第077戦:ただありあけの 月ぞ残れる

(もう会うことなんて……。)



 ないと思っていたのに――、と。スマホの画面を見つめながら。薄暗い室内で、藤助は一人ぽつりと呟く。



(お礼に食事でも、か。お礼なんて、だって俺は、)



 結局何もできなかったのに――、と。自然と下がる頭をそのままに、彼は虚ろな瞳を揺らし。しかし、頭で考えるよりも先に、無意識に動く指先に従っており。






 暗転。






 藤助は、ぱちんとコンロの火を止め。



「うん、これでよし。さてと。夕食の準備も終わったし」



 ちらりと、壁に掛かっている時計を眺め。



(これで、最後にするんだ。これ以上は、もう……。最後にちゃんと挨拶をして、それで。

 あ、そうだ。着て行く服、どうしよう。食事に行くのに、さすがに制服は……。)



 首を軽く左右に振り、藤助は自室に行ってクローゼットを開けるも。いくら探せど、出て来るのは安さが売りのお店でまとめて買った、適当なシャツやジーパンばかりであり。



(そうだった。俺、服なんて……。)



 全然持っていなかった――っ!!? と。中身を引っ繰り返して改めて見るが、やはり結果は変わらず。


 うんうんと頭を捻らせて考えた末、彼は隣の部屋を軽くノックし。中から聞こえて来た返事を聞くや、そっと扉を開け。



「あのさ、道松」


「なんだ、どうした」


「いや、その。服を貸して欲しいんだけど……」


「服だと?」



 雑誌を眺めていた道松だが、藤助の顔を見つめ返し。一拍置くと立ち上がり、クローゼットの前へと移動する。



「それは構わないが、それで」


「それでって?」


「だから、どういう服がいいんだ?」


「ああ、えっと。そしたら、その……、できるだけ大人っぽく見えるのがいいかなって」



「そうか」と一言、返すと道松はクローゼットへと向き直り。中から何着か服を取り出し。


「これでいいか?」

と、道松の選んだ服に身を包んだ藤助は、鏡を前に自身を見つめるが。



「うん……、自分だとよく分からないや。どう、かな……?」


「なに。俺の弟なんだ。もっと自信を持て」


「なに、それ」



「変なの」と、そっぽを向く道松を横目に。藤助は、くすりと小さな笑みを溢し。もう一度、「変なの」と。薄らとだが、赤く染まっている耳を見つめながら繰り返した。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 思いの外、支度に時間掛かってしまい。急がなければと小走りで、藤助は駅の改札口を潜り抜ける。すると、直ぐにも脇から声が掛かり。



「あっ、藤助くん! こっち、こっち!」


「済みません、遅くなってしまって」


「ううん、私も来たばかりだから」



 にこりといつものような笑みを浮かばせる時城に、藤助は一瞬息を詰まらせるが、しかし。彼女に倣い、ぎこちないものであったものの、咄嗟に笑みを取り繕う。



「これから行くお店なんだけど、この前、偶然見つけた所なの。最近できたばかりみたいなんだけど、とっても美味しそうで……。

 あっ、ここよ、ここ!」



 早く入ろうと、急かす時城に促され。扉を開けると、カラン、コロンと甲高い鐘の音がそっと鼓膜を揺すらせる。


 店に入るなり、ウェイターに案内され。窓際の席に着くと藤助は時城に倣ってメニュー表を捲るが、刹那。彼の瞳が大きく見開いていき――。



(高っ――!??

 え、うそ、あれ、何これ……。レストランって、どこもこんな値段なの? それとも、ここの店が特別に高いだけ? イタリア産生ハムプレートの一皿だけでも、ウチの一日分の食費を養える値段だ。

 写真がないから、メニュー名だけだとどんな料理かも全然分からないし……。)



 見慣れない数字と、見慣れない横文字に。藤助の顔は無意識の内にも歪み、くらくらと眩暈がし出す。


 けれど。



「藤助くん、決まった?」


「へっ!? えっと、済みません。まだ……」


「それじゃあ、コースメニューにしない? 私もここのお店に入るのは初めてだから、何を頼めばいいかよく分からないし」



 その提案に藤助が頷いてみせると、時城は早速店員に向かって声を掛ける。


 そして、適当に談笑をして時間を潰している間に、次々と料理も運ばれ。



「どう? 美味しい?」


「えっと、はい。とっても……」



 時城につられるよう、藤助も頬を綻ばせるが。



(どうしよう。全然味が分からない……。

 よく考えたらこのコースメニューって、ウチなら二日分の食費を養える値段だったよな……。)

と。頭の中は、相変わらず値段のことばかりで。食べている気が全くしないと、薄っすらと口元を苦ませる。


 結局、よく味が分からぬまま。勿体ないなと自己嫌悪に浸りながらも藤助は食べ進めていき。



「あの、ありがとうございました。その、ご馳走様です」


「いいのよ、そんな。気にしないで。今日の食事会は、今までのお礼なんだから。

 あっ、勿論約束のお菓子も。ちゃんと用意するからね」



 鞄に財布をしまいながら、時城は、「美味しかったね」と。満足そうに後を続ける。


 そんな彼女を余所に、藤助は目を伏せ。



「……あの。お菓子ですが、やっぱりいいです」


「えっ。いいって、いらないってこと? どうして?」


「いえ、その。結局俺、何もできませんでしたし、それに、それに……」



 時城の絆創膏だらけの指先を見つめながら、藤助は小さく口籠る。喉奥には待機しているものの、上手く後が続かず。徒らに、時間ばかりが過ぎていく。


 こてんと首を傾げさせる時城を前に、藤助は漸く決心を固め口角を上げさせるも。


 不意に横から、

「――あれ、時城?」

と、少々間の抜けた声が二人の間を遮り。一瞬の内に、意識を全て持っていかれてしまう。


 時城の視線は藤助から、自然とその声の発し主へと移動し。勿論、いや、自然の摂理みたく。藤助も彼女につられ、その男を、

「えっ……、ミノリ……?」


 そう時城が名を紡いだ男を、同じようにじっと見つめる。


 男はアルバムで見た姿よりも、実際に本物を前にして。あの頃の面影を残しつつも背は伸び、体付きも一段と逞しくなっているように感じられる。


 異様な空気が流れる中、時城は俯いたまま、ゆっくりと口を動かし。



「なんでミノリがここに……」


「なんでって、サークルの飲み会。これから二次会で、次の会場に移動している途中」


「ふうん、そうなんだ……」



 自分から質問しておいて、その割には興味なさ気に。彼女は、ぶっきら棒にそう返す。ちらりとミノリの後方に視線を流すと、彼と似たような年頃の男女が何人も並んでおり。彼の言い分は、どうやら正しいようであった。



「そういうお前は……、なんだ。もう新しい男ができたのか……って、あれ。それにしては、幼いような……」



 傍らに控えていた藤助の存在に漸く気が付くと、ミノリは目を細め。じろじろと、自身の顔を近付けて彼を眺め回す。



「君、歳いくつ? もしかして、高校生?」


「はい、そうですが」



 藤助の返答に、ミノリは変わらず舐め回すみたく。彼のことを頭の天辺から足の爪先まで、丁寧に見直す。


 そんな彼に構うことなく、時城は藤助の手を取り。



「なによ。別に私達、ミノリが思っているような関係じゃないし、大体、ミノリにはもう関係ないでしょう。行こう、藤助くん」



 それだけ言うと、その場を後にしようとするが、しかし。ミノリは咄嗟に彼女の腕を掴み取り。



「おい、ちょっと待てよ。なあ、時城。……俺達、やり直さないか?」


「はあ? やり直すって……」



 時城はぎこちない仕草でミノリの方を向き直り。じっと、微弱ながらも小刻みに身体を震わせて彼の瞳を見つめ返す。


 人々が行き交う雑踏の中、双方……、いや、藤助をも巻き込むような形で。三点の位置は変わることなく、人工的な明かりの下、ただただその場に立ち続けた。

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