第009戦:今ひとしほの 色まさリけり

「み……、道松の婚約者だあ――っ!??」


「はい。私、朝夷あさひな鶴野つるのと申します」



「以後、お見知り置きを」と、素っ頓狂な音を上げさせる梅吉には構わず。例の女性は、丁寧な口調で後を続ける。


 その言葉遣い通り、純白のワンピースタイプのドレスを身にまとった彼女は、腰の半分くらいまである漆黒の髪を左耳の下で一つに束ね。雪のように白い肌からは、自然と清楚な雰囲気と気品が漂っている。


 鶴野は物音一つ立てることなく、ティーカップへと口を付け。そんな彼女を、梅吉は引き続きじろじろと眺める。



「それにしても、道松に婚約者がいたなんて……。

 ええと、鶴野ちゃんだっけ? 朝夷ってもしかして、コンピュータ企業で名を馳せている、あの朝夷コーポレーションと関係があったりするの?」


「はい。それは父の経営している会社ですわ」


「ふうん、やっぱりそうか。つまり鶴野ちゃんは、相当なお嬢様ってことか。

 おい、道松。許婚がいたなんて。どうして黙っていたんだよ」


「別にお前には関係ないだろう。大体、婚約者と言っても、一体何年前の話だと思っているんだ。あの話は、とっくに破談になっただろうが」


「いいえ。あれは一方的なお話で、私は了承していません。第一私には、道松様しかおりませんわ」


「おい。そんなこと、勝手に決めるな!」


「まあ、まあ。道松、少しは落ち着いて。所で、鶴野さんはどうしてウチに来たんですか?」


「それは勿論、道松様と籍を入れる為ですわ」



 おっとりとした見た目とは裏腹、大胆なことを平気で口にする鶴野に、藤助は飲み掛けていたお茶をぶっと盛大に噴き出した。


 げほっ、ごほっと数度咳き込み。どうにか調子を取り戻すや、藤助は汚れた口元を手の甲で拭い。



「せ、籍を入れにって……」


「あら。お言葉通りの意味ですわ」


「そうは言っても、道松は早生まれで。十七歳だから、法律上でも婚姻なんてできませんよ」


「その件なら十分に存じています。ですから、道松様がお誕生日を迎え十八歳になられたら直ぐにも結納できるよう、もう一度、きちんと婚約を結び直そうと思いまして」


「はあっ!? ふざけるなっ! さっきから黙って聞いていれば、好き勝手に言いやがって……。大体、なくなった話を今更蒸し返してどうするんだ。

 とにかく、俺はお前と籍を入れるつもりは更々ない。だから、早く家に帰れ」


「いいえ。道松様が認めて下さるまで、私は絶対に帰りませんわ」


「ふざけるな、とっとと帰れ!」



 帰れ、帰れとそればかりを繰り返させる道松に。藤助がまたも止めに入り。



「まあ、まあ。道松、だから落ち着いて……。時間も遅いし、話し合いは後日ゆっくりするとして。鶴野さんさえよければ、泊まっていってもらえば? 生憎ウチには、空き部屋もあることだしさ」


「はあ? 泊めるって……。何を言い出すんだ」


「だって、鶴野さんの荷物の量を見る限り、始めから長期戦になるって分かっていたみたいだし。本当に帰る気はなさそうだし、それに、これ以上騒いだら近所迷惑だろう」


「だからってなあ……!」


「そうだよ。いいじゃん、泊まってもらえば」



 けろりとした顔で横から藤助の意見を支持する梅吉に、道松の眉間にはますます皺が寄っていき。



「おい、梅吉。お前は単に面白がっているだけだろうが!」


「なんだよ。わざわざこうして許婚が逢いに来てくれたっていうのに、禄に話も聞かずに追い返そうとするなんて。冷たい男だなあ。

 そんじゃあ、手っ取り早く多数決で決めようぜ。鶴野ちゃんがウチに泊まってもいいと思う人は挙手。……ほら、見ろ。お前以外、全員賛成だってさ」


「なっ……、なんで全員手を挙げるんだ!?」



 道松は狼狽しながらも、ぐるりと弟達の顔を見回すと。みな同様の顔をしており。


 牡丹を筆頭に、各々口々に。



「ええと、俺は別にどっちでもいいかなと……」


「うん。俺も牡丹くんと同意見で、今更一人増えたくらいであまり変わらないだろうし」


「近所迷惑になるくらいならね」


「僕もこちらに迷惑さえ被らなければ、どちらでも構いませんよ」


「そんな話はどうでもいいから、早くご飯が食べたいんだけど」


「僕はねー、もう一人、お姉ちゃんが欲しいかなと思ってー」


「そうだよな。芒の言う通り、男ばかりでむさ苦しいし。華は多いに越したことはねえからな」



 けらけらと笑声を上げる梅吉のそれを掻き消すよう、道松は声を荒げさせ。



「お前等、少しは他人に興味を持てよ!」



「特に中盤の奴等!」と、顔を真っ赤に。ガンッと思い切りテーブルに拳を叩き付ける。


 そのまま荒々しくソファから立ち上がり。



「ちょっと、道松。どこに行くの?」


「風呂だよ、風呂! 風呂に入って、もう寝る!」


「夕飯は食べないの? 焼肉だよ?」


「いらねえっ!」



 手短に、それだけ言うと、道松は乱雑に扉を閉め。足を踏み締めながら、風呂場へと向かって行く。



「もう、道松ってば。しょうがないんだから……。あーあ、今日はせっかくの焼肉なのに……」


「あの、藤助兄さん。道松兄さんって、一体……」


「えっ? ああ、そっか。牡丹は知らないのか。道松の母方の家は、豊島としま財閥なんだよ」


「豊島財閥? 豊島財閥って、よくテレビのコマーシャルとかで流れている? 大きな会社ですよね」


「うん。豊島家は由緒正しき家柄で、何よりも血筋を大切にしているんだ。だから、どこの誰かも分からない男――つまりは俺達のお父さんのことだけど、そんな男との間にできた道松を、時期当主にできるかって。追い出されてここに来たんだ。

 でも、三年くらい前かな。道松のお母さんが病気で亡くなって。道松が豊島家を出た後に無理矢理一族が決めた相手と再婚させられたらしいんだけど、子宝には恵まれず。祖父母の間には彼女以外に子供がいなかったから、彼女の死を境に跡継ぎ問題が浮上して。

 結局、本家の血を途絶えさせるよりは良いと考えたんだろうな。道松を復縁させることにしたんだけど、でも、道松はそんな家に帰るもんかって頷かなくて。それで今もここで暮らしているんだ」



 藤助から話を聞き終えると、牡丹はちらりと虚ろな瞳を揺らさせ。



(道松兄さん、親父の所為で家から追い出されたなんて。そんなこと、全然知らなかった。

 今まであまり深く考えたことなんてなかったけど、親父のことで苦労していたのって俺だけじゃなかったんだな……。)



 なんとも言えない、やり場のないこの感情をどうすることもできず。じゅうじゅうと、香ばしい匂いが立ち込める中。先程まで鳴っていた腹の虫は、急におとなしくなり。牡丹は半ば呆然と、無意識に次々と焼ける肉をつついていった。






✳︎✳︎✳︎






 ――と。突然の鶴野の訪問により、ドタバタとした家内であったが、それもどうにかひとまず落ち着き。道松は一人、静かに入浴中だ。かぽーんと、長閑な音が聞こえて来そうである。


 先程までの怒りも若干だが和らぎ。湯船に浸かり疲れを癒していたが、不意にがらりと不審な音が鳴り。そちらに視線を向けると、彼の瞳は大きく見開いていき――。



「道松様。お背中をお流し致しますわ」



 ふふっと唇に微笑を乗せ、鶴野は悠長な足取りで浴室へと入って来る。彼女はあろうことか、バスタオル一枚という無防備な格好だ。余分な布をまとっていないお陰で、身体の輪郭がくっきりと浮かび上がっている。


 道松は咄嗟に彼女の肩を掴むと、くるりと回し。そのまま突き飛ばして、浴室から追い出した。それから直ぐ様扉を閉め切り。



「道松様、どうなされたのですか? 開けて下さい。道松様!」


「おい! 誰かこの女を、さっさとどっかに連れて行け!」


「もう、道松ってば。何を騒いでいるんだよ。近所迷惑だろう……って、鶴野さん!? あの、一体何を……」


「あら、藤助様。何って、道松様のお背中をお流ししようと思いまして……。でも、道松様ったら、どうして入れて下さらないのでしょうか。

 あっ。もしかして、このタオルがいけないのかしら。私、このような小さな浴室に入るのは初めてなので、規則を知らず……。確か、タオルを外さなければいけないんですよね」



 そう言うや、すっ……とタオルへと手を掛ける鶴野に。



「わーっ!?? いいです、いいです。外さなくていいですから! それ、銭湯や温泉での話だから」



「それよりも早く服を着て下さい!」と、藤助の悲鳴にも似た雄叫びが家内中に響き渡り。




 合掌。




「ぜい、はあっ……。つ、疲れた……」


「あの、藤助兄さん。……大丈夫ですか?」


「ああ、どうにか……」



 テーブルに突っ伏していた藤助だが、ぐったりとした面持ちをどうにか起こし上げ。牡丹が用意したグラスに注がれた水を、ぐいと一気に飲み干した。


 からんと、中に入っていた氷が軽く揺れ。



「鶴野さんは全然服を着てくれないし、唯一の頼みの綱である菊は無関心で助けてくれないし……」


「アイツが非協力的なのは、何も今に始まった話ではないじゃないですか」



 なんて。本人のいない所でいくら文句を言っても、無駄なだけだと結論付けると。牡丹は藤助に同情を寄せつつも、その場を後にする。


 階段を上がり、そのまま部屋に入ろうとするも。その先の光景に、ぎょっと目を丸くさせ。



「あの、その、鶴野さん……?」


「あら、牡丹様。お休みになられるのですか?」


「はい。そのつもりですが……」



 牡丹はぱちぱちと瞬きに夢中で生返事しかできていないものの、鶴野は全く気に掛けていないらしく。にこりと変わらぬ笑みで彼に応える。だが、その笑みに対しても、牡丹は呆然と頷き返すばかりで。何故なら彼の視線の先では、白色がベースの胸元が大きく開かれた、フリルたっぷりのネグリジェを身にまとった鶴野の姿があるからだ。


 彼女は牡丹に「おやすみなさい」と挨拶すると、道松の部屋の前まで進み。コンコンと、軽く戸を叩く。しかし、返事はなく。それでもめげることなく、鶴野は何度も戸を叩き続けた。


 その甲斐あってか、とうとう内側から勢いよく扉が開け放たれ――。



「なんだよ、うるっせえなあ! せっかく寝付けた所だったのに、目が覚めちまったじゃねえか!」


「それは丁度良かったです。道松様、夜の契りを結びに来ましたわ」



 漸く開いたかと思いきや、道松は彼女の姿を見るなり静かに扉を閉め。ぱたんと虚しい音ばかりが、深閑とした廊下に響き渡る。



「道松様!? どうしてですか? 道松様!」



 ドンドンと外側から鶴野が叩き続けるが、やはりそれ以降一切反応はなく。


 数十分にも渡る格闘の末、鶴野はぺたりとその場に座り込む。



「どうして開けて下さらないのですか、道松様……」


「えっと、それは、その……」


「いやあ、まさか我が家でこんなにも堂々と夜這いをされるとは。思ってもいなかったな。芒が寝ていて助かったよ。おこちゃまの教育にはよくないからな」


「うわっ、梅吉兄さん! いつの間に……って、そういう問題ですか?」



 確かにそうかもしれないけどと、牡丹は決して口には出さず。心の内で思うだけに留まった。


 そんな彼を他所に、梅吉は腰を下ろし。



「まあ、まあ。鶴野ちゃん、そう落ち込むなよ。道松は、ほら。ムッツリだから。そう真正面からぶつかっても駄目だ。ここは一つ、小細工しないと」


「小細工ですか?」


「ああ、そうだ」



 梅吉の言葉に、鶴野は顔を上げ。きょとんと目を丸くさせる。


 そんな彼女に構うことなく、梅吉は鶴野の耳元へと顔を寄せさせ。ごにょごにょと、何やら囁いていく。


 この二人が組んだ所で、なんだか嫌な予感しかしないと。牡丹は一人そう思い。


 自分にできることは、きっと何もないだろうと。自然と悟ると、生温かい目を浮かばせ。おそらく悪巧みを考えているだろう二人から、ひっそりと長男を見守ることに決めたのであった。

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