「だんだん信頼できなくなる語り手」
「日記」「組み合わせ」「プロバビリティ」
デジタル全盛のこの時代、日記を手書きする理由はなんだろう。
頭に浮かんだ些細な疑問は、妙にしつこく片隅に居座っている。
理由とは動機であり、思考は性格に由来する。
人格を包含する個性の一端に、興味があった。
彼女のことが気になっている。
日記という些末なことへの拘泥も、きっとその一環なのだとは勘づいていた。素直な好意を自認したくはなくて、関心の体裁を整えているだけ。
だって気恥ずかしいだろう。
いくら思春期とはいえど、教室の窓際で静かに佇む姿が絵になるとか、黒縁の地味な眼鏡が知的で目を惹くとか、異性をあからさまに意識していると認めるのは難しい。
けれど、気づけば目で追っている。
授業中のふとした瞬間に、休み時間に出歩くついでに、級友たちと駄弁る横目に、お手洗いからの戻り際に、下校寸前の喧騒の中に、それとなく視線を向けてしまう。
日記という字面が目についたのも、そんな調子だったからだ。
授業が終わって、教科書とともに整理されていた、冊子の表紙。どうしてか新鮮に思えた文字列が、思考の片隅に棲みついている。
日記を書く理由について考えを巡らせるのも、悪くはないと思った。
令和の中学生ともなれば電話の携帯は必須で、彼女もその例に洩れない。
電子で日記を書く手段がある以上、紙を選ぶことには必要性以外の目的があることになる。
とはいえ現実は推理小説ではない。合理的な動機の存在は保証されていない。
なんとなくとか、気紛れだとか、必然性のない感情論で終わるかもしれない。
けれど、それもまた彼女の人間性だ。
たまたま当時の気分で紙の日記を書き始めただけだとしても、彼女はそういう人間なのだと、知ることこそが最大の報酬になる。
なんてことを明確に言語化していたわけでもなく。
なんとなく、彼女のことを目で追っていた。
私立として運営されているこの中学校では多様な部活動が奨励されていて、彼女はそのどれにも属さない。代わりというべきか、図書委員会に所属していることを除けば、あまり活動的ではないように見える。
図書委員らしく授業の合間には本を読んでいる、ばかりではなく、携帯をぼんやりと眺めていることもある。物理と電子のいずれかに傾倒している、というわけではないが、人づきあいへの関心が薄いのは間違いないと思われる。
周囲の級友との会話は最低限。携帯を操作しているときも、誰かとの返信に追われているような様子はない。図書委員会というのが交友を生む場なのかはわからないが、教室での印象からは望み薄だろう。
そもそも日記に書くような出来事があるのだろうか、という不安はさておいて。
いま知る限りの情報を総合しても、彼女の動機を推理する根拠はない。
図書委員として読書を好んではいても、電子媒体への嫌厭があるわけではなさそうだ。
機械で日記を書かない理由がないのなら、紙で日記を書く理由がおそらくあって、それを推し量る材料はまだない。
それ以上に踏みこむのなら、単なる級友以上の情報が必要になる。
けれど、普通の級友の域を越えて行動して、気味悪く思われるのは避けたかった。
だから、確率に賭けることにしたのだ。
偶然の一致を、奇妙な巡り合わせを、思いがけない遭遇を、繰り返すことで情報を集める。
プロバビリティに頼る恋。
たとえば、ときどき図書室に通うようになった。
図書委員の担当日とは独立に、あくまで乱択的に。たまたま来訪が一致した日に、それとなく様子を窺った。
たとえば、下校途中に寄り道するようになった。
徒歩で学校に通う彼女とは、電車通学の途中で出会うことはない。その代わり、中学校の近くの街並みをうろつくことにした。
そんなふうに、行動規範を変えていく。
彼女と行き先が一致する、偶発的な可能性の組み合わせの数を増やすように。
図書委員としての受付業務の傍ら、予習復習を欠かさない姿を知った。
入学以来の成績の良さを裏づける勤勉ぶりだった。
中学からの帰り道、ときどき甘味や氷菓を買い食いする姿を知った。
給食で終わる学校内では知り得ない嗜好だ、と思った。
そんなふうに、彼女のことを知る。
より深く深く、彼女のことを知る。
物足りなかった。
もっと知りたかった。
探究心のままに行動の幅を広げながら、ひたすら自分に言い聞かせていた。
故意じゃない。わざとじゃない。
あくまで偶然。たまたまのこと。
あるいは、それとも、運命的な、なんて。
それは流石に気持ち悪いだろうか。
彼女が読んでいた本を、自分でも読んでみる。
彼女が好んでいる菓子を、自分でも食べてみる。
彼女が通学している道を、自分でも歩いてみたり。
彼女が住んでいる、家屋を。
知っても、知っても、物足りない。
これはあくまで偶然の一致。
始まりはまるで些細な興味。
日記の手書きの理由を知るには、どこまで彼女を知ればいい?
その答えを知った日までには、気づくべきだったのだろうか。
彼女は徒歩圏内の私立中学を受験している。ならばその付近に、他の公立中学に通う知人がいても不思議ではない。
彼女は中学での人づきあいに消極的だった。その理由として、新たな交流が不必要というのは突飛な仮定だろうか。
電子ではなく物理で日記を書く理由として。単純な仮説は、物理的な媒体が存在することに伴う体験性ではないか。
彼女が日記を書く姿を目にしたことがない。そもそも彼女が、いつも手元に日記帳を置いていたとは限らなかった。
彼女の隣家には同年代の男子が住んでいた。
彼女はその玄関口で男子と向き合っていた。
その光景を目にしたのは、あくまで偶然だ。
未必の故意の末路。
もはや手遅れの恋。
幼馴染の少年に笑いかけながら、彼女は手に持つ交換日記を差し出していた。
三題噺 シャット @shut_kyomu
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