第026戦:鴬の 笠に縫ふてふ 梅の花
昼休み――。
おそらくそれは学生にとって、一日の内で最も賑やか且つ華やかな時間帯であろう。ここ二年三組の教室も、勿論例外ではなく……。
「ねえ、ねえ。そう言えば、明史蕗と栞告って、天正くんの家に行ったことがあるのよね?」
と、昼食を食べ終え、お腹も膨らみ。残りの時間を別腹と言い張り、お菓子を摘まんで過ごしているとある女子グループの一人の口から紡がれる。
その突発的な質問に、明史蕗はスナック菓子を頬張っていた口を止めるも。ごくんと飲み込ませるや口を開き。
「ええ、そうよ。一応、勉強会って口実でね」
「それで、それで、どうだった?」
「どうだったって?」
「だーかーらー、先輩達に会えたのかって聞いているの! 家と学校だと印象が違ったりするじゃない」
きらきらと瞳を輝かせ、すっかり興味津々の女生徒等を前に。明史蕗は当時のことを思い返すと同時、顔をにやけさせ。
「道松先輩、カッコよかったなあ。私服姿も素敵でさー」
「えー、いいなあ。やっぱり道松先輩が一番よねー」
「うん、うん。超カッコいいよね」
「でも、道松先輩って、朝夷先輩とくっ付いちゃったのよね……」
ぽつりと漏れたその一言により、女生徒等はぴしりと身体を固く強張らせるも。
「それは言わない約束でしょう!」と、揃って口を尖らせた。
「いいのよ、別に。道松先輩は見ているだけで目の保養になるもの。
それから、藤助先輩が超優しくて。クッキーを作ってくれたんだけど、すごく美味しかったなあ」
「えー、ずるーい。私も先輩の作ったクッキー、食べたーい」
「ねえ、ねえ。あとは、あとは?」
「あとは、そうねえ……。桜文先輩も間近で見ると本当に背が高くて、やっぱりポイント高いわよね。それから、芒くんも……。ほら、一緒に写真を撮ったの」
「キャーッ、可愛い!」
「でしょ、でしょう? しかもね、とっても人懐っこくて。家に連れて帰りたかったなあ」
明史蕗は顔をうっとりとさせ、些か物騒なことを平然と口にする。
「芒くん、本当に可愛いわね。でも、私はやっぱり菖蒲くんが一番かなー」
「あら、菖蒲くんは駄目よ。だって、菖蒲くんには栞告がいるんだから」
「なっ……! 明史蕗ちゃんってば、なにを言っているの!?」
「なによ、本当のことじゃない。この二人、良い感じなんだから。邪魔しちゃ駄目よ」
「へえ、そうだったんだ」
「違うよ。天正くんとは読む本の趣味が似ていて、それでよく本のことについて話しているだけだよ。部活も同じ文藝部だし……」
おとなしい彼女にしては珍しくも、頬を真っ赤に染めて栞告は違うと声を張り上げる。
けれど、一方の女生徒達は真面目に取り合うことはなく。話は適当に流されてしまい。
「まあ、私はどっちでもいいかな。だって、私の本命は梅吉先輩だし」
「えー、梅吉先輩が本命なの?」
「あら、明史蕗ってば。なによ、変な声を出して」
「だってえ。梅吉先輩って、女癖悪いじゃない。私は嫌だなあ、そういう人は」
ぶつぶつと文句を言い出す明史蕗だが、しかし。突如、彼女の頭にぽんと軽い衝撃が降り落される。
その衝撃に後ろを振り向けば。
「お前、人のことを言えないだろう」
と、ノートを手にした与四田が告げる。
「ほら、借りていた現国のノート。返すよ。
それにしても、梅吉先輩だってお前等には言われたくないだろうに」
「与四田! なによ、ガールズトークを盗み聞きするなんて。相変わらずデリカシーがないわね」
「あれだけ大きな声で話していて、なにを言っているんだよ。全部丸聞こえだったぞ。なあ、牡丹」
「ああ……」
そうだなと、彼の後ろに控えていた牡丹は。女子の会話って結構えげつないよなと、若干引き気味に返す。
「で。さっきから聞いていたけど、どうして牡丹の名前は一度も出てこないんだよ? 天正家の話題だろう」
「えっ? どうしてって、それは……」
竹郎のその一言により、彼女達は目を点にしたまま。互いの顔を見合わせ……。
「えっとお、牡丹くんは、ほら、ねえ……」
「そう、そう。平凡……じゃなくて、普通……じゃなくて、えっと、えっと……」
「顔は整っている方よね。……ちょっと女々しいというか、可愛い系っていうのかな。そのー、好い線は行っているとは思うんだけど、ただ、先輩達みたいなオーラがあまり感じられないっていうのかなあ」
「あっ。でも、逆にそういう所が、親近感が湧いていいんじゃない?」
「そうよ、きっと、そうね!」
「いいよ別に、無理してフォローしなくても。どうせチビで童顔だって言いたいんだろう?」
(悪かったな。兄さん達と違って、ぱっとしなくて。)
なんだかこの感情は以前にも覚えがあるようなと、そんなことを考えながら牡丹はむすりと眉間に皺を寄せた。
「なんだよ、牡丹。いじけているのか?」
「もう、アンタが余計なことを言うからでしょう!」
「なんだよ、俺の所為かよ。なあに、背なんかまだまだ伸びるって。これからだ、これから」
竹郎は励ましとばかり、ばしばしと牡丹の背中を景気良く叩く。が、その傍ら、「……きっと」と、小さな声で付け足したのを、牡丹は決して聞き逃さなかった。
✳︎✳︎✳︎
「なんだよ、みんなして。俺のことを馬鹿にして……」
「背だってこれから伸びるんだからなー!」と、人気のない公園の真ん中で。茜色に染まりつつある天に向かって叫んだものの――……。なんだか反って虚しい気持ちになり、今日から早速牛乳を飲む量を増やすかと、牡丹は密かに決意を固めさせる。
すると、その矢先。ふと前方に、見知った姿が目に入る。それは天正家・次男の梅吉で、彼はベンチに腰を掛けていた。スマホを弄っている為、牡丹には気付いていないようである。
牡丹はそのまま足を進めると、彼の前で立ち止まった。
「梅吉兄さん、こんな所でなにをしているんですか?」
「おおっ。なんだ、牡丹か。なにって、そんなの、決まっているだろう」
梅吉は、にたりと白い歯を覗かせ。大きく口を開くと同時。
「梅吉、お待たせー!」
「ごめんね、梅吉。ちょっと遅くなっちゃったあー」
と、それぞれ別のデザインの制服に身を包んだ女子高生が二人、二方向から現れ。梅吉の前でぴたりと止まった。
「……はあ? ちょっと……。アンタ、誰よ?」
「そう言うあなたこそ。どこの誰かしら?」
彼女達は目が合うや、一瞬の内に互いに悟り。その直後、バチバチと激しい火花を放ち合う。
まさに修羅場と化しつつある状況の下、梅吉は彼にしては珍しくも眉尻を下げ。
「げっ、まずった。ダブルブッキングかよ……」
そう小さく口先で呟いた。
「ねえ、梅吉! 今日はアタシとデートだよね!?」
「なにを言っているのよ! 梅吉は私とデートするんだから」
二人は目を燦爛と光らせ。「どっちを選ぶの!?」と、ぐいぐいと梅吉に詰め寄っていく。
おそらく本来なら展開されるはずであった楽しいデートの為に、せっかく施した化粧も憤然とした面持ちの所為ですっかり台無しだ。
「梅吉、アタシよね!?」
「いいえ、私に決まっているわ!」
「なによ、アタシだってば!」
「いいえ。あなたより私の方が梅吉に相応しいわ!」
のべつ幕なし、彼女達は次から次へと言葉を発し。ぴーぴーと、二人の言い争いは止まらない。
その原因の作り主である梅吉は二人の顔を交互に眺め、眉間に皺を寄せて考え出し。
「そうだなあ。よし、こうなったら……」
そう一人決意をするや、がしりと牡丹の腕を掴み取り。
「へっ……? あの、この手は一体……」
「ごめん、二人とも。俺、今日はこの子とデートすることに決めたから」
「……はあっ!?」
「ちょっと、どういうことよ!」
梅吉の下した全く以って予想もしていなかった第三の選択に、二人は勿論選ばれた牡丹自身も驚きを隠せず。また、女生徒達は納得するはずもなく、またしても非難の音を上げ始める。
けれど、梅吉は牡丹の耳元に顔を寄せ。
「おい、牡丹。行くぞ」
「えっ。行くってどこに……って、うわあっ?」
「ちょっと、梅吉!? どこに行くのよ!」
「話はまだ終わっていないわよ!」
「待ちなさいよ!」と、甲高い音で喚く二人を一切無視し。梅吉は咄嗟に間抜け面をしたままの牡丹の腕を引っ張り、その場から走り出した。
「ちょっ……、ちょっと、梅吉兄さん! どうして俺まで逃げないといけないんですかっ!?」
「どうしてって、そうだなあ。話の流れ的に……かな?
「はあっ? 意味が分かりません!」
牡丹は声を荒げて非難するが、けれど、背後から迫って来る鬼の仮面を付けた二人の女の姿が目に入るや、ひっと短い悲鳴を喉奥から漏らす。
その瞬間、梅吉に付いて行くという選択肢以外は綺麗に消え去り。彼は引っ張られるがまま、ひたすらに足を動かし続けた。
✳︎✳︎✳︎
「はあっ、はっ、はあ……。つ、疲れた……」
結局、公園の中をぐるぐると走り回り続け。行方を眩ませることに成功した二人であるが、その所為で、牡丹の息はすっかり上がり。疲労困憊気味である。
ぜいはあと荒い呼吸を繰り返す牡丹とは裏腹、梅吉は余裕の表情のまま自販機でコーラを二本買うと、その内の一本をひょいと牡丹目掛けて放り投げた。
「あははっ、悪い、悪い。お詫びに奢るから。ほら、これで許してくれよ」
「……っと。もう、梅吉兄さんは! それより、本当にいいんですか?」
「いいって、何が?」
「だから、さっきの女の人達ですよ。すごく怒っていたじゃないですか。それに、二股なんてよくないと思います」
(そんなの、まるで親父みたいじゃないか……。)
なんて。思ったものの、牡丹は決して口には出さず。代わりにごくりと缶に口を付け、コーラと一緒に呑み込んだ。
けれど。
「はあ、二股って?」
「二股は、二股ですよ。兄さん、さっきの二人の両方と付き合っているんですよね。しらばっくれる気ですか?」
「しらばっくれるも何も……。あの子等は、別に彼女でもなんでもないしなあ」
「へっ……?」
「だから、二股ってさ、普通は二人の恋人と同時に交際していることをいうだろう? あの二人とはそういう関係じゃないから、つまりは俺には該当しない訳だ」
「そういう関係じゃないって……。あの二人、兄さんの彼女ではなかったんですか?」
「ああ」
「だって俺、彼女は作らない主義だから」と、きょとんと目を丸くしている牡丹を置き去りに。梅吉はさらりと後を続けさせる。
「ほら。俺って、博愛主義っていうの? この世の女の子は俺の物、俺も女の子みんなの物ってね。だから、女の子とは平等に接するというのが俺のポリシーだ。彼女なんて作って一人だけを特別扱いしたら、悲しむ子がどんなにいることか……。
それに、この日本だけでも六千万人もの女がいるんだぜ? なのに、たった一人だけを選ぶなんて。そんなの勿体ないじゃないか」
「とてもじゃないが、俺には考えられないねえ」と、梅吉はけらけらと得意気に答える。
そんな兄の独特な考えに、勿論凡人の牡丹が到底付いていける訳もなく……。げんなりとした面持ちで、開いて塞がらない口をそれでもどうにか動かさせる。
「あのう。そういうのって、屁理屈って言いませんか?」
「なにを、失敬だなあ。大体、俺達はお互い合意の上でそういう関係を築いているんだ」
「本当ですか? あの二人ですが、とてもそんな関係には見えませんでしたよ」
牡丹はこれでもかというほど目を細めさせ、じとりと梅吉に疑いの眼を差し向ける。
「ははっ、それはだなあ……。偶にいるんだよ。『私なら、梅吉を変えられる!』……とかなんとか言って、いつの間にか勝手に彼女面し出しちゃう子が。つまり、さっきの二人がいい例だな」
「それって、本当に合意していると言えるんですか? たとえ兄さんのいう、そのー……、彼女でなかったとしても。そうやって女の子と遊び回るのは、止めた方がいいんじゃないですか?」
「はあ、なんで?」
「なんでって、だって、あんまり良い感じがしないじゃないですか。彼女でもないのに、その、軽い気持ちでそういう真似事をしているってことですよね。ウチのクラスの女子も言っていましたよ。兄さんのこと、女癖が悪いって」
(まあ、言っていたのは古河一人だけだったけど……。)
兄には悪いと思いつつも、牡丹は些か勝手に話を誇張させた。
けれど、梅吉にはなんの手応えはなく。
「ははっ、『女癖が悪い』かー。随分と酷い物言いだなあ」
「笑っている場合ではないですよ。まさか、俺も兄さんがここまでだとは思ってもいませんでした」
「けどなあ。そんなことを言われても、俺は至って楽しいし、それに、なにより大体の子は、それで納得してくれているしなあ」
(だから、そういう問題では……。)
「ないと思います」と、牡丹は言おうと思ったが、しかし。どうせ口の達者な兄のことだ。 決して敵わないだろうと直ぐにも見極めるや、蟠りを感じつつもそっと口を噤んだ。
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