第022戦:君を我が 思ふ心の 深見草

 突如浮上した金銭問題により、家族会議の結果、節約生活を送ることに決まった天正家。


 そんな彼等の様子はというと……。



「おい、牡丹。どうしたんだよ? バイトの求人誌なんて眺めて」



 ちゅー……と紙パックのジュースに差されたストローを吸いながら、竹郎はひょいと牡丹の顔を覗き込む。


 一方の牡丹は難しい顔で雑誌に目を向けたまま、「んー……」と低い呻り声を上げた。



「うん、ちょっとな。バイトでもしようかと思って」


「へえ、それまた急な話だな。なんだ、何か欲しい物でもあるのか?」


「はは……。まあ、そんな所かな……」



(まさか、妹の下着代の為だなんて……。)



 恥ずかしくて言える訳もないと、牡丹は思わず竹郎から目を逸らす。



「でも、そうだよな。八人兄弟って、色々と金が掛かって大変そうだもんな。

 そういやあ、小遣いとかってどうなっているんだ? もらえているのか?」


「うん、一応。月初めにもらっているよ。でも、それだけだと足りなそうなんだよな」


「ふうん。でもさ、バイトなんてできるのか? 部活はどうするんだよ?」


「そうなんだよ。問題は、そこなんだよなあ……」



 竹郎の指摘に、牡丹は現実を思い出し。はあと深い息を吐き出すと共に、ぐたりと机に突っ伏した。



「部活が終わってから、バイトに行く余裕なんてなあ……」


「そうだよな。運動部はキツイよな」



 やはり、現実はなかなか厳しいと。牡丹はもう一度、深い息を吐き出した。


 けれど、かといってそう簡単にも諦め切れず。悪足掻きとでもいうのだろうか。引き続き手頃なものはないかと目を細め文字の羅列を追っていると、不意に廊下から慌ただしい音が響き渡り。鳴り止んだかと思いきや、がらりと教室の扉が開かれ。



「おい、牡丹! ちょっと匿ってくれ」


「梅吉兄さん!?」



 そう半ば叫びながら飛び込んで来たのは次男の梅吉で、彼の息を荒く、肩を激しく上下に揺らしている。



「梅吉兄さん、どうしたんですか? そんなに慌てて……」


「どうしたもこうしたも……。げっ、もう追い付いて来やがった!? 牡丹、俺はここには来ていないからな!」


「はあ……」



 牡丹は訳も分からぬまま、取り敢えず気の抜けた返事をし。その間にも梅吉は、咄嗟に掃除用具入れのロッカーの中へと身を隠す。


 すると、それと入れ替わるような形で、またしても教室の扉が外側から盛大に開け放たれ。



「おい、牡丹! あの馬鹿が来なかったか!?」



 そう怒声を上げながら入って来たのは、今度は長男の道松だ。


 続けて訊ねて来る兄達に、やはり牡丹は意味が分からないまま。ぽかんと間抜け面を浮かべさせるばかりだ。



「えっと、馬鹿って一体……」


「馬鹿と言えば、アイツしかいないだろう。梅吉だ、梅吉!」


「ああ、梅吉兄さんですか。梅吉兄さんなら、えっと……。あっちの方に走って行ったような……」


「そうか、分かった。あの馬鹿を見つけたら、直ぐに俺に教えろ」



「何がなんでも絶対に捕まえてやる……!」と、道松は背中に大きな炎を燃やしながら。牡丹が指差した方向へと颯爽と教室を飛び出して行く。


 どたどたと彼の足音が遠退いていき、おそらくロッカーの中からでも分かったのだろう。がちゃりと扉が開き、中から隠れていた梅吉が出て来た。



「ふう……。いやあ、危ない所だったぜ。助かったよ、牡丹」


「それは別にいいですけど……。今度は一体何をしたんですか?」



(道松兄さんが、あんなにも血眼になって探しているんだ。)



 きっと余程のことをしたに違いないと、牡丹は呆れ顔さながら自然と推測を立てる。



「なんだか失礼な言い方だなあ。俺はただ、ちょっと商売をさせてもらっただけだよ」


「商売ですか?」


「おうよ。道松・藤助・桜文のプライベート・スペシャルショット! 一枚なんと、たったの五十円! セット販売だとよりお得! どうだ、牡丹」



「一枚買わないか?」と、梅吉はばっと机の上に何枚もの写真を並べる。



「商売って、こんなことをしていたんですか……。こんな写真、いつの間に撮ったんですか?」



 長男のあの怒りっぷりの原因はこれかと、牡丹はぺらぺらと写真を眺めながら理解する。それは着替え途中や寝顔など、どれも際どいものばかりであり。天正家での日常の一コマで、まさにプライベートそのものであった。



「いやあ、なんのこれしき。俺の手に掛かれば朝飯前よ」


「こんなことをして、本当に大丈夫なんですか? 道松兄さん、相当怒っていましたよ」


「なに。これも偏に可愛い妹の為だ。節約生活より、こっちの方が手っ取り早いだろう? 兄として、少しくらい体を張ってもらわないとな」



「誰か買わないかー?」と梅吉が声を張り上げるや、主に女生徒達の目が鋭く光り。一気に彼の周りに群がった。



「道松先輩セットお願いします!」


「私は藤助先輩で!」


「はい、まいどー」


「あの、先輩。先輩の写真はないんですか?」


「えっ、俺? ごめん、俺のは用意してなかったや。そうだなあ……。それじゃあ、撮影会ってことで撮ってもいいよ」


「えっ、本当ですか?」


「うん。なんだったら、サービスで上までなら脱いでもいいし」



 そう言うや、梅吉はずるりとジャケットを脱ぎ捨て。ワイシャツのボタンを一つ一つ、焦らすように外していく。ボタンが一つ外れる度に、女子の群れから黄色い歓声が上がるが。



「ほう……。それで、その撮影会は一体いくらだ?」


「そうだなあ。一人三百円で、取り放題って所でどうかな? ポーズも自由に指定オーケーで……って、ん……? その悪魔の声は……。げっ、道松――!?」



 いつの間にか梅吉の後ろには、悪魔の声もとい道松が立っていた。


 眉間にはこれでもかというほど皺が寄り、かつて見たこともないほど恐ろしい形相をしており。彼の言う通り、まるで魔界からの使者のようだ。背中には目には見えないものの、凄まじいオーラまでもが宿っている。



「梅吉、てめえ……。分かっているんだろうな……?」


「えー? 分かっているって、なんのことかなあ?」


「ふざけるなっ! おらっ、持っている写真を全部出せ! それと、儲けた金もだ!」



 道松は梅吉の胸倉を掴み上げ、ぶんぶんと強く揺さ振る。傍から見れば治安の悪い町を徘徊しているチンピラが、幼気な少年からカツアゲをしているようだ。


 けれど、実際には立場は逆であり、幼気な少年の方が余程質が悪く。目の前で繰り広げられる兄弟喧嘩を見せ付けられながら、せめてここで暴れるのは止めてくれないかなと。牡丹は必死の長男には申し訳ないが、そう思わずにはいられない。



「キャーッ、えっちー!」


「気色悪い声を出すな! どこに隠した、早く出せっ!」


「あーっ、もう。やっと見つけた! 

 梅吉ってば、また変なことを企んで……」


「藤助兄さん! 兄さんもなんだか大変そうですね……」


「ははっ、まあね……。

 もう、梅吉ってば。俺達の写真を勝手に売って、みんなからお金を巻き上げるなんて。早く持っている写真を出さないと、今日の夕飯抜きにするよ」


「おい、藤助! それは反則だろう!?」



 狡いと梅吉は必死に抵抗するが、天正家で生活をする以上、家事全般を取り仕切っている藤助には誰一人として逆らえるはずもなく。


 梅吉が折れるのは最早時間の問題で、にこにこと笑みを取り繕っている藤助を拝めるような形で、彼は渋々隠し持っていた写真を出した。



「ったく、勝手に人のプライバシーを売りがやって……」


「だって、面白いくらいばんばん売れるんだぜ? これがやらずにいられるかっての」


「開き直るんじゃない! 本当にこれで全部だろうな? 一体何枚売ったんだよ……。

 おい。今、コイツから写真を買った奴。金は返すから写真を出せ」



 道松はくるりと写真を購入していた女生徒等の方に手を向けるが、しかし。名乗り出る者は一人もおらず。


 代わりに誰もが咄嗟に持っていた写真を隠し、視線を適当に宙に漂わせる。



「おい、この馬鹿から買っていただろう。さっさと写真を出せ!」


「脅したって無駄だと思うぜ。こんなお宝写真、誰もそう簡単には手放さないって」


「うるせえっ、お前は少し黙っていろ! 

 いいから早く出せ!」


「ねえ、道松。女の子達から無理矢理奪い取る訳にもいかないし、売られた分は仕方ないよ。諦めよう。どの道、全部回収なんてし切れないだろうし……」



 藤助に諭され、道松は不本意ながらも妥協せざるを得ず。



「ちっ……、仕方ねえなあ。今回だけは特別に目を瞑ってやる。けど、梅吉。次はないと思えよ……!」

と、物騒な台詞を残し、藤助を連れて教室から出て行った。



「良かったですね。夕飯抜きにならなくて」


「まあな。さすがにこれ以上食事の量が減るのは、キツイからな。

 えー、お兄ちゃんからもお許しが出たということで。どうにか死守した道松のとっておきシャワーシーンもあるんだけど、どうかな。誰か買わない?」


「梅吉兄さん……。まだ隠し持っていたんですか……って、ひっ!??」



 突如、ただならぬ殺気を感じ。振り向けば、そこには案の定、鬼の形相をした道松が……。



「梅吉、てめえっ……! 誰が許すと言った、誰が。ああっ!? この、舌の根も乾かぬ内に……!」



「いい加減にしろーっ!!」と本日一番の雷が、本来なら麗かな昼下がりを送っていたであろう二年三組の教室に落下した。






✳︎✳︎✳︎






「で、成果の方はどうだ……?」



 時は移り、時刻は亥の刻――。


 天正家の食卓では、第九十三回天正家・家族会議がひっそりと開かれていた。集まったメンバーは前回と同様、菊と芒を除いた残りの面子だ。


 冒頭での梅吉の問い掛けに、藤助は静かに首を左右に振る。



「まあ、こんな短期間ではそんなものか。こういうのって一ヶ月や数ヶ月続けてこそで、直ぐには結果が出ないからなあ」



 分かってはいたものの、やはり落胆の色は隠し切れず。すっかり沈んだ空気が流れる中、牡丹はおずおずと片手を挙げ。



「あ、あのう……。これ、あまり多くはないんですけど……」



「良かったら足しにして下さい!」と、牡丹はおそるおそる何枚かの野口さんをテーブルの真ん中に置いた。


 それを合図に兄達は互いに見つめ合うと、はあ……と同時に深い息を吐き出し。



「へっ!? あの、俺、何かしましたか……?」


「いや、別に。結局、みんな考えることは同じかって思っただけだ」


「えっ? 同じって……」



 ぽかんと目を点にしている牡丹に、みんなそれぞれ自分の財布を片手に掲げて見せ。



「ほら、俺の分だ」


「俺も。今月の小遣い、ほとんど使っちまってそんなにないけどな」


「へへっ。はい、俺の分も」


「どうぞ、気持ちばかりですが使って下さい」


「ごめん、みんな……」


「なんで藤助が謝るんだよ」


「そうですよ。藤助兄さんは何も悪くありませんよ」


「うん、ありがとう。取り敢えず、写真で儲けた分と合わせて。これだけあれば、二、三枚くらいは買えるな」


「ああ。あとは菊に渡すだけだな。それじゃあ……」



「しっかり頼んだぞ」と述べる梅吉に並ぶよう、牡丹と菖蒲、それと桜文は、こっそりとリビングに置かれたソファの陰に身を隠し。食卓の方を窺っている。


 そこには道松と藤助が並んで座っており、それから二人に向かい合う形で菊が腰を掛けている。三人が席に着いてから数分が経過するものの、お互いに黙り込んだまま。偶にお茶を啜る音ばかりが閑散としたその場に響き渡る。


 すっかり重苦しい空気が流れている中、けれど、それを引き裂くよう漸く菊が口を開いた。



「それで。話って、なに?」


「えっと、それは……。あの、これ……!」


「なに、これ。お金……?」



 藤助が差し出した細長いサイズの茶封筒を菊は受け取り。中身を開け、こてんと首を傾げさせる。


 一向に理解できず頭上にいくつものクエスチョンマークを浮かべている彼女を前に、藤助は、つんつんと肘で隣の道松の腹の辺りを軽く突いた。



「その、なんだ……。そんなに多くはないが、これで必要な物を買いなさい」


「必要な物って?」


「だから、それは……。必要な物は、必要な物だ」


「……いらない」


「うん、うん。菊も受け取ったことだし、これでこの話もおしまい……って、ええっ! なんで!?」


「なんでって、いらないから。必要な物なんてないし」



 菊はいつもの調子で言い退けると、ぴらりと封筒を藤助達の前に置いた。


 それに対し、道松は椅子から立ち上がり。



「何を言っているんだ! あるだろう、必要な物が!」


「別にないって」


「嘘を吐くな、嘘を!」


「嘘なんか吐いてない!」



 ああ言えばこう言う妹に、道松はお手上げとばかりに眉間に皺を寄せていく。


 けれど、ふうと短い息を吐き出し調子を整え。一拍の間を置くや、ゆっくりと面を上げていき。



「……お前、無理して合わないサイズの下着を使っているだろう?」


「――っ!? そんなこと……」



「ない」と、菊はぽつりと。蚊の鳴くような声で呟く。


 辛うじて聞き取ったその音に、道松は眉間に込めた力を若干緩めさせ。



「そんなことない訳ないだろう。無理しないで、この金で新しいのをちゃんと買え」


「……このお金、どうしたの?」


「どうしたって、それは、その……」


「最近、みんなのおかずの量だけ減って、ご飯のお代わりもしていない理由がこれ? 兄さん達の写真まで売っていたって聞いたけど」


「そっ、そんなこと……。お前が気に掛ける必要はない」


「本当のことを教えてくれないなら、尚更受け取れない」


「受け取れないって……。いいから黙って受け取るんだ」


「いらない」


「あのなあ……。ったく、どうしてそこまで無理するんだ」


「だから、無理なんかしていないし、第一、そんなこと、兄さん達には関係ない!」


「関係ないって……。

 兄として、妹に無理なんかさせられるか! いいから受け取るんだ!」


「嫌! 

 ……こんなお金、絶対に受け取らないからっ――!」



 だんっ――! と、両手で机を強く叩き付け。菊は拒否を貫く。そして椅子から立ち上がると、そのまま足を踏み鳴らしながらリビングから出て行った。


 その逞しい後ろ姿に、ひゅう……と木枯らしが荒び。



「あーあ。見事に失敗したな……」


「菊ってば、どうして受け取らないんだよお……」



 最後の障壁は、当事者にありと言った所だろうか。これで話も円満に収まるかと思いきや、思い描いた未来とは程遠く。まさかの落とし穴に、すっかりはまってしまった牡丹達。どうやら引き続き、緊急家族会議が開かれることは明白で……。


 しくしくと藤助の沈んだ声ばかりが、虚しくもその場に木霊し続けた。

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