第003戦:山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる

 キーンコーンと、甲高い鐘の音が校内中へと響き渡り。



「えっと、今日からこの学校に転校して来た、天正牡丹です」



「よろしくお願いします」と定例文通り続けさせると、教壇の脇に立たされた牡丹は軽く頭を下げ。担任の指示に従い、窮屈に並べられた机の間を通り抜ける。


 窓際の一番後ろの席へと移動するが。



「よっ!」


「えっと……」



 席に着くと同時、前の席の男子生徒がくるりと上半身だけ後ろに向けた。


 それから、にっと白い歯を覗かせ。



「俺は与四田よしだ竹郎たけお。よろしくな、天正」


「あ、ああ、うん。こちらこそ……」



(そっか。俺、もう“天正”なんだよな……。)



 その事実に、牡丹はきゅっと下唇を軽く噛み締める。


 けれど、一方の竹郎はそれには全く気付いておらず。マイペースにも口を開く。



「なあ、天正。お前のこと、“牡丹”って呼んでもいいか?」


「それは別に構わないけど……」


「それじゃあ、改めて。よろしくな、牡丹。

 それでさ、牡丹の苗字って、“天正”じゃん? もしかして、あの天正か?」



 好奇に満ちた視線を差し向ける竹郎に、牡丹は一瞬息を詰まらせ。



(ああ、やっぱり“あの”が付くんだ。

 コイツも所詮は今までの奴等と同じ……。)



 牡丹は、ごくんと喉を鳴らし。



「うん。多分、与四田の思っている天正だけど……」



 ちらりと彼の顔を盗み見ると、予想とは裏腹。竹郎は、純粋な瞳を維持させ。



「やっぱり、そうなんだ! それじゃあ、牡丹は兄弟の中で上から何番目になるんだ?」


「えっ……。えっと、俺は六男だって……」


「そうか。なら、菖蒲の方が兄貴になるのか」


「そうだけど……。菖蒲のことを知っているのか?」


「勿論。天正家のことを知らない人なんて、この学校にはいないぞ」


「へえ。兄さん達って、有名なんだ……」


「そりゃあ、そうだろう。だって、腹違いの兄弟で一つ屋根の下で暮らしているだけでも凄いのに、七人もいるんだ。あっ。牡丹を加えたら八人になるのか。八人兄弟なんて、今の世の中、なかなかいないぞ」



 竹郎は感嘆の音を漏らし。



「それに、揃いも揃って、凄い面子ばかりだからなあ。長男の道松先輩は射撃部、次男の梅吉先輩は弓道部、三男の桜文先輩は柔道部のエースだろう。四男の藤助先輩は料理部部長で、腕が良いって評判が高い。五男の菖蒲は頭が良くて、テストでは常に首席だし、あと、初等部にも歳の離れた弟がいるんだよな。芒って、名前だっけ? 芒も小学生の癖に頭が良くて、天才少年って騒がれていたっけ」


「そうなのか? 家ではとてもそんな風には見えないけど……」


「そして、なんと言っても長女の菊は、そこらのアイドルより余程美人な上に、演劇部の期待の新人として注目を集めているからな。本当、良いよなあ。あんな可愛い子と一つ屋根の下なんて。ううん、羨ましいぜ」


「ははっ。羨ましい、か……」



 牡丹は彼女の渾身のストレートをつい思い出し、思わず頬を引き攣らせる。


 確かに顔だけは可愛いんだけどなあと思っていると、竹郎は猫撫で声を出し。



「なあ、牡丹。今度、お前の妹を紹介してくれよ」


「妹って、菊のことか? ……アイツは止めて置いた方がいいぞ」


「えー、なんでだよー。あっ。まさか、天正菊のことが好きなのか……!?」


「おい、冗談は止めろよ。仮にも兄妹だぞ?」


「それじゃあ、どうして紹介してくれないんだよ。牡丹のけち! っと、噂をすれば……かな?」



 竹郎の声に合わせ、横から「よっ!」と声が掛かり。



「どうだ、牡丹。新しい学校は」


「梅吉さん! それに、桜文さんも。どうしてここに?」


「移動教室で近くを通り掛かったから、様子を見に来てやったんだよ。それにしても。

 あのなあ、牡丹。昨日も言っただろう? 年上である俺達のことは、ちゃんと“お兄ちゃん”と呼べと」


「はあ……。所で、梅吉さん。ほっぺにご飯粒が付いていますよ?」


「なに!? うわっ、本当だ。さっきお握りを食べたからな」


「なあ、梅吉。そろそろ時間だぞ」


「そうだな。そんじゃあ、俺達は行くわ」



「楽しくやりなよ」と、ひらひらと手を振りながら。二人は教室から去って行く。


 牡丹の横では、竹郎が先程以上に瞳を輝かせており。



「やっぱりすげえな、あの二人! ううん、オーラが違うぜ……。

 で、牡丹は何が得意なんだ? あの天正家の一員だもんな。剣の達人か? それとも、超能力とか使えたりして!」


「あの。期待を持たせて悪いんだけど、俺、ただの一般人だから……」



 竹郎の中で、天正家の人間は一体どんな風に映っているのだろうかと。牡丹は半ば呆れた面を浮かばせる。


 けれど。



(あれ……。俺、普通に……とは言っても、話している内容は全然普通ではないけど。でも、普通に会話しているのか……?)



 思っていた反応とは、少し違う。


 周囲の好奇な視線は変わらないながらも、今までとは異なるその色に。牡丹はこっそり、小さな息を吐き出させた。






✳︎✳︎✳︎






 あっという間に、時は過ぎ――。


 終業を告げるチャイムの音が、校舎中へと鳴り響く。竹郎は椅子から立ち上がると、ぐっと背筋を伸ばす。



「ううーっ、やっと終わったー! さてと、これから部活か。そう言えば、牡丹は部活どうするんだ?」


「部活か……。そうだな、剣道部に入ろうかなと思っていて……」


「剣道部か。剣道部なら校舎裏に道場があって、そこで活動しているぞ。途中まで案内するよ」



 牡丹は一寸考えてから、その申し出を素直に受け取り。二人は肩を並べ、教室を後にする。


 昇降口で別れると教えてもらった通り校舎裏へと回って行くが、角を曲がると、彼の瞳には一変した景色が飛び込んで来た。それは、一人の女生徒の周りを複数の男子生徒が取り囲んでいる光景だ。


 明らかに異様な様子に、牡丹は足を止めさせ。どうしたものかと悩んでいると、男子生徒の一人が彼女の腕を引っ張った。その途端、女生徒の口から短い悲鳴が漏れ。



「いやっ。離して下さい!」


「いいじゃん、少しくらい付き合ってくれても」


「そーそー。別に減るもんじゃないんだからさー」



 男子達の口から嘲笑が漏れる中、女生徒の瞳の端に、薄らと涙が浮かび上がる。


 それを目にした瞬間、牡丹は無意識にも彼女の前へと躍り出ており。



「あっ……、あの! ……彼女、嫌がっているじゃないですか」


「はあ? なんだよ、お前」


「あっ。コイツ、隣のクラスに転校して来た、あの天正家の新入りだぜ」


「えっ、天正家だって? あの一家、まだ兄弟がいたのか」


「あの家の親父、どれだけ浮気しているんだよ」


「ああ。あと五人くらいは兄弟がいるんじゃないか?」



 じろじろと牡丹のことを舐め回すように見回しながら、男子生徒達は再び嘲笑を上げる。


 一方の牡丹はその視線を振り払おうとするも、上手くいかず。嫌らしい音は、一層と大きくなっていくばかりだ。


 牡丹の頭は、自然と下がっていき。



(確かにコイツ等の言うことは間違っていない。あの馬鹿親父のことだ。七人もの異母兄弟がいたんだ、あと十人いても不思議でない。

 結局、俺はどこに行っても変わらないんだ。いや、変われない。

 親父の所為で、一生こんな惨めな思いを繰り返すしか……。)



 ぎゅっと、下唇を噛み締め。唇から、薄らと滲み出た血が口の中へと入り込む。


 その不快な味に顔を歪ませているも、不意にこの場とは不釣り合いな音が奏でられ。



「お楽しみの所、悪いんだけどさ。俺達の可愛い弟を虐めるの、止めてくんない――?」



 突如響き渡った清涼なその音に、牡丹の意識は呼び戻され。


 振り向けば、そこには――……。



「梅吉さんに、藤助さん。桜文さんに、道松さんまで……」



 辺りにはいつの間にか、天正家の年長組が揃っており。四人共、牡丹の元へと歩み寄る。


 梅吉は、ぽんと彼の肩に手を乗せ。それから、いつもの調子で再び口を開く。



「大体よー、女の子一人に寄って集って。恥ずかしくないのか? ったく、武士の風上にも置けねえなあ」


「武士の風上って……。それはちょっと違うんじゃない? ……あれ。誰かと思えば、紅葉もみじさんだ。大丈夫? 顔が赤いけど……」



 心配げに藤助が女生徒の顔を覗き込むと、彼女ははっと我へと返り。



「えっ……? はっ、はい、大丈夫です! あの、ありがとうございました!」


「いえいえ。俺達は何もしていないよ。お礼なら牡丹くんに」


「牡丹くん……?」


「うん。つい先日から一緒に暮らすことになった、俺達の弟なんだ」


「そうなんですか……」


「おい、それより。この外道達には、少しばかりお灸を据えてやらねえとな」



 じろりと瞳を鋭かせ、道松が男子生徒達を睨み付けると。彼等は一瞬の内に顔を蒼白させ、そそくさとその場から去ってしまう。


 あまりにも呆気ない幕閉めに、梅吉はわざとらしく肩を竦めさせ。



「ひゃー。怖い、怖い。何もそこまですることないだろう」


「おい。俺はまだ何もしていないぞ」


「その目付きの悪さだけで、十分な破壊力になるんだよ」


「ああっ!? 俺の目付きのどこが悪いんだよ!」



 ここで、お約束とばかり。額をくっ付け合わせる道松と梅吉の間に、藤助がするりと入り込む。


 すっかり調子を狂わされた道松は、梅吉から離れていき。それからわざとらしく咳払いをすると、キッと眉を鋭かせ。



「それにしても、だ。いいか、牡丹。言いたい奴には、好きなだけ言わせて置け。一々反応するな」


「そうだよ、牡丹。確かにお父さんの浮気性の所為で、肩身が狭い思いをしてきたかもしれないけど……。俺は今のこの生活が気に入っているよ」


「そうだなあ。俺も好きだな、みんなのことが」


「大体、家族なんて呪いみたいなものだ。いつの時代だって、子供は親に振り回される。血を受け継ぐと共に、何かしら背負わされるもんだ。けど、生憎俺達は一人じゃない。お前が一人で背負っているもん、俺達も一緒に背負ってやるよ。だから――」



「一人で抱え込むなよな」と、梅吉は普段の砕けた調子とは異なり。静かに後を続けさせる。



 その声を背景に、牡丹はきゅっと小さく拳を握り締め。



「あ……、あの! ありがとう、兄さん達。その、助けてくれて……」



「ありがとう」と、小さな声で繰り返す牡丹に、四人は顔を見合わせ。そして、誰からともなく同時に噴き出す。



「なあに、当たり前だろう。だって、俺達は家族じゃないか!」



 梅吉は、牡丹の背中を思いっ切り叩き。ばしんっ! と鈍い音を鳴らす。


 その痛みに、牡丹は思わず目の端に涙を浮かべ。



(一人じゃない、か。うん……、確かに一人ではないな。

 親父が来るまでの間、こういうのも悪くないかもしれない――……。)



 ひりひりと、痛む背中を擦りながら。牡丹は一人、真っ青な空を見上げさせた。

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