第082戦:見まく欲り 恋ひつつ待ちし 秋萩は

 時は、あっという間に過ぎ去り――……。


 学園祭、当日。


 二日間に渡る祭典の内、初日の本日は舞台発表――主にクラス対抗の演劇発表の日となり。各クラス、次々とこの日の為に練習してきた劇を発表していく。


 特になんの問題もなく、プログラム通り順調に進む中。そんな賑わいを見せている体育館から所離れ、二年三組の教室にて。


「いいこと? 打ち合わせ通り、アピールタイムの時間までは、絶対に顔を見せたら駄目よ。足利くんがベールアップさせて、そこで初めてお披露目だからね」

と、もう何度目になるのだろう。宮夜が牡丹にベールを被せながら、口を酸っぱくして念を押す。



「それから足利くんも。牡丹くんのこと、ちゃんとエスコートするのよ」



 そう宮夜に釘を刺されるも、

「ったく。どうして俺が……」



(しかも、牡丹の相手を。)



 しなければならないんだと、彼同様衣装に着替えさせられるも。首を絞め付けるみたくきつく結ばれたネクタイに、萩はいつも以上の気怠さを見せる。


 そんな全くのやる気を感じられない萩に、宮夜は仕方ないとばかり。一つ乾いた息を吐き出させると、そっと彼の方に歩み寄り。



「この女装コンテストは名前の通り、女装させられた男子がメインで。エスコート役は出場者の引き立て役という立ち位置ではあるけど、それは表向きで。審査には関わらないはずなんだけど、でも、それでもやっぱり自然と順位に影響を与えちゃうのよね」


「はあ……? おい、一体何が言いたいんだよ」


「だから、エスコート役は、どこのクラスもほとんどクラス一のイケメンが務めるのよ。この意味分かる? 陰の功労者とでも言うのかしら。コンテストの主旨とは無関係な存在のはずなのに、時には出場者よりも目立ってしまって票を集めちゃうこともあるってこと。

 つまり、このコンテストは、女装&ミスターコンテストなのよ。まあ、エスコート役のお陰で入賞できても、結局称えられるのは出場者だけなんだけどね」



 ふふんと得意気に述べる宮夜だが、しかし。やはり萩には彼女の意図は理解できず。一体何が言いたいんだと、彼の態度は変わらない。


 胡散臭い顔で見つめ返して来る萩に、宮夜はじれったそうに。



「もう、鈍いわね。だからあ」



 そっと、彼の耳元に顔を寄せさせ。


「好きな子に良い所を見せられる、絶好のチャンスってことよ――」

と、一言。ぼそりと小声で囁いた。



「へっ……、なっ……!」


「だって、そうじゃない? こんなにめかし込んだ姿でステージに立てるのよ。しかも、学祭マジックとでも言うのかしら? こういう日常から離れたイベント中って、不思議といつもとは雰囲気が違く……、いつもより素敵に見えるものじゃない? 足利くん、ルックスだけはいいんだから」



 ――刹那、萩の中でかちりと変な音が鳴り響き。



(……ああ、そうだ。確かにそうだ。今の牡丹は、女装という情けない格好までしているんだ。そんな無様なアイツの隣に並べば、紅葉さんだって。

『キャーッ、萩さん素敵! チビで女々しい牡丹さんなんかとは違って、なんて男らしくてカッコイイのかしら。私ってば、どうかしていたのね。牡丹さんが好きだなんて、今まで勘違いしていたみたい』なーんて思ってくれるに違いない……!)



 萩は、ちらりと牡丹の方を眺め。



(ふっ……、牡丹よ。)



 精々俺の引き立て役になるんだなと、単純にも宮夜の話術にはまり。萩は一人、自身の繰り広げる妄想にどっぷりと。自然と込み上げて来る感情を抑え切れず、不気味にも高笑いを上げ出した。






 閑話休題。






 こうして萩の陰謀に牡丹は全く気付かぬまま、時は刻一刻と進み。遂に問題の、コンテストの時間が訪れ――……。


 文化祭実行委員の案内に従い牡丹は萩に支えられる形でステージへと壇上するも、隣でにやにやと、すっかり己の妄想に憑り付かれている萩とは裏腹。鬱蒼とした面持ちで、床ばかり見つめている。


 けれど、ふと横から聞き慣れた声が掛かり。



「おう、牡丹。今日はライバル同士だな」


「ん……? その声は……、げっ、梅吉兄さんっ――!??」



 声のした方へ顔を向けると、そこにはやはり予想通りの人物が――否、全く予想もしていなかった格好をして立っており。


 それを目にした瞬間、牡丹はげんなりと眉を歪ませる。



「梅吉兄さんに、それから桜文兄さんも。どうしてここに。それに、兄さんのその格好は一体……」


「どうしてって、そんなの、俺も出場者だからに決まっているだろう。この格好を見れば、直ぐ分かるだろうが。ちなみに桜文が俺のエスコート役だ。

 それより、どうだ。このチャイナ服、なかなか似合っているだろう? 良い男ってのは、どんな格好も似合うからな」



 そう言うと、梅吉はその場でくるりと軽く回って見せる。その動作に合わせ漆黒色の長髪が大きく靡き、細かな刺繍の入った深紅のドレスがチカチカと目に突き刺さる。


 ファンサービスの如く観客達に満面の笑みで愛想を振り向いている次兄に、その強靭な精神が心底羨ましいと。牡丹は思わずにはいられない。



「ていうか、まだ始まらないのか?」


「そう言えば、そうですね……」



 ちらりと実行委員の方に視線を向けると、彼等はばたばたと慌しく辺りを駆けており。その中心には文化祭実行委員・委員長を務める女生徒――戸田とだ憲美かずみが、セミショートのすっきりとした髪を軽く揺らし。ブラウン色の太いフレームをした眼鏡のツルに指先を当てながら、口角を上げさせていき。



「三年二組がまだ来ていないようですが、呼び出し係の者は何をしているんですか?」


「それが、迎えに行った切り全然戻って来なくて。先程から何度も無線で呼び掛けているのですが、ちっとも応答がなくて……。

 あっ、やっと繋がりました!」



 その委員同様、憲美も左耳に差していたイヤホンに耳を傾けると、その直後、

『嫌だ、嫌だ! やっぱり無理だよ、こんなの!』



『無理って……。ジャンケンで決まったことだ。今更あーだこーだ言っても仕方ないだろうが』


『そんなこと言われても。やっぱり無理だよ、こんなのっ……!』



 イヤホン越しにギャーギャーと、悲鳴混じりの声が響き渡り。そこで一度通信が切れるが、再び繋がり。



「委員長、聞こえましたか? こんな感じで出場者の藤助先輩、教室に閉じ籠った切り、ちっとも出て来る気配がありません。道松先輩が宥めているのですが、効果はなく……。

 どうしましょう。三年二組は棄権ですかね」


「……いいえ。このコンテストは、学祭の伝統行事。大切なイベントなのに、一組でも欠けが出るなんて。選りにも選って私のクラスが――そんな不祥事、絶対に許さない」



 そう言うと、憲美は顔色一つ変えることなく一定の歩幅で壇上から下り。直ぐそこの放送室へと入って行く。


 彼女が姿を消してから数秒後、甲高いチャイムの音が校内中へと鳴り響き。



「えー、教室に立て籠もっている、天正藤助くんに告げる。今から一分以内にきちんとコンテストに臨む格好で会場に来れば、もれなく高級柔軟剤レモア・イノセントを贈呈しよう。

 繰り返す。今から一分以内にきちんと衣装に着替えて会場に来れば、レモア・イノセントを贈呈する。それでは秒読み一分前、五十九、五十八、五十七……」


「まさか藤助兄さんも出場者だったなんて……。

 それにしても。いくら藤助兄さんでも、そんな物に釣られる訳……」



「ないじゃないか」と、牡丹が言い切る前に。会場の外からどたどたと、慌ただしい音が響き出し。がらりと扉が開かれたかと思えば、クラシカルなデザインのメイド服に身を包んだ藤助が、丈の長いスカートを物ともせず。豪い剣幕で真ん中に拓けた通路を駆け抜け、そのままステージの上へと半ば飛び跳ねるようにして上がり込んだ。


 そして、憲美へと狙いを定め。



「あの! さっきの話は本当ですかっ!?」


「話って、柔軟剤のことかしら? 約束通り、これは君の物よ。はい、どうぞ」


「ふわああっ……! 本当に、本当にイノセントだ……!

 石川さんから話を聞いて気にはなっていたけど、でも、自分では絶対に買えないなって。諦めていたのに。

 これ、本当にもらってもいいんですか!?」


「ええ。私の家、薬局なのよね。だから、こういう製品をたくさん扱っているの」


「わーい、本当にありがとうございます! これで前より洗濯物の仕上がりがよくなるぞーっ!」



 念願の柔軟剤を手に入れ。嬉しさのあまり、藤助はくるくるとその場で回り出す。が、不意に我に返ると同時、どさりとその場に座り込み。


「所詮俺のプライドなんて、九百八十円以下なんだ……」

と、柔軟剤は強く胸に抱いたまま。ずんと重い影を背負い込む。


 そんな兄の姿に牡丹が言い表しようのない感情を抱いていると、観客側から急に黄色い声が上がり出し。そちらに顔を向けると、またもや見覚えのある人物が――全身を黒に染めた格好で、燕の尾のような裾を翻しながら。駆け足で通路を通り抜け、そのままステージへと上がる。



「おい、藤助。置いて行くな。しかも、柔軟剤なんぞに釣られやがって……。

俺はいつかお前が体まで売りそうで怖いぞ」


「ううっ、道松……。だって……、だって、これはただの柔軟剤じゃないんだもん。高級ホテルの部屋みたいな繊細で上品な香りに、柔らかで滑らか、ふんわりとした肌触りに仕上がるんだよ!?

 石川さんだって、一度使ったらもう手放せないって。すごく絶賛していた代物なんだから!」


「だからってなあ……」



 もらったばかりの柔軟剤をがっしりと抱き抱えている弟に、道松はそれ以上何も言えず。代わりに呆れ顔を浮かばせる。


 結局、いつもの如く。天正家のメンバーが続々と集合する中。牡丹の複雑な心中とは裏腹、こうしてコンテストの幕は騒々しくも開けていった。

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