第062戦:梅の花 散り乱ひたる 岡びには

 試合が始まる前から一悶着あったものの、戦いの舞台も整い。ホイッスルの音を合図に、選手はコートの中央へと集められる。


 これから戦う敵を前にして、互いの陣営から一層と緊迫とした空気が醸し出されるも。



「おい、牡丹。分かっているだろうな。さっきは引き分けで終わったが、今度こそ決着をつけてやる!」


「ああ。ルールは変わらず、シュートを多く決めた方だったよな?」



 そう確認し合うと牡丹と萩は、目の前の選手とではなくバチバチと互いに火花を散らさせる。すると、外から「お前等、いい加減にしろよ」と、淡々とした竹郎の声が掛かる。


 そんな二人の様子に、梅吉はにたりと気味の悪い笑みを浮かばせ。



「なんだよ。相変わらず、お前達二人は仲が悪いな。仮にも一時だけとは言え義兄弟だった者同士、もう少し仲良くできないもんかねえ。

 大体、シュート数を競った所で、意味なんてないだろうが。それで、その勝負に一体何を賭けているんだ?」


「何って、そんなのプライドに決まっているじゃないですか」


「プライドだと? どうせ賭けるなら、もっと実用的な物を賭けろよ」


「いいんですよ。男と男の勝負なんですから」


「暑苦しいねえ。俺だったら、そうだなあ……って、それだっ――!」


「はあ……?」



「どれですか?」と、牡丹が尋ねるよりも先に。梅吉は応援席へと走り寄り。



「かーこーちゃん! どう、特等席は?」


「先輩っ!? えっと、その……、落ち着かないです」


「なんで? とっても見易いでしょう」


「確かに見易いですが、でも、周りは三年生ばかりで。それに、選手でもないのに、ベンチに座っているのも悪いですし……」


「そんなこと気にしなくてもいいのに。

 それより栞告ちゃん。この試合、俺のクラスが勝ったらさ、ほっぺにキスして」


「えっ……。ええっ――!??」



 素っ頓狂な音を上げると同時、栞告の顔は一瞬の内に真っ赤に染まっていく。



「なんで? 嫌?」


「嫌とか、そういう問題じゃなくて……」


「それじゃあ、決まり! 俺、絶対に勝つから」


「あああ、あの、先輩っ。待って下さい……って、行っちゃった……」



 栞告は咄嗟に手を伸ばすが、掴んだのは空虚ばかりで。その背中は虚しくも、直ぐに遠ざかってしまう。



「でも、ウチのクラスも強かったし、そう簡単には……」



「勝てないよね」と、栞告は自身に言い聞かせるも。



「よーし、まずは一本――!」


「もう一本!」


「さらに一本!」



 開始早々、梅吉の手からポンポンとボールが放たれ。シュートが決まる毎に、栞告の顔はますます赤く染まっていく。


 彼女の不安を余所に、時間の経過と共に点差はどんどんと開いていき。次第に栞告ばかりでなく、牡丹等の顔色も変化し始め――。



「おい、牡丹。お前の半分だけ血の繋がった兄貴は、何者なんだよ。あの人、確か弓道部だろう。もう一人の方は背が高いからまだ分かるが……」


「あの人達は、ああいう人なんだよ。やっぱり兄さん達は手強いな。

 おい、萩」


「ああ。仕方ないが、一先ずお前との勝負はお預けだ」



(まだ紅葉さんに試合を見てもらえていないのに、ここで負けたら意味がないからな。)



 萩は心の内でぼそりと呟き。



「おい、萩!」


「ああ。ほら、絶対に決めろよ」


「言われなくても分かってるって――!」


「よし、取り敢えず一本!」


「いいぞー! その調子で、ガンガン攻めていけーっ!」


「モテない男の意地を見せてやれーっ!!」



 やんや、やんやと些かむさ苦しい声に励まされる中、こうして二人の間に一時休戦協定が結ばれ。二の三陣営は敵に遅れを取りつつも、徐々に軌道に乗り始める。


 着々と埋まっていく点差に、梅吉はちらりと瞳を揺らさせ。



「ふうん。あっちのポイントゲッターは、牡丹と萩の二人か。となれば、この二人さえ潰せば勝ったも同然……!」



 果たしてこの時、梅吉の瞳が怪しく光っていたことに、気付いていた者はいただろうか。おそらくそれは、観客の中にも誰一人としておらず……。



「いいぞ、そこだーっ!」


「あの、与四田さん。試合はどうなっていますか?」


「ん? おお、甲斐さんか。応援に来てくれたんだ」


「はい。私達のクラス、どの種目も全部敗退してしまったので」


「そっか。それは残念だったね……って、へえ。天正菊も一緒とは」



 意外だなあと、思ったものの。その続きを声に出すことはなく、竹郎は目だけで訴える。



「私がいたら問題でもありますか?」


「いや、そんなことは。ただ、やっぱり牡丹のことが気になるのかと思って」


「誰があんな変態のことなんか。この子を一人にさせるのが心配なだけです」



 紅葉に視線を向けながら、菊はいつもと同じ調子でつんと冷たく言い除ける。


 その返事に、竹郎はふうんと上辺だけで返し。



「でも、よく来てくれたね。あっちには学園の支配者が二人もいるお陰で、こっちはすっかりこの有様。閑古鳥が鳴いているよ。おまけに今の所、敵側が優勢だしなあ」


「でも、その分、応援のし甲斐がありますね」



 紅葉は一人意気込むと、すうと小さく息を吸い込み。


「牡丹さーん、頑張って下さーい!」

と、薄らと頬を赤く染めながらも、牡丹に向かって声を掛けた。


 が。


 その声はお目当てであった牡丹よりも、丁度彼女の存在に気付き、近くまで駆け寄っていた萩の耳に留まり。刹那、雷に打たれたかのようなショックを受けると同時、彼は膝からがくりと崩れ落ちた。



「おい、足利! 何をやっているんだよっ!?」


「ふざけていないで、早く立て!」


「あれ。あそこで倒れているのって、もしかして萩さん?

 ねえ、菊ちゃん。萩さんって、体があまり丈夫じゃないのかなあ?」


「……さあね」



 おどおどとしている紅葉とは裏腹、菊は、「どうかしら」と。しれっとした顔のまま適当に応える。


 そんな彼女等の傍らで、本来なら純粋な応援の声も、時には刃になりうる場合もあるのかと。ひしひしと感じながらも、竹郎は呆れた顔で一つ乾いた息を吐き出させ。



「ったく、しょうがねえなあ。足利ってば、世話の掛かる……。

 あのさ、甲斐さん。悪いんだけど、一つお願いがあってさ。そのー……、足利の応援もしてやってくれないかな?」


「萩さんの応援ですか? ええ、いいですよ。

 萩さん、大丈夫ですか? 頑張って下さい」


「はい、紅葉さん。応援して下さったあなたの為にも……」



「必ずやこの手に勝利を」と。いつの間にか紅葉の目の前まで移動した萩は、彼女の手をがしりと握り、真っ直ぐにその瞳を見つめて述べる。



「えっと、その、頑張って下さい。でも、お体の具合は大丈夫なんですか? あまり無理なさらない方が……」


「なに、これくらい。紅葉さんの心配には及びませんよ」


「おい、足利。いいから早くコートに戻れ」



 萩が強制的にコートに放られる、五秒前のできごとだ。


 見事復活を遂げた萩に、梅吉は気が付くと彼の傍らへと寄り。



「なんだ、もう持ち直したのか。それにしても、お前もめげないねえ」


「めげないとは、一体何の話ですか?」



(なにしろ紅葉さんが応援してくれているんだ。こんな所で、無様に負ける訳にはいかない。それに、勝利の女神がついている今の俺は、まさに無敵っ……!)



 萩は一人先走って勝利を確信し、すっかり調子に乗ったまま高笑いを上げ出す。


 が、それを聞かされながらも梅吉は、再び彼に狙いを定め。



「だってさー、付き合っていないとは言いつつ。牡丹と紅葉ちゃん、この間、デートしていたしさー。あの牡丹がデートだぞ? まさか、牡丹がデートするなんて。しかも、相手は紅葉ちゃんだもんなー」


「へっ……!? でっ、デートって……」


「あれ。なあんだ、知らなかったのか。牡丹と紅葉ちゃんが水族館デートした話、聞いていなかったのか。ふうん、そうか、そうか」


「水族館デートって、デートって、そんなっ……!」



 その三文字は、たった三文字であったにも関わらず。萩の精神にダメージを与えるには充分過ぎるほどで。


 その文字をぐるぐると頭の中で巡らせながら、彼はまたもや愕然とその場に崩れ落ちた。



「ふっ……。これくらいちょろい、ちょろい。

 そんじゃあ、お次のターゲットは……」



 梅吉は、ちらりと放心状態の萩から牡丹へと視線を変え。



「可愛い弟には悪いが、ここは勝たせてもらわないといけないからな」


「それを言うなら俺だって。なにせ焼肉食べ放題が懸っているんですから。萩に何を言ったかは知りませんが、俺はアイツみたいにそう簡単にはやられませんよ」



 再び使えない状態になっている萩を後目に、一層と闘志を燃やす牡丹を前に。梅吉は、にやりと白い歯を覗かせながら一呼吸置かせ。



「そこまで言うなら、こっちだって受けて立ってやるよ。

 えー、可愛い弟よ。お前は小さい頃、近所のお姉ちゃんから着せ替え人形にさせられていたんだってな。ぴらっぴらのフリルがたっぷり付いた服、いーっぱい着させてもらっていたなんて。羨ましいなあ」


「えっ……。なっ、なんで兄さんがそのことを……!」



 知っているんですかと、問うよりも先に。梅吉は、ふふんと口元を緩ませ。



「なんでって、お前の義理の弟から聞いたからだよ。アイツがウチに乗り込んで来た日、お前が帰って来るのを待っている間、昔話はたんまり聞かせてもらったからなあ」



(アイツ――っ!!?)



 よくも余計なことをと、牡丹は咄嗟に萩に鋭い視線を送り付けるも、彼はとっくに意気消沈していて気付いてはおらず。その刃に似た睨みは、何の効果も果たさず。


 一方の梅吉は、にやにやと気味の悪い笑みを浮かばせたまま。ポケットから、すっ……と何かを取り出し。



「我が弟ながら、なかなか似合っているじゃないか。ふうん。これならどこから見ても女の子にしか見えないなあ」


「ひいいっ!?? なんで写真まで持っているんですか!? 返して下さい!」


「へー。この格好もなかなか……」


「ちょっと……。お願いですから、返して下さいよ!」


「ほー、こういう格好も可愛いじゃないか」


「本当に返して下さいって!

 ……うっ……、梅吉兄さんの、ひとでなしの女たらしーっ!!」


「……ふうん。牡丹って、俺のことをそんな風に思っていたんだ」



 牡丹が悪足掻きとばかり、罵詈雑言するも。返って次男の反感を買ってしまったのだろう。


 梅吉は一瞬冷やかな面を浮かべさせるも、直ぐに笑みを取り繕い。一拍の間を空けると、「そーれ!」と掛け声を上げながら、手に持っていた写真を天高くへとばら撒いた。



「ギャアーッ!!? ちょっと、何するんですかーっ!!?」


「んー? どうせなら、みんなにも見てもらおうと思ってな」


「見てもらわなくて結構です! 誰にでも葬りたい過去の一つや二つ、あるんですから。そっとして置いて下さいよ!」


「おい、牡丹。何をやっているんだよ! 写真じゃなくて、ボールを追い掛けろよ!」


「そんなこと言われたって……。

 あーっ、ちょっとそこ、見ないで下さいー! 写真も返して!」


「そーれ、こっちにもー!」


「なななっ……、本当に何枚持っているんですか!?」


「そんなこと訊かれて、敵に持っている弾の数をばらす奴なんているとでも思っているのか? 我が弟ながら、考えが甘いな。そんなんだと、戦場では生き残れないぞ。

 ほーら、今度はこっちだ」


「いーやーっ!?

 済みませんでした、ごめんなさい。申し訳ございませんでした。さっきの言葉は撤回します。俺には勿体ないくらい、梅吉兄さんは素敵なお兄様です。なので、とにかく許して下さい」


「今更そんなことを言われてもなあ。どうせ俺は、ひとでなしの女たらしだしー」


「本当に済みませんでした。お願いします。なんでもしますから、どうかそれだけはっ……!」



 ぴらぴらと花弁みたく写真が舞い散る中、牡丹は必死の形相で梅吉の足に縋り付くが、彼の動きは変わることなく。いつまでも、大量の写真がその手から出続けた。


 その間にも、試合は普通に続けられ。梅吉は器用にも写真をばら撒き牡丹を翻弄する傍ら、確実にシュートを決めていき……。



「こんなの……、こんなの、反則だーっ!!」



 この人だけは、絶対に敵に回してはいけないと。そのことを、深く己の中に刻みながらも。終盤の方は萩同様、牡丹もとうとう屍みたく床に突っ伏し。たださめざめと、大粒の涙を流し続けた。

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