第010戦:妹に恋ひ 吾の松原 見渡せば

 突然の鶴野の来訪から、翌日を迎え――……。



「こんなにも学校が良い所だったとは。そう思ったのは、生まれて初めてだ……」



 はあと深い息と共に、道松はそう、しみじみと吐き出させる。今日も朝から散々鶴野に振り回され、すっかり疲労困憊している彼の様子に。藤助は、大袈裟だなあと眉を歪めた。


 そんな調子でストレスから解放され、安楽に浸っていた道松だが、しかし。始業を告げる鐘の音に合わせて、担任が教室の中へと入って来て。



「おーい、チャイムが鳴ったぞ。ホームルームを始めるから、早く席に着けー。

 えー。突然だけど、転校生を紹介する」


「……ん? 転校生だと……?」



 一瞬で、嫌な予感を覚え。そして目に飛び込んで来た光景に、道松はがたんと盛大に椅子から転げ落ちた。


 その音に驚き視線を向けさせるクラスメイト達を余所に、教壇の脇に立った女生徒は一人にこりと微笑を浮かべている。


 道松は震えながらもどうにか手を動かし、その面目掛け指差して見せ。



「つっ、つつつ、鶴野!? なっ……、どうしてここに!? ちょっと待て。これは、一体どういうことだ!?」


「あら、道松様。私、転校して参りましたの」


「なんで、どうやって!?」


「勿論、道松様のお傍にいる為ですわ。ここの学校の理事長さんは、父と古くからの友人でして。訳をお話したら、快く受け入れて下さいましたの」


「なんだ、転校生は天正の知り合いか。それじゃあ、お前が色々教えてやれ」


「はあっ、どうして俺が!?」



 非難たらたら、声を上げる道松だが。一方の鶴野は、「宜しくお願いしますわ」と、ぴたりと彼に肢体を寄り添わせる。それと同時、「キャーッ!!」と黄色い悲鳴が教室は勿論、廊下中にまで響き渡る。


 その様を遠目から眺めていた藤助は、ご愁傷様と静かに唱え。それから、ははは……と乾いた音を上げさせた。






✳︎✳︎✳︎






「道松様!」


「道松様!」


「道松様――!」


「おーい、道松。……大丈夫か?」


「ああっ? 大丈夫な訳……ないだろうがっ!」



 ひょいと顔を覗き込ませる藤助に、道松は歯を剥き出しに。荒げた声を浴びせる。今日はまだ半日もあるというに、彼は既にげっそりとした顔をしている。


 朝のあの元気は、一体どこに行ってしまったのだろうかと。藤助は疑問を抱くも、訊ねるような野暮なことはせず。代わりに今日一日の彼女の様子を思い返す。



「まあ、鶴野さんのアプローチも凄いよな」


「お前なあ……。そう易々と、“凄い”の一言で片付けるな。凄いという尺度を通り越して、最早あれは異常だろうが」


「あはは、そうだね……。でも、少しは鶴野さんのことを考えてみる気はないの?」


「藤助……。お前、もしかして俺に喧嘩を売っているのか?」



 じろりと瞳を尖らせる道松に、藤助は両手を挙げ。



「まさか。ただのアドバイスだよ、アドバイス。でも、鶴野さんにも何か事情があるんじゃないの? 今まで全然会ったり、連絡を取ったりしていなかったんだろう。それが急に訊ねて来るなんて……。理由はちゃんと聞いたの?」


「たとえどんな事情があったとしても、だ。俺には関係ない」


「もう。強情張り」


「はっ。なんとでも言え」



 道松は、ふんっと鼻息荒く。藤助の言葉に、一切耳を傾けようとはしない。


 そんな彼の態度に、藤助はお手上げだとばかり。湿った息を吐き出した。



「それより腹が減った。早く昼にしようぜ」


「ああ。それなんだけど……」



 藤助は、ふいと道松から視線を逸らし。



「道松様! 午前のお勤め、お疲れ様でした。はい、お口を開けて下さい。あーんですよ」


「おい、藤助。俺の弁当は……?」


「えっと、道松の分は鶴野さんが用意するからって。今日は作っていないんだ」


「つまりは、これを俺に食べろと……」


「まあ、そういうことになるかな……」



 ふるふると拳を握り締め震えている道松の隣で、藤助は居たたまれず。明後日の方向を見つめ続ける。


 けれど、ちらりと鶴野のお弁当を眺め。



「見た目は綺麗だし、味だってきっと……。

 わあ、鶴野さんの作ったお弁当、とっても美味しそうだなあ!」


「ふざけるな、そういうことを言っているんじゃない! お前は俺に空腹を満たす代わりに、羞恥プレイをしろとでも言うのか!?」


「どうしたんですか、道松様。あーんですよ、あーん。ほら、お口を開けて下さいませ」


「うるせえっ。何が、『あーん』だ! 弁当を食う為だけに、そんな恥ずかしい真似ができるか……! 

 もういい、購買で済ます」


「ああっ、道松様。ウィンナーはお嫌いでしたか? それとも、タコさんではなくカニさんの方が良かったですか?」


「だから、そういう問題じゃねえ!」



 律儀にもそう言い放つと、道松は苛立たしげに扉を開け放ち。教室を後にする。


 ぴしゃんっ! と甲高い音が響き渡る室内で、置いて行かれた鶴野はしゅんと小さくなる。



「ええと、鶴野さん。その……、なんて言ったら良いか、よく分からないけど……」


「あの、藤助様。道松様は和食ではなく、洋食派でしたか?」


「えっ? あ、あはは、そうですね……」



「洋食派ですね」と、めげることを知らない鶴野に。藤助は、半笑いしながらそう返す。


 こうして、ランチタイムも終了し――。


 午後の授業、開幕。グラウンドには、活気な声が響いている。白線で引かれたフィールドの中を、何人もの男子生徒が忙しく動き回っており。



「おい、天正。パスッ!」


「ああっ!」



 ぽーんと、ボールが大きく宙に弧を描き。道松の元へと上手く繋がる。彼はそのままゴール前まで運ぶと、足を大きく蹴り上げ、そして――。


 瞬間、大きな歓声が沸き上がる。


 その音を他所に、道松は一つ乾いた息を吐き出し。額に浮かび上がる汗を手の甲で拭う。そよそよと流れる柔らかな風に汗ばんだ肌を晒していると、不意にスッと影が掛かり。



「はい、道松様。タオルとお飲み物です。先程のシュート、とっても素敵でしたわ」


「……おい、鶴野。お前、ここで何をしているんだ?」


「何って、道松様にタオルとドリンクを……」


「そうか、そうか。でも、女子は、確かマラソンをしているはずだが……」


「ええ、そうですわ。道松様、よくご存じで」


「ご存知かどうかはどうでもいい。どうして女のお前がここにいるんだよ!」



 眉を吊り上がらせる道松とは裏腹、やはり鶴野は微笑を浮かばせたまま。



「あら。道松様の行く所、この鶴野がいるのは当たり前ですわ」


「誰が決めたんだ、そんなこと! いいか、鶴野。体育は男女別だ。だからお前もあそこの女子の集団に混ざって走って来い!」


「ですが、道松様。私、あまり体が丈夫ではなくて。ですから、体育の授業は見学させて頂いているんです」


「だったら、おとなしく見学をしていろ」


「ですから、こうして道松様のご活躍を見学させて頂いているではないですか」



 ああ言えばこう返す鶴野に、道松はすっかり翻弄され。どうする術もなさそうな現状に、くらりと目の前は真っ暗になる。


 その場でよろけてみせる彼に、鶴野は短い悲鳴を上げ。



「きゃあっ、道松様!? 大丈夫ですか? きっとお疲れなんですわ、少しお休みにならないと。はい、どうぞ。膝枕です」


「ひっ……。だから、そうじゃなくて……」



 直ぐ様その場に座り自身の膝をぽんぽんと叩いて見せる鶴野に、道松はますます気が遠くなりながらも。


「おとなしく女子の見学をしろ――!」と、本日一番の声を上げた。

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