第030戦:折りつれば 袖こそにほへ 梅の花

 前回、栞告と密会していた梅吉が、ずるずると穂北に首根っこを掴まれ引き摺られていたまさにその頃。


 時を同じくして、ここ剣道場では――。


 はあと湿った息が、道場内に静かにも響き渡る。その息の出所は、天正家六男・牡丹の口からである。


 彼はもう一度、汗ばんだ顔をタオルで拭いながらも、先程より大きな息を吐き出した。



「どうした、牡丹。大丈夫か?」



 そう牡丹に声を掛けたのは、同じく剣道部所属の鎌倉かまくら雨蓮あまはる――。


 すらりと伸びた手足に細身の身体ながらもがっしりとした体付きをしており、すっきりとした鼻筋に相応しい凛とした瞳を携えている。


 雨蓮は座り込んでいる牡丹の傍らに、沿うようにして立った。



「なんだか疲れているみたいだな」


「うん、まあ……」



「ちょっとな」と、牡丹はここ数日の出来事を振り返り。雨蓮からの憂わしげな視線を受けながらも、乾いた声でぼそりと呟く。



「ねえ、ねえ、牡丹くん」


「なんだよ、雨蓮。急に“くん”付けなんて……って、ん? 今の声は……、うわっ、湯沢ゆざわさんっ!?」



 気付かぬ内にいつの間にか、雨蓮とは反対側の隣に、他校の制服に身を包んだ一人の女生徒が同じように座り込んでおり。


 こそこそと身を小さくしている彼女に、牡丹は思わず素っ頓狂な音を上げる。



「どうしたんですか? またウチの学校に忍び込んで」


「あはは、ちょっとね……。

 ねえ、牡丹くん。今、時間大丈夫?」


「えっ? ええ、まあ。丁度休憩時間なので」


「そっか、それなら良かった。

 今日は牡丹くんに謝りに来たの。ほら、一昨日は散々迷惑を掛けちゃったから」


「迷惑? ああ……」



 あのことかと、話の流れから当時のことを思い出し。牡丹は一人、回想し始めた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は二日ほど遡り、同じくここ剣道場――。


 場内には剣道着に身を包んだ部員達が緊迫とした空気の中、切磋琢磨に稽古に励んでいる。


 しかし、休憩を促す声に合わせ。牡丹は面を外すなり、ふうと一服吐いた。



「おい、牡丹」


「ん?」


「ほら、タオルだ」



 そう声を掛けると同時、雨蓮は牡丹に向けタオルを投げて寄越す。牡丹は礼を述べて受け取ると、直ぐにも汗ばんだ顔を拭いていく。



「なあ、牡丹。最近、技のキレが良くなったよな」


「えっ、そうかな」


「ああ。稽古にも一層気が入っているみたいだし、何かあったのか?」


「うーん、そうだなあ……」



 牡丹は、ここ最近を振り返り。



(まさか、妹には相変わらず変態扱いされ続け、クラスメイトには兄さん達とは違って冴えない奴と思われていて。その汚名を返上しようと半分意地になっているなんて……。)



 決して人に知られる訳にはいかないと。牡丹は瞬時に、そう固く決意した。



「いや、別に。特に何もないけど……」


「そうか。……ん?」


「雨蓮、どうかしたのか?」


「いや。今、変な声が聞こえた気がして……」


「変な声?」


「ああ。なんだか叫び声みたいな……」



 雨蓮は難しい顔を浮かばせ。辺りを見回していたが外へと続く扉を開け、ひょいと身を乗り出した。牡丹も真似て顔を覗かせると、遠くの方に他校の制服を着た女生徒の姿が目に入る。


 視線の先の彼女は何やら喚きながら、忙しなく首を左右に振っていたが。二人の視線に気が付くと、すっとそちらに顔を向け……。



「ああっ! アンタ、昨日の……!」


「えっ、昨日って……。

 ああっ!?」



 思い出した――と、牡丹が声を上げるよりも早く。女生徒は咄嗟に牡丹の方へと走り寄り、一気に間を詰め彼の襟首を掴み上げた。



「ちょっと、アンタもグルなんでしょう!? 梅吉をどこに隠したのよ、早く出しなさいよ!」


「ええっ!? 俺は何も知りませんよ。梅吉兄さんがどこにいるかなんて!」


「嘘を吐くんじゃないわよ! どうせあなたが兄さんを……って、ん……?

 俺? 兄さん?」


「えっと、あの……、俺、梅吉兄さんの弟で牡丹といいます」


「あら、やだ。弟くんだったの? 私ったら、てっきり梅吉の新しい女とばかり……」



 彼女は、ころっと態度を急変させ。牡丹の首を絞め掛けていた手をぱっと離した。


 直ぐにも誤解は解けたものの、梅吉に対する彼女の怒りが収まることはなく。


 仕方がないので牡丹はその女生徒――湯沢駒重を引き連れ、梅吉がいるだろう弓道場を訪れるが。



「えっ、帰ったって……」


「天正なら先程こそこそと戻って来たかと思えば急用ができたとか言って、着替えるなり帰宅したが……」


「だそうです。どうやら擦れ違ってしまったようですね」


「ええーっ、そんなあ。

 もう、仕方ないわね。また出直すか」


「そうですね。兄さんがいなければ意味ありませんし。それに、俺もまだ部活中ですから」



 そう意見がまとまると、二人は来た道を引き返そうとするものの。



「おい、そこの二人。ちょっと待て」



 穂北に声を掛けられ、そして――。


 気付けば二人は、何故か揃って正座をさせられる。


 どうして俺までこんな目に……とは思うものの。ご立腹顔の穂北を前に、それを口に出す勇気など牡丹が持ち合わせている訳もなく。


 二人は言われるがまま、ぴしりと背筋を伸ばし姿勢を正した。



「全く。君が天正を追い掛け回した所為で、今日は全然練習にならなかったではないか。大体、君は他校の生徒だろう。ちゃんと入構許可は取ったのか? なにっ、取っていないだと? まさか、無断で入ったのか!? その上、あのように騒ぎ立てて……」


「はい、本当に済みませんでした」


「全く、一体何を考えているんだ。だが、この件はウチの天正にも大いに原因はある。しかし、何故に君はあのような男にそこまで好意を寄せているんだ。もう少し男を見る目を養った方が賢明だと思うぞ」


「そうですよ。梅吉兄さんは、やめた方がいいと思います。

 兄さん、言っていましたよ。彼女は作らない主義だって。それと、なんだっけ。この世の女の子はみんな俺の物だとかなんとか……」


「それなら俺も聞いたことがある。将来は総理大臣になって一夫一妻制を廃止し、ハーレムを築くとも言っていたな」


「知っているわよ、そんなこと。なによ、二人して口を揃えて。確かに梅吉はそういう性格よ。けど……、それでもアタシなら、そんな梅吉を変えられるって。そう思っていて……」


「いや、無理だろう」


「はい、無理ですね」


「ちょっと、そんな簡単に決めつけないでよ!」



 駒重は顔を強張らせ、ばんばんと激しく床を叩き訴える。


 けれど。



「そうは言っても、天正を更生させるという発想自体、俺には馬鹿げているように思えるが。猿に一日で芸を仕込めと言われた方が、何百倍も現実的で望みがある。どちらかを選べと言われたら、俺は迷わず猿を選ぶぞ」


「そうですね。俺も猿を選びますね」


「ちょっと。なんでさっきから、そんなに意気投合しているのよ」


「投合もなにも、天正を知っている人間なら、百人中、百人が同意見だと思うが……」


「そうですよ。そもそも、どうしてそこまで兄さんに固執するんですか? 湯沢さん、しっかりしているように見えますし、兄さんのことは騙されたと思って、きっぱりと忘れた方がいいですよ」



 牡丹や穂北だけならず、周りの弓道部員達からも二人を支援する声が自然と上がる。


 しかし、そんな騒がしい外野に向け。駒重は「シャラップ!!」と叫び、跳ね除けた。



「なによ。さっきから黙って聞いていれば、好き勝手言ってくれちゃって。そう簡単に諦められる訳ないじゃない。だって、私と梅吉は、運命の赤い糸でがっしりと結ばれているのよ」


「運命の赤い糸だと?」


「ええ、そうよ。あれは忘れもしない昨年の、木枯らし荒ぶ秋も終わりかけの日のことだった……。

 その日、私は彼氏とちょっとしたことが発端で口論になり、そのまま引っ込みがつかなくなって。結局、喧嘩別れをしちゃったの。それで公園のベンチで泣いていたら、突然目の前に現れたのが梅吉だった。

 梅吉は、恋に破れ傷付いていた私を優しく慰めてくれて。まさにあの瞬間、運命の出会いだと思ったわ……」


「成程。失恋した直後、目の前にふらりと現れた男に都合の良い言葉を掛けられ、単純にもころっと惚れてしまったということか。なんだ、よくある話ではないか」


「ちょっと。人の大切な思い出を、そんな貧相な言葉で簡単に片付けないでよ!」



「このでこっぱち!」と駒重は穂北の額目掛け、怒り任せにでこぴんをした。


 それを真面に喰らってしまった穂北は声にならない悲鳴を上げ、酷く悶える。



「っつう……。おい、いきなり何をする!? 痛いではないかっ! それと、でこっぱちと言うな!」


「なによ、うるさいわね。でこっぱちは、でこっぱちでしょう!」


「くっ……、だから、でこっぱちと言うなと言うに……!

 とにかく、天正のことは一刻も早く諦めた方が身の為だ。俺は中学の頃から六年、毎日アイツに堅実になれと言い続けてきたが、一日たりとも改心した日などなかったぞ」


「ふっ……、それがなによ。時間なんて関係ないわ。諦めるなんて、男らしくもない。根性なしのアンタは、猿回しでも目指せばいいんだわ。この、でこっぱち!」


「だから、でこっぱちと言うなと言っているだろう! 俺を愚弄する気かーっ!!?」


「げっ、穂北がキレたっ!?」


「おい、穂北。相手は女だぞ、落ち着け!」


「ふんっ。部長だかなんだか知らないけど、一度も梅吉に勝てたことがない癖に!」



 刹那、穂北は雷にでも撃たれたかのような衝撃を受け。口を閉ざすと背を丸め、とぼとぼと部屋の隅へと移動する。


 そして、腰を下ろし。体育座りをした彼の周りには、どよどよと負のオーラが発生した。



「あーあ、穂北が一番気にしていることを……。

 どうするんだよ、落ち込んじまったぞ」


「ああ見えて、何気に繊細だからなあ……」


「……あの。俺、そろそろ帰ってもいいですか?」



 なんだかすっかり混沌とした空気の中、牡丹は居た堪れなくなり。なかなか言い出せなかったその一言を、それでもどうにか口に出し。ひっそりと静かにその場を後にした。


 ……なんてことがあったらしい。



「別にもう気にしていませんよ」


「でも、私としては、ね。これ、お詫びの印……って訳でもないけど、良かったら食べて」


「なんですか、これ」


「カップケーキよ。私のお手製のね」


「ありがとうございます。所で、湯沢さんはこの為だけに今日はここに来たんですか?」


「ははっ。本当は梅吉に会いに来たんだけど……。でも、いざとなったら、急に怖くなっちゃって。それに、ほら。あの口煩い……、ええと、なんて名前だっけ?」


「もしかして、弓道部の穂北部長ですか?」


「そう、そう! そいつに見つかったら、またとやかく言われそうだしさ。

 ……なんて、ただの言い訳よね。あははっ、自分でも分かっているの。でも、今はちょっと距離が置いた方がいいかなって。ほら、アタシって直ぐ、ちょっとだけど興奮しちゃう傾向にあるじゃない?」


「ははっ、そうですね……」



 あれは、“ちょっと”という尺度で済むとは思えないが……と、牡丹は思ったものの。それを口に出すような野暮なことはせず、代わりに彼女から視線を逸らした。



「そのカップケーキ、梅吉がいつも美味しいって言って食べてくれていたの。だから、一応味の保証はするわ。

 けど、アイツって特に好き嫌いとかないじゃない。結局は、なんでもそう言って食べちゃって。だから特別な訳でもないんだけど、どうしてかな。分かっているのに、やっぱり単純だけど嬉しいのよね」


「そうだったんですか……。あの。これ、俺がもらってもいいんですか? 本当は、兄さんに……」


「ああ。いいの、いいの。牡丹くんには元々あげるつもりで、別に作ったから。

 でもさ。ちょっとだけ……、ううん、すごく安心しちゃった。あの時、梅吉が選んだのが牡丹くんでさ」


「えっ。選んだって?」


「だから、デートの相手よ。私の他に、もう一人いたじゃない。どこの誰かは分からないけど、他校の制服を着た子がさ」


「ああ。そう言えば。あの時は、本当に怖かったんですよ。状況が分からないまま、ただただ二人から逃げ続けて……」


「あははっ、ごめん、ごめん。ほら、夕方で薄暗かったじゃない。私、そんなに目が良くないのよね。それに、そこまで頭が回らなかったから、まさか男の子な上に弟だとは思わなくて」


「悪かったですね、童顔な上に女顔で」


「あれ。ごめん、もしかして気にしていた?」



 口先では謝るものの、しかし。その反面、駒重はけらけらと甲高い音で笑い出す。


 そんな彼女の態度に、牡丹はますます眉間に皺を寄せ。



「もう、ごめんって。そんな顔しないでよ。

 ……っと、もうこんな時間か。さてと、そろそろ帰ろうかな。これ以上は練習の邪魔になっちゃうし。ごめんね、時間取らせちゃって」


「いえ、それは構わないのですが……。あの、本当に兄さんに会わなくていいんですか? もし、その……、一人で行き辛いなら、一緒に付いて行きましょうか?」


「ううん、大丈夫よ。気持ちだけ受け取っておくわ、ありがとう。牡丹くんって、優しいのね」


「いえ。別に俺は……」


「もう、牡丹くんってば。こういう時は、素直に受け取っておけばいいのよ。

 なんて。でも、アイツが選んだ相手が牡丹くんだって分かった時は、本当にほっとしたな。ほら、アイツって選べないじゃない? なのに、とうとうそういう相手を見つけたのかなって」


「えっ……、選べないって……?」


「あら。選べないから、色んな女の子と関係を持つんでしょう?」



 何を言っているのと言わんばかり。駒重はさぞ当たり前のように、けろりとした顔でそう述べる。


 駒重はもう一度、「じゃあね」と声を潜め。牡丹の耳元で囁くと、呆然としている彼を残して静かにその場を後にした。

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