第091戦:君まじりなば 何にかはせん
学祭も無事に終わり、その日の天正家にて。夕食時。
台所から、はあと辛気臭い吐息が聞こえ。その音に、牡丹は首を傾げさせる。
「藤助兄さん、どうしたんですか? なんだか落ち込んでいるみたいですが」
「ああ、クラス企画のカレーが完売しちまったからだろう」
「えっ。完売したなら良かったじゃないですか。それのどこが残念なんですか?」
「それが、売れ残った分はもらえる算段になっていたらしいんだ」
「ああ」
そういうことかと、道松から事情を聞き。酷く落ち込んでいる四男を眺めながら、牡丹はすんなりと納得する。
その横で、梅吉はやや呆れ顔で。
「あんなに戦利品をもらっておいて、まだ欲しがるなんて。アイツも存外貪欲だよな」
と、部屋の隅に置かれている紙袋の数々に目をやりながら。溜息混じりに後を続ける。
「なんですか、その紙袋は」
「なにって、女装コンテストの時の賄賂品だよ。
そう言えば、牡丹。お前、結局一度も顔を見せなかったよな。それなのに、ちゃっかり優勝までして」
「ちゃっかりって……。別に俺がどうこうした訳ではないですよ。周りが勝手に決めたことで、俺だって好きで優勝した訳ではありません。
ていうか、そもそも顔さえ出していないのに、どうして選ばれたのか。俺自身疑問なんですけど」
「そりゃあ、インパクト勝ちだろうに。女装コンテストで公開告白なんて、前代未聞だったからな。
あーあ、お陰で俺の三年連続という記録がパーだ。でもなあ。たとえ顔見せしていても、これだもんな」
「ますます敵わないか」と梅吉は、まじまじと紙切れを眺めながら素直に負けを認める。
が。
「あの、梅吉兄さん。その手に持っているのは……」
「んー? なにって、写真だよ、写真。牡丹の花嫁姿の」
ぴらりと手に持っていた写真を見せびらかす梅吉に、牡丹は勢いよく立ち上がり。
「ギャーッ!?? どうして兄さんが写真を持っているんですか!?」
「どうしてって、宮夜ちゃんにもらったからだよ」
「本郷の奴、いつの間に……! その写真、返して下さい!」
「返せって、俺がもらった写真だぞ」
「そんな屁理屈は結構なので、早く返して下さいよ!」
どったん、ばったんと写真を巡り、突如攻防戦が勃発する。
その騒がしい音に、台所から藤助が出て来て。
「ちょっと、二人とも。家の中で暴れないでよ。せっかく念入りに掃除したんだから」
「そんなこと言われても……。よし、取った! ……って、あれ。これ、藤助兄さんの写真だ」
「えっ、俺の写真って……。牡丹、ちょっと貸して!
げっ、本当だ!? どうして梅吉が、こんな写真を持っているんだよ。お前だってコンテストに出ていたじゃないか、いつの間に撮ったんだよ!?」
「いつの間にって、そんなの、写真を撮っていた子からもらったからに決まっているだろう」
「決まっているって……」
藤助は、わなわなと肩を小刻みに震わせて。持っていた菜箸を放り投げ。
「没収――っ!」
こうして藤助も加わり、ますます壮絶とした戦いとなる中。ふとリビングの扉がゆっくりと、外側から開いていき。
「相変わらず我が家は騒がしいなあ」
仕方がないとばかりの苦笑いに続き、沈着とした声が騒然としていた室内に響き渡る。
その声音に藤助の動きはぴたりと止まり。そのまま、ぐいと梅吉を押し退け。
「天羽さん! おかえりなさい。済みません、騒々しくて……」
「いや、なに。元気そうでなによりだよ」
「そうですか? でも、聞いていた時間より、随分と早かったですね」
「ああ、一本早い新幹線で帰って来られたからな。ほら、お土産だ」
「わあっ、八つ橋ですか。ありがとうございます。食後にでも頂きますね」
「食後にって……。もしかして、まだ夕飯を食べていなかったのか?」
「はい。今日は学園祭だったので、みんなさっき帰って来たばかりなんです」
「そうか、学園祭か。
おっ、梅吉が持っているのは写真か。どれ。私にも見せてくれ」
「えっ!?」
「なんだ。私には見せてくれないのか?」
「いえ、そう言う訳では……」
「ありません」と、しどろもどろに。藤助は梅吉の持っている写真の束をちらちらと盗み見ながらも、どうにか後を続けさせ。どうするものかと迷いあぐねている傍ら、けれど、梅吉が横から身を乗り出し。
「ほら、じいさん。写真だ」
「ちょっ……!」
藤助が結論を出すより先に、梅吉は天羽へと写真を手渡す。
そんな彼を表面上はにこにこと、しかし、心の中では思い切り睨み付けながら。藤助は声を潜め。
「梅吉。分かっているとは思うけど、今日の夕飯……」
「おい、おい。ちょっと待った。お前の写真は、全部抜いておいたぞ」
「えっ。……本当?」
「本当だって。この俺に抜け目はないぜ。だから安心しろよ」
こそこそと二人の間で遣り取りがなされている横で、牡丹だけは恨めしげに。まだ回収し切れず天羽の手へと渡ってしまった写真に思いを馳せる。
そんな彼とは裏腹、一方の藤助は、現金にもすっかり安堵感に浸り出し。
「あの、夕飯ですが、できるまでもう少し時間が掛かりそうで……。どうします、先に呑みますか? おつまみなら直ぐに出せますが……って、天羽さん?」
藤助が問い掛けるも、何故か返事はなく。天羽の瞳は、じっと写真を見つめたままである。
一寸の間を空けさせるも、藤助はもう一度口を開き。
「天羽さん? ……天羽さん!」
「え……」
「あの、どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない。えっと、今、なんと言ったんだい?」
「いえ。夕食ができるまでもう少し時間が掛かるので、先に呑みますかって……」
「そうだなあ。それじゃあ、先に頂こうかな」
天羽は写真を梅吉に返すと、そのままソファに座り込み。膝の上には芒を乗せ、受け取ったばかりの缶ビールに早速口を付ける。
その様子を藤助は一抹の不審の目を以って眺めていたものの、直ぐにも台所へと引っ込み。菜箸を握り直して、焦げ掛けていた肉を急いでひっくり返した。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
太陽も顔を出したばかりの、朝もまだ早い時分――……。
天正家の台所ではふんふんと、小さい音ながらもリズムの良い鼻歌が響き渡る。
歌詞も二番に突入し、藤助はフライパンを振り上げ。中のベーコンと目玉焼きを引っ繰り返す。
「天羽さん、起きて来ないな。今日は早めに会社に行くと言っていたのに……」
ちらりと時計を眺めるが、天羽が姿を見せることは一向になく。藤助はコンロの火を止めるとリビングを出て階段を上がり、天羽の部屋の前で立ち止まる。
とんとんと、数度戸を叩くが一切反応はなく。それを返事とばかり、ゆっくりと扉を開けていき。
「やっぱり、まだ寝ている。昨日も帰って来るの、遅かったし……。
もう、しょうがないなあ」
くすりと口元に笑みを溢しながら、藤助はベッドの脇に座り込み。天羽の肩を掴むと、軽く揺すり出す。
「天羽さん、朝ですよ。早く起きないと、遅刻しちゃいますよ。天羽さん、天羽さんってば」
耳元で声を掛けながら、繰り返すこと数回。薄らとだが目蓋を開かせていく天羽に、もう少しとばかり。藤助は根気よく続け。
「天羽さんってば。本当に遅刻しちゃいますよ」
「うん……、」
「ほら、早く起きないと」
「遅刻しちゃいますよ」と、紡ぐはずが。それを遮るよう、天羽の手がするりと布団の中から伸び。
手が、伸び。藤助の頭を掴むと、そのまま自身の方へと引き寄せる。
藤助の顔は、天羽の胸板へと埋まり。くしゃりと髪の毛が音を鳴らす。
その音を、遠くに聞きながら。
「あの……、天羽、さん……?」
「……ト……カ……」
「え……、えっと……、天羽さん、天羽さん、」
「天羽さん!」と、一層と。藤助は声を上げて訴える。
その声に、天羽は漸く目を覚まし。刹那、手を離すと上半身を起こし上げ。
「藤助、その……」
「いつまでも寝惚けていないで、早く支度しないと。遅刻しちゃいますよ。俺、先に下りていますから」
「あ、ああ……」
起き上がるなり着替え出す天羽を後目に、藤助は一人先に部屋を後にし。一段ずつ、階段を下りていく。
けれど、リビングに入るなり、扉を背にして座り込み。
「トウカって……、トウカって、人の名前? 確かにそう言っていたよな。もしかして、あの傘の人の……」
「傘の人の、」と、もう一度。過去の記憶を思い返しながら、藤助はぽつりと口先で繰り返す。
虚ろな瞳をちらりと揺らし、薄ぼんやりと時計を眺めて。エプロンの端っこを掴むと力任せとばかり、彼はくしゃりと思い切り握り締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます