第078戦:恋しけば 形見にせむと わが屋戸に

 人々が行き交う路地の中、三人は雑音の波に呑まれながらも互いを探り合うよう。無味にも、ただ構え続け。



「なあ、時城。……俺達、やり直さないか?」


「はあ? やり直すって……」



 時城はその場に立ち尽くしたまま、じっとミノリの瞳を見つめ返し。


 一呼吸置かせると、漸く震える口先をどうにか動かす。



「何を言っているの? 別れようって言い出したのは、ミノリの方じゃない。それなのに、どうして……」



 ミノリは、一瞬顔を逸らすが直ぐにも元に戻し。けれど、質問に答えることは決してなく。



「道理で全然連絡して来なくなったと思ったら、そういうことだったのか。俺に隠れて、ずっとそいつと会っていたんだな」


「だから、藤助くんとはそういう関係じゃないって。言っているじゃない!

 それに、それを言うならミノリだって。浮気していた癖に、人のこと、どうこう言える立場じゃないでしょう」


「だから、あの子はただのゼミの後輩だって。何度も言っているだろう!」


「なによ。ただの後輩と、腕を組んで歩いたりするもんですか!」


「だからあ。あれはちょっとした気の迷いだろう。それくらい分かれよ」


「ちょっとって……。ちょっとでも、浮気は浮気じゃない!

 大体、あの日は映画を観に行くって約束していたのに。それなのに、用事ができたなんて嘘吐いてまで、他の女の子とデートするなんて……」


「それは本当だって。嘘吐いてねえよ。急にその予定がキャンセルになったから、あの子と遊んでいただけだ。

 お前だって、連絡しても全然出なかった癖に」


「それは……」



 流暢にも動いていた口は突如勢いを失い、時城は小さく口籠り出す。


 何も言い返せず俯く彼女に、ミノリは追い打ちを掛けるよう。



「どうせお前だって、そこの僕と楽しんでいたんだろう?」


「だから、それはっ……」



 やはり二の句を告げない時城は、下唇を噛み締めながら。互いの手を組み、指と指とを絡ませる。


 その指先が、藤助の瞳にちらりと映り。



「あ……、あの!」



 気付けば彼は、二人の間に割り入っていた。



「俺が口を挟むのもどうかとは思いますが、それでも敢えて言わせて頂きます。ここの所、俺と小長狭さんが会っていたのは本当です。でも、彼女の言う通り、俺達はあなたの思っているような関係ではありません。

 俺のことが気に障る気持ちは分かりますが、けど、そんなに気に掛かることですか? それは、彼女の指の傷より気になることなんですか……?」


「指の傷だって……?」



 漸くミノリは彼女の指先に目をやり。口を閉じたまま、ただじっと見つめる。


 けれど、それについて特に言及する様子は見られず。藤助は、じれったそうに後を続け。



「どうしてあなたが気付いてあげないんですか? あんなに指に絆創膏を貼っていたら、普通なら、おかしいって。何かあったのか、心配になると思います。

 ……俺、小長狭さんに料理を教えていたんです」


「料理って、君が……?」



 ミノリは、藤助を一瞥し。



「冗談だろう」



 直ぐにもそう返した。



「嘘を吐くなら、もっと真面な嘘を吐けよ。どうして君みたいな高校生から、わざわざ料理なんか習うんだよ」


「嘘って……。嘘じゃありません、本当です。どうしてあなたが信じてあげないんですか?

 俺、出逢ったばかりで小長狭さんのことあまりよく知りませんが、それでも彼女の傍にずっといたから。彼女が嘘を吐くような人ではないって、それくらいは見極められます」


「ふうん、ずっと傍にねえ。けど、いくら可愛い顔をしていても、所詮は高校生だ。

 おい、時城。お前だってこんな子供が相手で、禄に満足なんてできないだろう? ただでさえ俺達、体の相性も良かったんだ」


「え……、なっ――!?」


「あれ。もしかして、まだだった? 耳まで真っ赤にさせちゃって。若いって、いいね」



 ミノリはくすくすと、小さな声を上げて笑い出し。その嘲笑に、藤助の肢体には更に熱が帯びる。



「どうやって知り合ったかは知らないが、俺の話でもされて絆されちゃった? 確かにコイツ、いい身体しているからな。高校生ってそういう年頃だし、無理ないか」


「なっ、なんで……、どうしてそう言うことしか言えないんですか!?

 確かに小長狭さんは強引で、やることも空回ってばかりで。お調子者で、上手になったと思った矢先に油断して包丁で指切っちゃうし、お酒を飲むと直ぐ酔っぱらって、俺がいるのにお構いなしで気持ち良さそうにぐーぐー寝ちゃうし。無防備で危なっかしくて、でも、いつも真っ直ぐで前向きで。一生懸命で、ほっとけなくて……。

 だから、だから……。俺は、小長狭さんのそういう所が好きなんです――!」



 ぜいはあと、肩で息を繰り返し。思うがままに吐き出すと、藤助はすっかり乱れた呼吸を整える。


 けれど。



(あれ……。俺、今なんて……。)



 言ったんだろうと、呟くよりも先に。自ずと冷静さを取り戻していく脳内で、勝手にリフレインされ。自然と頬に、先程以上の熱が集まる。



「へえ、なんだ。やっぱりそうなんだ。ふうん……。

 おい、時城。俺とこの高校生と、どっちが……」



 くるりと藤助から視線を変え、ミノリは時城へと視線を定めさせるも。


 刹那、パンッ――! と、乾いた音が綺麗に鳴り響く。その出所は、時城の手元からであり。



「……いい加減にして。昔のミノリだったら、そんなこと、絶対に言わなかった。誰かと比べることで優越感に浸って安心するような、そんな方法でしか自信を持てない安っぽい男じゃなかったわ。

 確かに誰からも頼りにされて、いつも堂々としていて、自信に満ち溢れていて。そんなミノリのことが、私は好きだった。でも、もう違う。今のあなたは、周りに持て囃されて自惚れているだけよ。

 なんて、変わっちゃったのは私もかもね。自分ではよく分からないけど……」



 時城は、すっと地面から顔を上げ。



「私が良い女だって、今更気付いても遅いわよ。そんな人を見る目がない男、こっちから願い下げよ。逃がした魚は大きかったわね。

 それから一つ言っておくけど、女は男のプライドを守る為の道具じゃないんだから」



 ふふんと口角を上げ。勝気な瞳を揺らす時城に、ミノリはそれ以上何も言わず。ただ黙って背を向ける。


 静まり返った路地の中、時城は藤助へと向き返り。



「えっと、藤助くん。ごめんね、大丈夫だった?

 ……藤助くん?」


「あ……、あの、俺、俺……。今のは、その、違くて……。えっと、だから、だから、その……。

 済みません……!」


「えっ。ちょっと、藤助くん!?」



 時城の静止を求める声を振り払い。それだけ言うと、藤助はその場から走り出す。


 人混みの中を駆け抜けながら。



(なんで、どうしてあんなこと言っちゃったんだろう。

 分かっているのに、分かっていたのに。

 相手にされていない以前に、好きになってもしょうがないのに、選べないのに。

 どうしよう、体が熱い。

 なんで、どうしてっ……!)



 独りでに動いていた足は、徐々に速度を落としていき。乱れる息をそのままに、藤助は傍らのショーウィンドウに映る自身を眺め。



「……なんだ。いくら背伸びをしても、ちっとも大人になんか見えないや……」



 そっと窓に手を当てると、ひんやりとした温度が内側へと伝わっていき。熱を帯びた身体を、気休め程度に冷やしていく。


 もう一度、鏡越しに自身の姿を眺めると、藤助は残る熱をそのままに。ふらりと朧気な足取りで、再び歩き始め。


 気付けば……、いや、気付かぬ内に。いつの間にか彼の意識は遮断されていた。

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