第027戦:折りてかざさむ 老いかくるやと

 唐突だが、弓道と言えば――。


 礼儀作法に非常に厳しく、質実剛健。心身の鍛錬に励み、厳粛とした空気の中、無心で何百メートルも離れた的に向かって矢を射るイメージといった所であろうか。


 しかし、その印象とは裏腹。ここ南総高校の弓道場はと言えば……。先程からきゃっきゃっと小さいながらも甲高い音が、閑散としたその場に響き渡っている。


 その不釣り合いな雰囲気が作り出されているのは、とある一人の男に起因しており……。



「天正先輩、頑張って下さーい!」



 複数の女生徒等は、とある人物に向け。声を揃えて声援を送る。


 すると、彼女達の視線の先の人物は、くるりと振り向き。



「うん、ありがとー! みんなもゆっくりしていってね」



 ひらひらと手を振り返すその人物こそ、天正家次男・梅吉だ。彼のその行為により、ギャラリーからは一層と甲高い音が発せられる。


 いつまでも女生徒等に向かって、ファンサービスとでも言うのだろうか。にこにこと笑みを送り続ける梅吉だが、不意にぼこっ! と彼の頭部に鈍い衝撃が襲い掛かる。



「こら、天正! 全く、貴様は……」



 その低い音と共に姿を見せたのは、殺伐とした短い髪に、露わにされた鋭い眉。それから、切れ長の目をした男である。彼はむすりと口をへの字に結び、梅吉の後ろに立っている。



「おい、穂北ほきた。なにをするんだよ。痛いじゃないか」


「痛むのは当たり前だろう。わざとそのように叩いたのだから」



 穂北と呼ばれたその人物――弓道部部長を務める穂北ほきた有雪ありゆきは、平然とした顔でそう述べ。ぎろりと瞳を鋭かせる。



「それより、天正。貴様、分かっているんだろうな?」


「はい、はい、分かってるって。ったく、しょうがねえなあ……。

 ごめん、みんな。誰か、頭かっちかちで禄に女の子とも話したことのない、この可哀想な穂北くんの相手をしてあげてくれないかな?」


「えー、この人ですかあ? ねえ、どうする……?」


「嫌だけど……。でも、先輩のお願いなら……」


「うん、そうだね。けど、この人、いつも怒鳴ってばかりで怖いんだけど……」


「それに、でこっぱちだし……」



 どうするかと女生徒等の間で、こそこそと密談がなされる最中。



「おい、ちょっと待て。なにが分かっているんだ、なにが!?」



「全然分かっていないではないかっ!」と、穂北は真っ赤な顔で頭から湯気を出し。梅吉の胸倉を掴み上げると前後に激しく揺すり出す。



「なんだよ。穂北も女の子と戯れたいんだろう?」


「ふざけるな! そんなこと、誰も一言たりとも言っていないだろう!」


「なあに、無理するなって。いい加減、素直になれよ。みんな、嫌だけど相手してくれるってよ。

 俺の可愛い、可愛い女の子達を特別に貸してやるんだ。大切に扱えよ」


「だから、違うと言っているだろう! それと、先程は思わず聞き流してしまったが、でこっぱちのなにが悪い!? 

 ええいっ、君達も、もう帰れっ! ここは神聖な弓道場だぞ。お遊び感覚で来ていい所ではない。毎日、毎日、同じことを何遍も言わせるなっ!」


「あーあ。また始まったよ。穂北と天正の言い合いが。おい、誰か止めろよ」


「止めたって無駄だって。仕方ないよ。絵に描いたような真面目人間の部長と、お気楽能天気、おまけに女たらしの天正だ。相性最悪だもんな、この二人」


「おまけに口でも弓道でも、穂北が天正に勝てた例なんて一度もない。不憫で見ていられないよ」


「でも……」



「なんで本当に、アイツがウチのエースなんだろう……」と。弓道部員一同は心を一つに、じとりとした視線を梅吉に送る。



「ったく、穂北がガミガミ怒るから。いつの間にか、みんな怖がって帰っちゃったじゃないか」


「貴様、まだそのようなことを……! いい加減にしろっ。女に現を抜かしていないで、少しは真面目に稽古に臨まないか! 

 大体、彼女達も彼女達だ。何度見学すれば気が済むんだ。いや、見学とは名ばかり。揃いも揃って、天正目当てに足を運んでいるだけではないか。一体弓道をなんだと思っているんだ!」


「そんなこと、俺に言われてもなあ。大体、穂北はなにをそんなに怒っているんだよ。せっかくみんなが応援してくれているっていうに。

 女の子がいた方が、やる気だって出るだろう? なあ、みんな」


「えっ!? い、いやあ、俺は、その……。そうだなあ。別に悪くはないかな……」


「ああ。いないよりは、いた方がやっぱり華があるというか……」



 話を振られた部員達は、思わずぽろりと本音を出してしまい。彼等の支持は、梅吉側へと大きく揺らぐ。


 しかし、穂北がぶるぶると肩を大きく震わせ。



「貴様等、揃いも揃って腑抜けおって……!」



 拳を強く握り締めるや。


「全員そこに正座しろっ!!」と、遂にぴしゃりと雷が落ちた。



「全く、口を開けば女のことばかり……。

 天正、貴様には他に考えることはないのか!?」


「そうだなあ。うん、ないな」


「きっぱりと認めるんじゃない! 少しは考えろ、恥ずかしくはないのか。大体、貴様には向上心というものがないのか!」


「向上心だあ?」


「ああ、そうだ。目標、抱負、それから将来の夢。より上を目指すには、やはり高い志を持たねばなるまい」


「将来の夢ねえ。そうだなあ……。

 あっ。総理大臣になって一夫一妻制なんてくだらない法律は廃止して一夫多妻制を施行し、ハーレムな暮らしを送ること! かな」


「なっ、なっ……!? 天正、貴様……!!」



 穂北は顔を一層と赤らめ、またしても怒声を上げた。



「貴様は本当にそういうことしか考えられんのかっ! なにが総理大臣だ。そんなくだらん法律が施行される訳がなかろう!」


「えー。だってえ、俺の昔からの夢なんだもん。小学生の頃、作文の宿題で書かされたなー。『将来の夢』ってテーマでさ」


「小学生って、貴様はその頃から既にそんな思考だったのか……」



 最早怒りを通り越し、穂北はがくりと盛大に肩を落とした。



「そのように女性関係に無節操だと、今に天罰が下るぞ」


「天罰なんて。生憎だが、受ける筋合い俺にはないねえ」



 せっかくの穂北の忠告も蔑ろに、梅吉はけらけらと得意げに笑い出す。


 しかし、その矢先――。


「うーめーきーちー……!!」

と、まるでホラー映画の中で流れる音声であろうか。不意に、どこからともなく不気味な低い声が響き渡った。


 それから、今度は背中越しに気配を感じ。梅吉がゆっくりと振り向けば、そこには他校の制服を身にまとった少女が一人、仁王立ちしていた。全身からは目には見えないものの、凄まじいまでの怒りのオーラが漂っている。



「見つけたわよ、梅吉。昨日はよくも逃げてくれたわね……!」


「げっ、駒重こまえ!? どうしてここに……」


「昨日からずっと連絡しているのに、メールも電話も全部無視するからでしょう! 

 あの女達は誰よ!? 昨日のこと、ちゃんと説明してよね!」


「説明って言われても……」



 駒重と呼ばれた少女は、ぐいと梅吉に般若のお面を引っ提げ詰め寄る。セミロングのくせ毛が、怒りの所為で必要以上にうねって見える。



「うーん。こう感情的になっている時は、何を言っても逆効果だからなあ……」



 梅吉はそう溢すと、一拍の間を置き。


 それから。



「あっ、あんな所に……!」


「えっ……? なによ、何もないじゃない……って、あっ、ちょっと……!」



 単純にも、思わず梅吉が指差した方へと顔を向けてしまい。気を取られているその隙に、彼はくるりと背を向け、そそくさと一人その場から走り去った。



「あっ、逃げた」


「ちょ……、ちょっと、梅吉ってば。待ちなさいよーっ!!」



 弓道場を飛び出して行った梅吉を、勿論おとなしく見送る訳もなく。駒重も続いて飛び出し、彼の後を追い掛ける。刹那、弓道場にはひゅう……と木枯らしが吹き荒れ。後には静けさばかりが虚しくも残った。


 その静寂さを身に沁み込ませながらも、「天罰だな……」と。一人残らず誰もが思ったものの、決して口に出すことはなく。目を瞑り、ただ静かに両手を合わせた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 そんな弓道部らしからぬ喧騒さとは、打って変わり。


 ここ図書室は、本来あるべき姿の通り、特に人気もない所為か静寂な時間が流れている。


 ひっそりとした室内では、一人の男子生徒と一人の女生徒の姿が見受けられ……。



「天正くん。はい、借りていた本。ありがとう、とても面白かったわ」



 そう礼と感想を同時に述べるのは、二年三組所属・神余かなまり栞告かこ――。


 彼女は本を差し出しながら、ふわりと微笑んで見せる。


 そんな彼女の笑顔を、

「いえ、僕の方こそ。神余さんには、いつも色々借りていますし……」

と、やや謙遜目に受け答えしながらも、天正家五男・菖蒲は本と共に受け取った。



「とても良かったわ、漱石の『彼岸過迄』。須永と千代子が互いを思い合っているのに、二人の仲がなかなか進展しなくて……」


「そうですね。前半の探偵小説を思わせるミステリー的な要素も好奇心をそそられ良かったのですが、やはり、『須永の話』が最も魅かれる章でしたね」


「そう、そう。自分の感情と上手く向き合えない須永が、なんだかもどかしくて切なくて。でも、そんな須永の気持ちに共感もできて……」



 ふっと、本の内容を思い出し。栞告はうっとりと瞳を輝かせながら、口の赴くままに語り出す。


 こうしていつの間にか、すっかり本談義が始まってしまい。二人は延々と語り合うも……。



「それから……って、あれ、もうこんな時間?」


「あっ、本当ですね。すっかり時間が経ってしまいましたね」



 ふいと揃って時計を眺め、二人は時間の経過加減を漸くその身に実感させる。



「それでは、僕はそろそろお暇しますが……。

 神余さんは、まだ残りますか?」


「うん、私は軽く室内を見回りしてから帰るわ。これでも図書委員だからね。本当に今日は楽しかったな、天正くんと本の話ができて。

 私、漱石の作品はまだ数冊しか読んでいないから、他の作品も読みたいなって思っちゃった」


「それなら、他にも読みますか? 良かったら貸しますけど」


「えっ、本当?」


「はい、構いませんよ。漱石の作品なら全て持っているので、お貸しできますし」


「そしたら、ぜひ読みたいな」


「分かりました。それでは、明日持って来ますね」



 菖蒲は鞄を肩に掛けながらそう返すと、軽く会釈をし。一人先に、教室から出て行った。そんな彼を、栞告はひらひらと軽く手を振り送り出す。


 すると、菖蒲と入れ替わるよう。「あーら」と、嘲笑を帯びた声が突然響き渡り。ひょいと扉の隙間から、明史蕗がにやけ顔を覗かせた。



「なに、なに? 栞告ったら。やっぱり菖蒲くんといい感じじゃない?」


「明史蕗ちゃん!? もう、だから、そういうのじゃないってば。今だって天正くんとは本の話をしていただけだよ」


「またまたー、そんなこと言って。満更でもないくせに。

 菖蒲くんって、頭が良くて落ち着いていて、それに、なんと言っても将来有望株じゃない。栞告とは気も合うみたいだし、まさにぴったりよね」


「もう。本当にそんなんじゃないってば」



 何度訴えてもちっとも言い分を分かってはくれない明史蕗に、「明史蕗ちゃんのいじわる」と、栞告は頬を小さく膨らませる。



「……っと、いけない、いけない。油を売っている場合じゃなかったわ。そろそろ行かないと」


「明史蕗ちゃんは、これから部活?」


「部活と言うより、同好会だけどね。格闘技同好会。今日はこの前テレビ中継されていたプロレスの試合について語り合うの。

 栞告はもう帰るの?」


「うん。開館時間も過ぎたし、見回りしたら帰ろうかなって」


「そっか。それじゃあ、気を付けて帰るのよ」


「もう。私だって、ちゃんと一人で帰れるよ!」



「明史蕗ちゃんは心配性なんだから」と、またしても栞告は頬を膨らませるが。視線の先の小さくなっていく背中に、徐々に空気を抜いていく。


 それが抜け切ると、栞告は一つ息を吐き。



「さてと。私も戸締りをして、早く帰ろう。

 あっ、あそこの窓、開けっ放しだ」



 閉めなければと、栞告が窓辺へと近付いて行く最中。


 その頃、窓の向こう側では――。



「待ちなさいよ、梅吉! いい加減に、観念しなさーい!」


「げっ、まだ追い掛けて来る!?」



 その名の通りと言っても、些か過言ではないだろう。梅吉と駒重の鬼ごっこは続いており……。


 梅吉の大分後ろの方にだが、未だに駒重の姿がちらちらと見え隠れしている。



「おい、おい。いつまで追い掛けて来るんだよ。袴なんて走り辛いし、とにかく、どこか隠れられる所は……」



 梅吉は走り続けながらも、きょろきょろと辺りを見回し。周囲に注意を払っていると、校舎の角を曲がるなり、目敏くも開いている窓を見つけ出す。



「おっ、窓が開いてる。ラッキー! ええいっ、入っちゃえ!」



 窓のサッシに足を掛け、そのまま中へと飛び込むも……。



「えっ……?」


「へっ……!?」



(げっ、嘘だろう……?)



 しまった――と、思うよりも早く。梅吉の身体は重力に耐え切れず。丁度、タイミング悪くも反対側から窓辺へと近付いて来た女生徒目掛け落下した。


 その衝撃に、室内中にはどすんと鈍い音が鳴り響き。細かな埃がふわりと軽く、天高くへと舞い上がった。

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