第021戦:花咲きてこそ 色に出でけれ
急遽、家族会議の結果。節約生活を送ることに決まった天正家。
その翌日、昼食の時間。
がやがやと騒がしくなるのに従い、教室の中には昼独特の鼻を擽る匂いが立ち込めていき。それは、三年二組の教室も同様であり――。
「はい、道松の分のお弁当。おかず、いつもよりちょっと少ないけど……」
藤助は弁当箱を掲げ、へらりと笑みを取り繕うものの。薄らとだが、眉だけはいつもより少し下がっている。
道松は、一拍空けてから弁当を受け取り。
「それは別に構わないが……。お前は弁当を持ってどこに行くんだ?」
「へっ!? 俺は、その……。天気も良いし、今日は外で食べようかなって」
「そうか。それじゃあ、俺も偶には外で食べるか」
「なっ……、道松はここで食べなよ。うん、やっぱり今日は風が強くて少し寒いし、外で食べるにはあまり適していないかも」
「なんだよ。俺が一緒だと駄目なのか?」
「そういう訳じゃないけど、でも……」
道松からの鋭い視線に、藤助はうようよと視線を宙に泳がせる。
見るからに挙動不審な弟の様子に、道松はますます眉間に皺を寄せる。
「ったく。どうせお前の分だけ、日の丸弁当なんだろう?」
「違うよ! 日の丸じゃなくて、海苔弁だよ。あっ……」
急いで口を手で塞ぐものの、時既に遅く。まんまと誘導尋問に乗せられてしまい、藤助はむすうと頬を膨らませる。
「海苔弁だって美味しいもん」
「美味しいかもしれないが、おかずもちゃんと食べろ。ほら。俺の分を分けるから、弁当箱を寄越せ。
うわっ、見事に真っ黒だな。本当に米だけかよ」
「だって……、牡丹も菖蒲も食べ盛りだろう? 満足に食べられないのは、可哀想じゃないか」
「で、自分の分のおかずを二人に分けたのか。ほら、お前もちゃんと食べろ」
「でも……」
「節約するのはいいが、最低限はちゃんと食べろ。お前に倒れられたら困るんだよ。長男命令だ」
「もう。こういう時ばかり、そういうことを言うんだから……」
藤助は、やはりいま一つ納得していないものの。道松が自分の弁当箱からひょいひょいとおかずを取り分けて行く様を、横目でじっと見守る。
「それにしても。いくら節約するとは言え、米ばかり食っても仕方ないだろう。栄養が偏るぞ」
「米ばかりって……。ああ、これ? 違うよ。もう一つは梅吉の分だよ。ほら、朝忘れて行ったからさ」
「梅吉が? 珍しいな。アイツ、馬鹿だけど女のことと食べ物のことだけは忘れない癖に」
「でも、今朝も寝坊して慌てて出て行ったし」
藤助は梅吉の分の弁当を持って、隣の教室を訪れるが。ひょいと中を覗き込むと、いつもより何故か人口密度が高く。特に、女生徒の姿が多く見受けられた。
その光景に、藤助は思わずその場に立ち尽くし。何事だろうと様子を窺っていると、おそらくこの状況の源泉であろう所からひょいと手が伸び。
「おー、藤助! こっち、こっち」
「梅吉!? なんだよ、この騒ぎは……」
漸く見つけたお目当ての兄は、複数の女生徒に囲まれており。藤助はその間をどうにか掻き分け、彼の前へと躍り出た。
未だに現状が理解できず。きょろきょろと辺りを見回している藤助に、梅吉はさらりと告げる。
「悪い、悪い。俺の分の弁当はいらないって伝えるの、すっかり忘れていたよ」
「はあ? いらないって……」
「だから、俺の分は暫くの間、みんなが用意してくれるからさ」
「みんなって……、えっ……?」
まさか――と、思うのと同時。この騒ぎの原因を漸く理解できたものの、藤助は嘘だろうと頭を抱え込ませる。
「なっ、これで少しは食費が削れるだろう?」
「何を言っているんだよ。そんなの、迷惑だろう」
「迷惑って……。迷惑かな?」
「ううん、そんなことないよ。はい、梅吉。私のお弁当。食べて、食べて」
「先輩。私のも食べて下さい」
「うん。みんな、ありがとう」
「でも、先輩。一人でこんなに食べられますか?」
「大丈夫。これくらい、余裕だって」
「本当ですか? 残したら嫌ですよ」
「そんなことしないって。ちゃんと全部食べるよ」
梅吉は何人もの女生徒を相手に、相も変わらずへらへらと、一見媚を売っているように見えるだろうが、これが彼の天性による反応なのだから、きっと浮気性であった父親によく似たのだろうと。
そんな調子でいつまでも女生徒達を侍らかしている兄の姿に、藤助の口元が自然にぴくぴくと軽く痙攣するも、それに呼応するよう不意に廊下から慌しい足音が響いて来た。そして、ぴたりと鳴り止んだかと思えば、今度はがらりと教室の扉が開け放たれ。
「こらあっ、梅吉! てめえ、一体何をしやがった!?」
「道松!? どうしたんだよ、そんなに怒って……」
「どうしたもこうしたも、さっきから女共が無理矢理要りもしない弁当を押し付けてきやがって……。梅吉、お前の仕業だろうが!」
「仕業って、失礼な言い方だなあ。ついでにお前等の分も頼んでやったのによー。
俺達、今、ちょっとお金に困ってて……。せめて昼飯くらいはしっかり食べたいなってさ」
「はあっ、そんなことを言ったのか!?」
「何を余計なことをしているんだ。大体、どこの誰かも分からない奴が作った物なんて食えるかっ!」
「なんだよ。道松ってば、相変わらず潔癖症だなあ」
ぴしりと、道松の額にまた一本。青筋が浮かび上がるや、「そういう問題じゃない!」と、彼は梅吉の頭部を思い切り叩いた。
「いってー!? 何するんだよ」
「そうだよ、梅吉。道松の言う通りだ。家庭の事情に他人を巻き込むなよ。
俺達のことは、気にしなくていいから。みんな、ちゃんと自分の分の弁当は持ち帰って」
「あーっ、俺の弁当!?」
「何を言っているんだよ。梅吉の弁当はこれ」
「なんだよ、なんだよ、二人して……。あっ。もしかして、藤助。お前、妬いてるのか? 大丈夫だって。みんなには悪いけど、藤助の作った料理が一番美味いからよ」
「妬いてないし、そういう問題じゃない!」
「いい加減にしろ!!」と、道松と藤助の声が見事に重なり合い。その怒声は、廊下にまで強く反響した。
✳︎✳︎✳︎
時は過ぎ――。
「ただいまー……って、どうしたんですか? この弁当の山は……」
帰って来て早々。食卓のテーブルに置かれている弁当の山に、牡丹はこてんと首を傾げさせる。
くるりと辺りを見渡せば、道松と藤助が同時に深い息を吐き出した。
「どうしたもこうしたも、全部この馬鹿の所為だ」
じろりと梅吉をいつも以上に鋭い瞳を以って睨み付けながら、道松は本日の一部始終を説明する。
「ったく。ちょっと目を離した隙に、勝手に置いていきやがって……。これ全部持って帰って来るの、どんなに大変だったと思うんだよ」
「ああ、それで……。道理でみんな、やたらと食べ物をくれると思ったよ」
と、続いて帰って来た桜文も、数え切れないほどたくさんのパンを両手に抱えており。どさどさとテーブルの上に置いた。
「もう、桜文まで。もらって来ないでよね」
「だって、後輩達が何も言わずに受け取ってくれって。あんまり必死に言うもんだから……。それに、てっきり買い過ぎて食べ切れなくなったからくれたんだと思ったしさあ」
そういうことかと桜文は、能天気にも納得顔を浮かべさせる。
「ちぇっ、なんだよ。せっかく良いアイディアだと思ったのによう」
「もう、人に物をたかるなんて。恥ずかしいだろう。取り敢えず、返せるだけは返したけど……。問題は、桜文のもらってきたパンと、道松の机に勝手に置かれていった弁当か。名前も書いていないから、返しようもなかったしね。捨てるのも勿体無いから、今日の夕飯はこれで済まそうと思うんだけど……」
ちらりと視線を向ける藤助に、牡丹は頷き。
「はい。これだけ量があれば、充分だと思いますよ」
「そうだな。取り敢えず、日持ちするパンは後回しにして。先に弁当からだな」
そう話しもまとまると、梅吉を筆頭にそれぞれ適当に弁当箱を手に取るも。しかし、一人だけ……。
「おい、ちょっと待て! 俺は絶対に嫌だからな。そんな誰が作ったかも分からない物を食べるなんて!」
誰もが弁当に手を付けていく中、道松だけがきゃんきゃんと声を上げて非難する。
「なんだよ、道松ってば。小さいことばかり気にして……。これだから神経質な長男坊は。別に良いじゃねえかよ、我が侭だなあ」
「我が侭とか、そういう問題じゃない!」
「はい、はい。道松の分も、芒の分のついでに一緒に作ってあげるから」
「藤助お兄ちゃん。僕もこのお弁当でいいよ」
「芒は駄目。万が一、お腹を壊しちゃうかもしれないだろう?」
「おい、藤助。何気にお前も失礼だな。ていうか、俺達は腹を壊してもいいのかよ?」
薄情だなあと、梅吉はじとりと藤助に視線を送り付けるも。
「だって、作ってからかなり時間が経っているだろう? もし傷んでいる物を、芒が食べちゃったらどうするんだよ。その点、梅吉と桜文は何を食べても平気だしさ」
「おい、おい。俺達はハイエナかよ。ったく、芒と菊には甘いんだから……って、そういやあ、菊はどうした?」
「菊なら今日は紅葉さんの家に泊まるって。さっき連絡があったよ」
「ふうん、そっか。それは丁度良かったな、この有様を見られずに済んで」
「全く、本当だよ。こんな所を見られたら、絶対に菊に気付かれちゃうだろう」
藤助は気楽にも弁当を掻き込んでいる次男のに、またしても深い息を吐き出した。
「んっ、この弁当、なかなか美味しいじゃねえか。まあ、さすがに藤助には負けるけどな」
「このお弁当は、全体的に味が濃いですね」
「こっちは薄味だなあ」
「これはキャラ弁ですね。相当手が凝られています」
「本当だ! へえ、犬と猫のお握りか。可愛いな」
「でも、なんだか夕飯を食べている気がしませんね……」
「弁当のおかずなんて、そんなもんだろう」
「……お前等、よく平気で食えるな。そんな得体の知れない物を」
「得体の知れない物って……。そんなに気にすることですかね。道松兄さんだって、外食くらいしますよね?」
「それとこれとは話が違うだろう」
怪訝な面をしている道松に、そうかなあと牡丹は思うものの。それ以上言っても頭の固い長男のことだ。決して折れることはないだろうとあっさりと諦め、引き続き弁当に口を付ける。
けれど……。
「ん? どうした、牡丹。もう食わないのか?」
「いえ、なんだか心苦しくなって。この弁当、道松兄さんに作った物なのに。本人ではない人間が食べてしまうのはちょっと……」
今更ながらにその事実を思い出し、牡丹は思わず箸を止めてしまう。
けれど。
「なに、気にするなよ。コイツなんて、もっと最悪だぜ。バレンタインでもらったチョコだって、平気で他人にやるくらいだからな」
「仕方ないだろう。あれだけの量、一人で食べ切れるか。しかも、市販の物ならまだしも、手作りなんて尚更だ。なんでプロでもないのに、わざわざ時間を掛けてまで作ろうとするんだろうな。既製品の方が、絶対に美味いに決まっているだろうが。おまけに下駄箱にも平気で突っ込んで……。食べ物だぞ、不衛生だろうに。俺には気が知れん」
「……お前、それ、絶対に女の子の前で言うなよ。下手したらボコボコにされるぞ」
「なんでこんな奴がモテるんだよ」と、梅吉はぶつぶつと愚痴を溢しながらも、次の弁当へと手を付け。
そんな兄達の様子を遠目から眺めながら。なんだか思っていた節約生活とは程遠く。けれど、結局は虚しい夕食だと。牡丹は再び箸を手に取りながら、ひっそりと一人思う。
こうして今日も次第に更けてはいくが、天正家の節約生活はまだ始まったばかりである。
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