結婚と子供にまつわる考察と関係
河藤十無
結婚と子供にまつわる考察と関係
「私と結婚して欲しいの」
中学、高校、大学と何故か縁があり、こっちはその間ずぅっと憧れていた女性からこんなことを言われりゃあ、そら舞い上がりもしようってもんだろうけどさ。
問題は、彼女のお腹には子供がいて、その子供は俺と彼女の子供じゃない、って点だ。いや本当、何考えているのか分かんない。
「…えーと、二宮。一つ確認したいんだが」
「ええ。こんな話をして聞きたいことの一つや二つあるでしょうね。どうぞ?」
一つや二つどころじゃないし、聞きたいことっつーよりもツッコミの類だと思うんだが、まあそれはいい。
俺、滝本始は、呼びだされた会社近くの喫茶店で、届いた注文品の冷めたコーヒー…もちろん冷めた状態で饗されたのではなく、俺がぼーぜんとしてる間に冷めたのだが…をようやく口にしてから、聞いた。
「…その、妊娠してるとのことだけど……誰の子?」
「あなたの子でないのは確かでしょうね」
「たりめーだ。第一俺は童貞だ。身に覚えが無いにしても程がある」
「あら、意外。あなた結構モテると思っていたのだけど」
初耳なことをいわんでもらいたい。俺が女の子と付き合った経験無いのは、おたくのせいでしょーが。
辛うじてそんな文句を呑み込む。
彼女、二宮埜々はまあ、俺と同世代の男連中の間じゃあ、アイドルと言っていい存在だった。
中学の頃から美人で名が通り、それを鼻に掛けたりしない性格で誰からも好かれ、それはまあ、かえってやっかみの対象にもなったりはしたが概ね高校卒業までは特定の相手もいなかった、と思う。
なもんだから。俺を含めて幾人もの男がいつの日か彼女をものにしようと機を覗っていたものだが…大学に入ってすぐ、どこぞの青年実業家だかと、そーいう関係になったと聞いて全員ふかーく絶望したもんさ。
俺以外の連中が賢明だったのは、それですぐに切り替えて身の回りの女とよろしくやる方向に切り替えたことだろう。
俺が愚鈍だったのは、それでも未練たらしく彼女と同じ大学に四年通い、その間やっぱり彼女のことしか見ていなかったことだろう。
…まあ打算的なことを言えば、そこそこ勉強も出来た彼女と同じ大学に入ろうと必死になった結果、一流大学と呼べる学校には入学出来て、就職その他にはあまり苦労しなかったので、その点に限れば彼女と当時の俺に感謝しないこともないのだけど。
「…やっぱ例のヤツ?相手は」
「行きずりの相手と子供を作る趣味は無いわね。間違い無く、井之上さんと私の間の子よ」
「…そちらと結婚はしないので?」
「婚約者の他に愛人が四人もいる男と分かってて結婚するとでも?」
うーむ。そういう話でもあれば面白かろう、と二宮の相手が発覚した夜に同病の奴らと痛飲しながら出た話にそんな内容のものもあったが、まさか本当になるとは思わなかった。ひでぇ話だ。
「婚約は解消したわ。子供が出来たことが分かった後に発覚したから慰謝料も相当にふんだくれたし。満足よ」
ドライなやっちゃなあ。実際彼女が、内心でどう思っているかは分からないけど、存外サバサバとしてるので、俺も同情というよりは中絶するならカンパしようか?くらいの気分にしかならないもんだが。
というか。
「……あのさ、聞きづらいことを聞くけど…中絶したりは」
「考えてないわね。彼、男としては最低だけど、能力だけに限れば私の知ってる男性の中では最優秀と言えるもの。産みたいわ」
「さいですか…」
そらまあ、飛び級でアメリカのゆーめー大学に入学して優秀な成績で卒業し、日本に戻って起業するとあっという間に億万長者になった男だ。優秀でないわけがなかろう。
けどなあ。
「で、何で俺が結婚相手として指名されんの。言っちゃなんだけど、二宮と同じ大学を辛うじて卒業出来た程度の、不出来な男なんスけど」
「不満?」
「不満っつぅか…今自分がどういう状況なのか、理解出来ない」
「…ここ、はっきりさせておかないと結婚してから揉めるでしょうから言うけど」
「ああ」
妊娠中、ってことと関係あるのかないかは知らないが、老舗の喫茶店であるにも関わらず、二宮はホットミルクを飲んでいる。前は結構コーヒー好きだったんだけどなあ。
「私ね、子供の遺伝子上の父親と、育ての親は別であっても構わないと思ってるの。同一であれば問題は少ないでしょうけどね、どちらとしても優秀だとは限らないもの」
「えと、それは俺は遺伝子上の父親としては、優秀ではない、と見做されているってことでしょーか」
「少なくとも井之上さんに比べれば、ね」
ハッキリ言うなあ。そういうところは、大学に入ってから変わったところだと思う。男の影響なんかね。
「別にガッカリすることも無いんじゃない?子供の親としては、滝本くんは彼よりずぅっと上だと思っているのだし」
「ガッカリというよりかなあ。今ひとつ納得しかねる点が二つばかりあって」
「うん」
…興味深そうに、身を乗り出してくる。
高校の頃、一回だけ二人きりでこんな風に話をしたことがあって、その時も俺なんかの話をこうやって面白そうに聞いてくれたっけ。
あの時はそれはそれで彼女の気をひこうと必死だったのだけど、今のこの状態を当時の俺が見たら、何と言うのやら。
「男の本能的に、他の男の子供を育てることに、モヤッとしたものがある」
「なにそれ」
「…やっぱ自分の遺伝子残すことに拘るからじゃないのかな。なんだっけ、カッコウの托卵?他の生き物の子供を育てさせられるってことを可哀想に思ったクチなんで」
「…理解し難いわね。井之上さんが私を孕ませて、滝本くんに育てさせようとしてるんなら引っかかるものがあるのも分かるけど、私が遺伝子上の父親を見限って育ての父親を選ぼうとしてるのだから、気にすることもないと思うわよ、母親としては」
「そこんとこ、二宮って男心理解してねーよな」
「産まれてこの方、それについては一度たりとも理解出来たと思ったことはないわね」
そーそー、こういう奴だった。女の朴念仁っていうかさ、こと色恋沙汰に関しては野暮が服着て歩いてるようだったもんなあ。
なんとなく、相変わらず過ぎて高校時代に戻ったような気分になる。
「あともう一つ」
「聞かせてもらいましょう。この際だから」
「いや、しょーもない話だけど。俺さ、いっこも気持ちのいい目にあってないんだけど。それで子供だけ育てろって言われても、なんか納得いかない」
我ながら明け透けな物言いだったとは思うけど。
二宮は、真意を理解すると「ばかじゃないの?」みたいな目で俺を見ている。
これで愛想尽かされてしまえば、まあそれはそれで構わない…と思ったのだが、どーもそこが童貞ボーヤと経験豊富な女の違いとでも言うべきか、可笑しそうにくすくす笑って言うのだった。
「ほんと、男の人ってばかよね。おバカ」
「なんかスケベと言われるよりショックが大きい」
「そうなの?私にはその違いがよく分からないけれど…でも」
と、マグカップを空にしてから、二宮は続ける。
「…それはこれから先、いくらでも機会あるでしょうし。気にしなくてもいいんじゃないのかしら?」
「それはそれで、セックスが目的で結婚するみたいで後ろめたいというかなんというか…」
「童貞って面倒くさいわねぇ…」
自覚はあるがしみじみいわんで欲しい。普通に傷つく。
「それで、他に納得できない点ってあるの?それより、今の話で納得はできたの?」
「いや、納得出来るとか出来ないとか、そんなのはこの話の成否には関係ないからどうでもいいんだけど」
「そう。なら、返事を聞かせて欲しい。私と結婚してもらえない?」
「………」
納得出来ない点、というのであればそもそも論として俺がこの場にいること、なんだけどな。
「…あのさ。二宮が結婚する相手として俺を選ぶのって、子供を育てる親として相応しいと思うから、かな?」
「それが一番だと思うのだけれど。逆に滝本くんが私の立場だとしたら、違うというの?」
「いや、子供のことを第一に考えるってのはまあ、悪いことじゃないと思うよ。シングルマザーがオトコだけ見て結婚したら、オトコと一緒になって自分の子供を虐待死させた、なんて話珍しくないしさ」
「ならいいじゃない」
「良いことだとは…思うんだけどさ」
まあそこんとこ、ヘタレだのなんだの言われても仕方ないとは思うんだけどさ。
やっぱり、なあ。
「その、ちっとは俺個人を評価してもらえたら…とは、まあ思う。そのー、子供のこととか抜きで。俺を、実は好きでしたー、なんて都合のいい展開は期待しちゃあいないけどさ、中学の頃から憧れていた相手に、そのー、想われていましたー、とかってのも悪くない……あの」
思春期の始まった頃みたいな事を言ってると気付いて膝から下だけで身悶える俺だった。アホかと。
そして、向かいの二宮は呆れているかと思いきや、これまた趣深い顔をしていた。
趣深い、というのが適切でなければ、興味深い、とでも言うのか。
「…まあ白状するとね。滝本くんとどうのってことは考えたこと無かったけど、こういう身になってみて頼りにしたい、って最初に思ったのも滝本くんだったわけ。何だかんだ言って一番付き合い長いじゃない。親よりも先に顔が浮かんだのだから、私としては決して低く評価してるわけじゃないと思うの」
そんなもんなのだろうか。就職して以降実家と疎遠になってる次男坊としては、親御さんと比較されて上とか下とか言われてもよくわからん。
「別に俺も、子供と旦那を天秤にかける女性は嫌だ、ってわけでもないし。二宮を自分的にどう思うか、だけしか言えないもんなあ」
「…そうよね。なんだか結婚ってことに、踏み出せば簡単なのだろうけど現実感が無いまま母親になってしまいそうな気がしてきた、私も」
「こんな状態で仮に結婚しても、なんか上手いこといくとは思えないよなあ…」
「そうね…」
相対するため息。
数時間前、二宮に呼び出された時のことを思い出す。
俺たちが暮夜恨みに思った相手の男と、そろそろ結婚するから、なんてぇ話でも聞かされるのかと思って足取り重くやってきたら、こんな話なわけだ。急転直下ぶりも半端ないのだけど、二宮にしてみれば考えに考えた結果、俺を呼び出したのだろうとは思う。
けどそれでもなあ。
過去の恋心だけを根拠に飛びついていい話とも思えないし、俺自身がこの先どう気持ちが変わるかだって分からんわけだ。
となると。
「…二宮、提案」
「なにかしら」
女からしてみれば、男の逃げ、と思われるかもしれないけどさ、自分たち二人だけのことでもないんだから、そりゃ慎重にもなるわけで。
「お前さ、独身で産んでしまわね?それで、産まれた子供見て、俺の気持ちがどうなるか。その時点でお前がどうするつもりなのか。それで結論出さない?」
「…滝本くんが、子供をどう見るか、ってこと?」
「そう。それで、あ、やっぱダメだ、と思ったら多分上手くいかないと思う。そん時に俺がどう思うかなんて、想像つかねーもん」
「滝本くんに都合良すぎないかしら、それ」
うん、それは正直言って、俺もそう思う。
けどしゃーないじゃん、そんな先のこと、俺には分からないんだし。
「…そこはそれ、ダメだったら友人として全力でバックアップはするから。良い父親候補だって紹介する」
「………ま、そんなところか」
割とあっさり納得してくれた。こういうところ、軽いというかドライな奴だなあ、と思う。
「とりあえず体は大事に。相談にはのる…っても、妊婦さんの事情なんか知らないけどな」
「そうね…ところで、処女懐胎ってのは聞くけど、童貞で父親になるってのもどうなのかしら」
また、難しいことを言う奴なのである。
子供が産まれるまでに俺の方でそんなことがあったら大分気持ちも変わりそうで、当面は清い体でいた方が良さそうだな、と思う。
「それとも、私もまだしばらくはデキそうだから、滝本くんがよかったら、する?」
「…なんか体で縛られそうだから遠慮しとく」
「…残念」
……それも結構大変かもなあ、とひどく色っぽく見える二宮から目を逸らす俺だった。
結婚と子供にまつわる考察と関係 河藤十無 @Katoh_Tohmu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます