まばたきもできない光

@mihaku

第1話

(1)

千代田線大手町駅に着いて地下鉄を降りる。人の流れに飲みこまれないように、乗り換え案内を探していると

「綾子、あっちだ」

夫の飯田尚文が肩をポンと叩く。

「あ、うん。東西線ってずっと向こうなんだね。」

「そう。もはや同じ駅って感じしないんだよね。」

尚文は都内で働いていて、乗り換えや地理に詳しい。

綾子も10年近く品川あたりで勤務していたが、7年前、尚文の転勤を機に仕事を辞め、7年ぶりに関東に戻ってきたものの、すっかり浦島太郎状態だった。

以前、何度も乗った地下鉄やJRの路線ですら、キョロキョロしてしまう。

「尚文が一緒についてきてくれてよかったよ。」

綾子は肩をすくめた。

「ちょっと急げそう?乗り換えの時間がぎりっぽい。」

尚文が綾子の足元を見る。ヒールが高めのサンダルを気にしている様子だった。

「うん、大丈夫。」

正直、久しぶりにヒールのある靴を履いたから歩きづらいけれど、高ぶる気持ちが綾子の足を速めた。

(乗り遅れたら、イベントに間に合わないかもしれない)


『平賀れんと、トークイベント』のチケットが当選したとき、まさか当たるなんてという驚きと困惑があった。平賀れんとは人気急上昇中の、若手俳優だった。


綾子は元々、イケメン若手俳優やアイドルというものにそんなに興味がなかった。

現実・堅実主義の綾子は、そういう類の男の人とは縁がないものと思っていたし、そもそも、見た目だけで誰かを好きになることもなかったからだ。

そんな綾子が平賀れんとを知ったきっかけは、自分と同じ40歳の主婦友、伊藤さやが平賀れんとの大ファンだったからだ。

さやがスマホの画面を開くたび、平賀れんとの顔が表示され「れんとくんかっこいいでしょ」とまるで自分の彼氏のように、綾子にその写真を見せていた。

ふーん、と最初はたいして興味を持たなかった綾子だったが、さやの影響で、テレビや雑誌で「平賀れんと」が出てくるとつい目が行くようになった。

(確かに、綺麗な顔立ちの子だな。)

思わず、じっと見入っていたことに綾子はハッとした。

(やだ、私、年甲斐もなく、こんな若い子に)

さやみたいに、若い男の子に素直にきゃあきゃあ言えるノリは持ち合わせておらず、綾子はそんな自分に苦笑いをしてみせた。

だから綾子も、どうして自分がトークイベントに応募したのかもよく分からない。

たまたま見つけたWebサイトでイベントを知って、何気なく、という言葉がぴったりだった。

ちょっとした好奇心なのか、運試しみたいなものなのか。


「乗れてよかった」

綾子はふうと大きく息をついた。

尚文も少し汗ばんでいる様子だったが「これで間に合いそうだね。」とホッとしている表情だった。

イベントに参加するのは綾子だけで、尚文は会場までの付き添いだ。会場近くにショッピングモールがあるので、イベントが終わったらそこで合流する約束なのだ。

「なんか緊張してきたな。」

特に綾子が何をするわけでもなくただの観客なのだが、こんなおばさんが行くと悪目立ちするんじゃないんだろうかとか、いろいろ考えてしまうのは綾子のクセだ。

そういう不安もあって、尚文に近くまで付き合ってもらったのだった。


30分ほど電車に揺られ、ようやくイベント会場の最寄駅に着いた。

おそらく同じイベント参加者と思われる人の流れがあった。会場近くまで行くと、ちらほらと同世代っぽい人たちやさらに年上っぽい人たちがいて綾子はホッとした。

なるほど、平賀れんとは幅広い層の女性に人気があるのだ。

「じゃあ、行ってくるね。終わったら連絡する。」

綾子は尚文に見送られ会場内へと進んでいった。


(2)

会場は思っていたより広く、1000人、いや2000人はいるんじゃないだろうか。

大勢の女性たちがすでに着席していて、ざわざわと誰もが落ち着かない様子だった。

目に入ってくるのは、今日の日のために、というくらいお洒落をしている女性たちや、さやのようなテンションの高い人たちだ。みんな会う前なのに本当に嬉しそうで待ち遠しそうな表情をしている。

綾子はそんな様子に気後れした。

もっと気合い入れてお洒落した方がよかったのだろうか。そもそも、すごいファンってわけじゃないのに、自分がここにいてもいいのだろうか。なんて、今さら考えてもしょうがないのだが。

「Dブロック15列1番…」綾子はぶつぶつと念仏のように口にしながら前へ前へと席を探す。

(あ、ここだ、すごいステージに近い)

ステージの中央部分は少し前に出ていて、綾子の席から通路挟んですぐがその中央部分になっていた。



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