「凸凹アイドル」
「地獄」「アイドル」「ラブレター」
偶像に自由意志はない。
私情は一切許されない。
百も承知のはずだった。
学生の身でアイドルという立場を得ることは、想像をもとに覚悟していた以上の苦痛を伴っていた。
アイドルとは、可愛くなければならない。美しく在るべきなのだ。ファンに夢見せる者である。
だからわたしは、ありのままではいられなかった。
平凡な女子高生のリアルは、アイドルに足らない。
きっと、専業には縁のない悩みだろう。しかしわたしは学生だ。アイドルではない時間にも、学校という社交場にいる。それはつまり、アイドルでない時間がないということ。
私生活は許されていない。
友人と交わした軽率な一言がネットでの炎上を招くかもしれない。
無邪気で無神経な恋愛への憧れがガチ恋勢の逆鱗に触れるかもしれない。
もしもばかりの日常に、かつての平穏はなかった。
くだらない雑談で友達と笑いあう癒しなんてない。
いつか巡り会う運命の恋に思いを馳せることもできない。
アイドルという立ち位置に、生身のわたしが呑まれていく。
学業成績不振なままではアイドル失格かもしれない。
友人を依怙贔屓するようだとファンの心証に悪いかも。
運動を不得手としていたらアイドルにはふさわしくない。
恋も惚気も告白も全部、アイドルに恋愛沙汰は厳禁だろう。
完璧でなければならない。
理想的でなければならない。
アイドルでなければならない。
最高の学生でなければならない。
わたしのままであってはならない。
予習復習は欠かさない。トレーニングも怠れない。売れっ子路線に乗りかけたいま、仕事を休めるはずもない。
わたしは満足しているはずだ。
望んでアイドルを選んだのだから。
それは苦労と言わないはずだ。
自分から背負った重荷なのだから。
でも、どうしてか。
少しだけ、────息苦しい。
一通の手紙が届いたのは、そんなある日のことだった。
ありていにいって拙い筆致。庶民的で飾り気のない語彙。芸術にも文学にも遠い、凡百の表現であると思う。
きっと、ごく普通の内容だ。あなたのファンであるとか、笑顔を素敵に思うだとか、ひたむきな姿に憧れるとか、これからも頑張ってほしいとか、自分も頑張りたいだとか。アイドルが受け取る手紙のテンプレートを、そのままになぞったような。
胸を張って優れているとは言えない。
この先もアイドルを続けるなら、もっと情熱と文才溢れる手紙がいくらでも届くはずだ。
どこまでも拙くてありふれた、くだらない文章なのに──それでも救われたように感じてしまう自分が、なんだかひどくおかしかった。
否定的な感想なんて、いくらでも捻りだせるのに。しようと思えば好きなだけ罵倒できる、こんなものを喜べるのかと笑われるような、未熟な作文なのに。
アイドルという虚像を演じる、きっとアイドルには足りない、生身の私の心が深々と貫かれていた。
だって、嬉しかったのだ。
文筆に不慣れだからこそ、抑えのきかない本心が行間から明瞭に伝わってくる。
この手紙の主は、わたしが最高のアイドルとして完成しているから惚れこんだわけではなく。
より高みを目指して努力する姿にこそ惹かれたのだと、理解させられた。
たとえ完璧になれずとも──その頂きを目指す姿こそが、輝いている。
それが、かつてのわたしもまた惹かれていた、アイドルというものではなかったか。
夢に近づいたことで、目が曇っていたのだろうか。
肩に力が入りすぎていた自分を、自覚する。
ファンを笑顔にするのが仕事だと思っていた。完璧なアイドルとして、彼や彼女に底抜けの笑顔を与えなければならないと、思いこんでいた。
違うのだ。
誰にでも、誰かを笑顔にすることができる。
誰だってアイドルになれる、その可能性こそが尊いのだと──教えられた気がした。
もちろん、鍛錬をやめるわけではない。ありのままのわたしでもアイドルでいられるとしても、より強く輝くための努力を怠る理由はない。
けれど、少しくらいはゆとりがあってもいいはずだ。
仕事だけではなく、学業も友情も恋愛も──青春のすべてを楽しんでこその、アイドルというもの。
たとえば──この拙いファンレターを下駄箱に放りこんでくれた、誰とも知れない誰かのことを知りたいと望むのは、いけないことだろうか?
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