第011戦:潮干の潟に 鶴鳴き渡る

 時は、放課後――。


 道松は藤助の顔に、ぐいと自身のそれを近付けて。



「おい、藤助。俺はこれから部活に行くが、絶対に鶴野に俺の居場所を教えるんじゃないぞ」


「えっ、どうして?」


「どうしてだと……?」



 ぴしりと額に青筋を立て。道松は、ばんっ! と机を強く叩き付ける。



「お前は今日一日のアイツの行動を見ていなかったのか!? 部活にまで付いて来られたら、一体どうなると思っているんだ。それ所じゃなくなるだろう」



 道松は、更に藤助の鼻先まで近付き。「いいか、分かったか?」と、強く念を押す。



「それはいいけど……」



「でも」と藤助は言い掛けたが、しかし。直ぐにも続きを呑み込んだ。


 きっと彼の努力は無駄に終わってしまうだろうと思うものの。あまりにも必死な形相を前に、とても口にする勇気など出ず。代わりに「頑張れよ」と、きょろきょろと周囲に気を払っている虚しい背中に向け、心の内で密かに声援を送るだけに留まった。


 そんな藤助はさて置き。一方の道松は、鶴野に後を付けられぬよう細心の注意を払いつつ、念の為、回り道をして射撃場へと向かう。


 どうにか彼女に気付かれることなく、無事目的地へと到着し。作戦の成功に彼にしては珍しくも悦に浸り、いそいそと扉を開けるものの――。



「おおっ! 朝夷さん、上手じゃないか!」



 パチパチと拍手が喝采している光景を前に、道松はずるりと盛大にこけた。彼の目の前では何故か鶴野を中心に、同胞達が和気藹々としている映像が展開されていた。


 予想とは反した出迎えに、道松は唐突に言い表しようのない脱力感に見舞われ。



「鶴野! ここで何をしているんだ!?」


「あら、道松様。みなさんに教わって、少々射撃をさせて頂いていた所ですわ」


「違う、そういう意味じゃない! どうしてお前がここにいるんだと訊いているんだ。ていうか、どうやって俺がここにいることを突き止めたんだ」


「こちらの学校には、射撃部があるとお聞きしまして。道松様ならきっとそちらにいらっしゃるだろうと思い射撃場を探していましたら、こちらの親切な方が案内して下さったんです」



 その親切な方こと陽斗は、どうもと軽く頭を下げた。



「なんでも陽斗様は、道松様とは親しい間柄だそうで……」


「おい。誰と誰が親しい間柄だって……?」


「なんだよー。俺達は三年間、射撃を通して苦楽を共にしてきた仲だろう?」


「その仲も、たった今、この瞬間に粉々に砕け散ったわっ! なんの為に、俺はわざわざ遠回りまでしたと思っているんだ。なんでコイツを連れて来た!?」


「なんでって、朝夷さん、射撃場の場所が分からなくて困っていたからだよ。それの何が悪いんだよ」


「だから、コイツをここに連れて来たことが悪いんだよ!」


「はあ、どうして? だって、彼女はお前の許婚なんだろう?」


「それはコイツが勝手に言っているだけで、違うと何遍も言っているだろう!」


「えー。だって俺、噂で知って、お前からは直接聞いてないし。道松ってば、いっつもそうだよな。肝心なことは秘密にしてさ。てんで話してくれないの。今回だってそうじゃないか」



 陽斗はじとりと道松を見据え、ぶーぶーと頬を膨らませる。



「いつも一人で悩んで解決しようとしてさ。俺はお前のなんなんだよ?」


「今はそういう話じゃないだろう。大体、お前には関係のないことだ」


「ふうん……、そうか。だったら俺と朝夷さんが仲良くしようが、朝夷さんの許婚ではない道松には関係ないだろう?」



 ふっ……と小馬鹿にしたように、陽斗は鼻から息を吐き出し。道松が二の句を告げずにいるのをいいことに、鶴野に話し掛け続け。



「それで、朝夷さん。良かったら射撃部に入らない? 見込みがあると思うんだよね。それとも、もしかして経験者?」


「いえ。私、このような本格的な射撃の経験は……。でも、幼い頃に玩具の銃で遊んだことはありますわ」


「へえ、そうなんだ。意外だなあ。お嬢様でもそういう遊びするんだ。でも、通りで構えがさまになっていると思ったよ」


「それにしても。みなさん、なんだかとても暑そうですわ」


「えっ? ああ。射撃用のこのジャケットって通気性がないから、着ているだけで汗だくになっちゃうんだよ。だから、ほら。暑さ対策は万全さ」


「まあ、団扇ですか。でしたら私が扇ぎますわ」



 そう申し出ると、鶴野は陽斗から団扇を受け取り。ぱたぱたと彼の顔目掛けて扇ぎ出す。


 陽斗はちらりと道松の方に視線を投げながら、わざとらしく大きな声を出し。



「あー、気持ち良い。いやあ、助かるよ、朝夷さん」


「いえ。陽斗様は道松様のご友人ですから」



 いつの間にか、二人はすっかり仲良くなっており。それを遠目から眺めていた道松の眉間には、平常以上の皺が刻まれていく。


 彼は、一歩踏み出し。



「おい、鶴野。――ちょっと来い!」



 それだけ言うとぐいと鶴野の腕を掴み取り、そのまま射撃場の外へと連れ出す。


 ばんっ! と、彼女の顔の脇の壁に手を付き。



「……おい、鶴野。お前、一体どういうつもりだ?」


「どういうつもりとは、私はただ、道松様のお役に……」


「いい加減にしろよ。言ったよな、俺はお前と籍を入れるつもりはないと。なのに、家でも学校でも四六時中付きまといやがって……。これ以上、金持ちの道楽になんぞ付き合っていられるか。それに、大体俺は……、俺はなあ、髪の長い女は嫌いなんだよっ!!」



「分かったら二度と付きまとうな!」と、吐き捨てるように言い放つと。道松は射撃場へと戻る。


 一人で戻って来た彼に、陽斗は首を傾げさせ。



「あれ、道松。朝夷さんは? もう帰っちゃったのか」


「当たり前だ。部員でもないのに、いつまでも入り浸らせて……。練習の邪魔だ」


「別に邪魔じゃなかっただろう。それに、朝夷さん、なかなか良い腕をしていたし。

 ……それにしても。お前って、髪の長い女が嫌いだったんだ。ふうん、それは知らなかったなあ」


「なっ……。お前、聞き耳を立てていたのかっ!?」


「まさか。お前の声が大きいから、嫌でも聞こえて来たんだよ」



「なあ、みんな」と、陽斗はこっそりと自分達の遣り取りを見守っていた周囲に同意を求めるものの。じとりとかつてない程鋭い瞳を光らせる道松に、すっかり恐縮してしまい。部員達は一斉に目を逸らす。



「でもさあ。お前が今まで付き合ってきた女の子って、みんな髪が長かったような気がするんだけど。気の所為だったかなあ」



 どうだったっけとぼやく陽斗の声を、道松は聞いていたのかいないのか。彼は銃を構えると、静かに的目掛けて引き金を引いた。






✳︎✳︎✳︎






 時は過ぎ去り、時計の針は七時を示すが、この時間、天正家は夕食時だ。


 しかし、食卓には美味しそうな匂いが漂うものの……。



「ねえ。鶴野さん、帰って来るの遅くない?」



 何かあったのではと、藤助は時計を眺めながら不安げな声を出す。



「道松ってば、知らないの? 鶴野さんがどこにいるのか」


「俺が知るかよ。家にでも帰ったんじゃないのか?」


「もう、またそんなこと言って……。荷物も置きっぱなしなんだから、それはないだろう。雑誌なんか読んでいないでさあ」


「鶴野ちゃん、道松があまりにも虐めるから、嫌になって家出しちゃったんじゃないのか? 

 いやあ、それにしても。道松様は随分とおモテになりますこと。今日一日だけで、学校中の噂の的だぜ」



 梅吉は、笑いを堪えているつもりなのか。口に手を当ててはいるものの、しかし。ぷぷっ……と気味の悪い笑みが漏れている。くすくすと笑い続ける彼の隣で、「俺も色々聞いたぞ」と、桜文の能天気な声も続く。


 こうして道松本人を余所に、彼の噂話で勝手に盛り上がる中。不意に玄関先から鶴野の声が聞こえ。



「ほら、見ろ。あの女が、あれしきのことで堪えるものか」


「よく言うぜ。本当は心配で仕方がなかった癖に。今更言うのもどうかとは思うが、その雑誌、上下逆様だぞ」


「……けっ、なんとでも言え」



 梅吉からの視線を振り払い、道松は読み掛けの雑誌を閉じると乱雑にテーブルの上へと置いた。


 その一方で、パタパタと軽い足取りの後、ばっと盛大にリビングの扉が開かれ。



「道松様! どうでしょうか? 似合っていますか?」


「――っ!? つ、鶴野。お前、その髪……」


「道松様のご希望通り、切って来ましたの」



 鶴野はくるくると、その場で軽く回って見せる。彼女の動きに合わせ、肩上でばっさりと切り揃えられた黒髪もふわりと揺れる。


 梅吉は、飄々とした音を上げ。



「へえ、良いんじゃない? うん、似合っているよ。でも、せっかく綺麗な髪だったのに。ちょっと勿体ないな」


「ふふっ、ありがとうございます。道松様はどうですか?」


「どうって、そんなの……。知らねえよ、そんなこと!」



 一寸考えた末、道松はそう吐き捨てると。後ろから呼び止める藤助を無視し、そのままリビングから出て行った。これは、以前にも見たことのある光景だ。デジャヴ。


 ずんずんと荒い足取りのまま階段を上り自室へと着くと、そのまま乱暴に扉を閉めた。



「……んだよ。綺麗さっぱり忘れやがって……」



 どさりと、ドアに寄り掛かり。道松は無意識に背中を預けさせる。


 彼の蚊の鳴くような呟きは、誰に聞かれることなく。時間の経過と共に、暗闇に紛れて消えていった。

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