだから。あなたも副会長で私を支えるポジションなんだから、きちんと覚えておきなさい。
よーし、こうなったら。何がなんでも絶対に、天正くんを生徒会に入れてみせるわよ!」
鄙勢は説教垂れながらもそう力強く宣言するや、先程以上に熱く燃え出す。
そんな彼女の様子を、牡丹は遠目から眺めていたが。
「菖蒲も厄介な人に目を付けられたみたいだな……」
と。なんだかまた一波乱ありそうな予兆を感じながら、同年の兄に同情を寄せた。
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