名無し星と空白のおまもり

名無し星と空白のおまもり

　工房の裏口のドアが鈍い音を立てて開く。

そのわずかな隙間から冷たい空気が吹き込むと、次いで大きな荷物がするりと部屋の中に入ってきた。

「あるじー、お帰り」

　買い出しに行っていた工房の主レルタが無事に戻ってきたことを確認し、留守を預かっていたペンギン型AIクランが出迎える。

普段ならレルタはここで持ち帰った荷物を広げながら、どんな素材が手に入ったとか、こんな面白いことがあったとか、外の出来事をのんびりと話始めるのだが今日は様子が違った。

　荷物を詰めた袋を工房の片隅に置くと、中から小さな何かを１つ取り出しそのまま真っ直ぐ作業台に向かう。

その様子を不思議に思ったクランは、彼専用の踏み台に飛び乗り作業台の上を覗き込んだ。レルタの前には手のひら程の大きさの革の札が置かれている。

「面白いもの、見つけちゃった」

レルタはニコリと微笑むと

「アムレト」

机に置かれたそれを指さしてそう言った。

　アムレト――それは描かれた図柄が魔法として発現する魔法具。四属性を始め、効果に合わせて様々な図柄のものが作成されている。しかしレルタが持ち帰ったそれは中心にあるはずの肝心なものが抜け落ちていた。

「あるじー、大丈夫？　特別な人にしか見えないシンボルが刻まれてますとか言われて騙されてない？」

「騙されてないから。そこまでポンコツじゃないもん」

クランにからかわれてムッとするレルタだったが、すぐに機嫌を直し手に入れた面白いものの説明を始めた。

「これはね、ブランク。何も描かれてない自由なアムレト」

　この空白のアムレトは発現したいものを自分で刻むことができるものらしく、願いを込めるもよし、これまでにない属性の発現を期待するもよし、使い魔を描くもよしという珍しいものだそうだ。アムレトが空白の状態で出回ることは珍しく、素材屋の店主がレルタが好きそうだからという理由で取っておいてくれたらしい。

持ち主の思いに応じて発現する魔法が変わる。そんな説明を聞かされたらレルタが黙っているはずもなく、店主の予想通りお買い上げという流れになったようだ。

「クーちゃん、お店、臨時休業にしておいて」

その一言はレルタが作業モードに入る合図だった。

クランは言われた通りに工房の入口に臨時休業のプレートを下げると、置きっぱなしにされた荷物を片付けながら主の作業を静かに見守ることにした。

★☆★

　小さな明かり窓から西日が差し込む頃。

作業台からの物音があまりに少ないので、いつものようにお昼寝タイムに入っているのではと思ったクランは、からかいついでに起こしてやろうと再び踏み台に飛び乗った。

『……珍しい』

予想に反してレルタは真剣な表情で本のページをめくっている。

魔法大全

紋章と魔法陣の歴史

あなたも描ける！　かわいいイラスト練習帳

世界のモフモフ大集合

机に並べられた本のタイトルを順に追っていったクランは

『モフモフ？』

と首を傾げた。

★☆★

　黄昏時。地平に残るわずかな灯に濃紺の帳が下りる頃。

クランはいつもの仕事として室内の明かりを点けて回った。

ランプの火に似た柔らかな明かりがレルタの作業台を照らす。

その頃には様々な図やら絵やらが描きこまれたメモが作業台一面に広げられていて、静かな工房の中では時折「うーん」やら「なんか違う」といったレルタの呟きが響いた。

こういう時にちょっかいを出すと長い問答に巻き込まれる。

そう学習しているクランは遠くから彼女の様子を見守ることにした。

★☆★

　それから数刻。周りの家々からも明かりが消え、外の音も静まる頃。

クランは夜風を入れていた窓を閉め、工房の戸締りを確認する。

　工房内にジリジリと革の焼ける匂いが漂う。

アムレトに刻む図柄がようやく決まったのだろうか、レルタは素材置き場から端革を数枚取り出し再び作業台に向かった。

昼過ぎに工房に戻ってから休憩をほとんど取らずに作業を続けるレルタ。

『これは相当楽しんでるな』

と、クランは分析した。

そして、邪魔にならない場所にくるみとチョコのパンをそっと置いた。

★☆★

　そして、時計の針が０を指す頃。

「できた」

ふーっと長い溜め息の後、レルタの明るい声が響く。

クランも長い時間この一言を待っていた。作業台に近づくペタペタという足音がいつもより早いリズムを刻む。

踏み台に飛び乗るクランはレルタの得意げな表情を見て、それから作業台の上に目を向けた。

空白だったアムレトには星の花を表す記号とペンギンの絵が描かれている。

「おまもり、だからね」

その一言と描かれた絵にきょとんとするクラン。

「クーちゃんは私をいつも助けてくれるでしょ。だからおまもりの力を発現するのにピッタリかなって」

ニコリと微笑んで恥ずかしげもなくそう言うレルタに、クランは「いいセンスしてる」と照れながら答えた。

★☆★

「……あ」

空白のアムレトが完成した数十分後。夜食となったパンを頬張るレルタが突然声を上げた。

「あのアムレト、力を発現したらクーちゃんが3倍速く動くとか3倍力が出るとか、そんな効果はないのかな？」

突拍子もないこの発言に

『仕事量が3倍に増えるのは勘弁してほしい』

と心の中でクランは呟いた。