第16話

 サラリーマン風の男と女子高生三人、計四人の視線がオレに集まる。

 そんな中、オレは同じセリフをもう一度言ってみた。


「良ければ、お手伝いしましょうか?」


 と。もちろん男の方に向かってだ。


「……君は?」


 男が口を開きながらいぶかしむ視線をオレに向けてくる。


 突然後ろから声をかけられたんだ。

 その反応は当然だろうな。


「見ての通り、通りがかりの高校生ですよ」


 できるだけ人の良さそうな笑顔を心がけてそれに答えてみた。


 あずさには「その仏頂面やめなさいよ」なんてしょっちゅう言われちゃいるが、オレだって意識すればそれくらいちゃんとできるさ。……たぶん、できてると思う。……よな?


 ふと彼女たちに視線を向けてみれば、椿姫は目を大きく開いている。かなり驚いているみたいだ。

 泣いてる子はいまだ視線を落としていてこっちを見てない。

 そしてもう一人は、椿姫のように一瞬大きく目を開いたが、すぐにその目を細め、まるで親の仇でも見てるかのような、とっても怖い顔でオレを睨み始めた。


 ……まあ、そうなるだろうな、とは思ってた。


 椿姫以外の二人も、以前多少話したことはあるハズだ。

 名前は覚えちゃいないが、なんとなくそんな記憶はある。

 なのに彼女たちにではなく、男の方に「手伝いましょうか」と声をかけたんだ。

 彼女たちからしてみれば、知り合いがいきなり敵側に加担したようなもんだからな。


 でも、頼むから早合点しないで少しは察してくれよ?

 ホントはそっちの味方をするための、これは演技なんだからさ。


 睨んでくれるのはいい。

 むしろ今はそのほうがありがたいくらいだ。


 でも、ここで彼女たちから下手に名前を呼ばれたりしたら、彼女たちと知り合いでお仲間だと男に認識されてしまうかもしれない。そうなるとその後の話が非常にしにくくなってしまう。

 だから、余計なこと言わずに黙っててくれよ?


 そんな期待を込めて椿姫に視線を送る。


 これが梓なら、たぶんオレの意図は何となく察してくれるだろうし、梓が察してくれたことをオレも何となく分かるんだろうけど。

 椿姫相手では、さすがにそれは無理ってもんだ。


 大丈夫……かな? 頼むぞ?


「この子たちの、同じ高校の生徒なんだろう? ……お友達かな?」

「確かに同じ高校ですけどね。でも、そのスマホ……」


 お友達か、という問いにはスルーさせてもらう。

 今はイエスともノーとも、どちらに答えても話がややこしくなる。


 まずはこの男にオレが味方だと思わせる。

 そのこと自体はそんなに難しいことじゃないハズだ。

 相手が望むようなことを並べ立ててあげればいいんだから。


 オレは男の持つ壊れたスマホを指差しながら言葉を続けた。


「それ、すっごい高性能ハイスペックなやつで、めちゃくちゃ高かったでしょう? オレもそれ欲しかったんですけど手が出せなかったんですよ。だから、それを手に入れたなんてすっごく羨ましいです。なのに、ぶつかったせいで壊れちゃったなんて……。そりゃあ確かに腹も立つよなぁ、と思って」


 こちらを睨んでいた子が何か言おうとしたが、椿姫がその子の腕を掴み制したのが見えた。そして大きく開いていた目を細め、オレを睨んでくる。


 これは……椿姫は察してくれた、と思っていい?

 それとも、まさか素で怒ってオレを睨んでる?

 なんか背筋が寒く感じるのは気のせい?

 と、とにかく、頼むからそのまま他の子たちを抑えててくれよ。


 男の目が一瞬大きく開かれ、そしてすぐににやりと笑ってきた。


 女子三人を相手に孤軍奮闘してたところに、思いがけず仲間を得た。

 今の男の思いはそんな感じなのかもしれない。


「そう! そうなんだ。最近買ったばかりだったというのにもう壊してしまったなんて、すっごいショックなんだよっ!」

「分かります、その気持ち! 腹立たしいやら悲しいやら。もうホント、やるせないですよね!」


 オレは男の方に一歩歩み寄りながら、ちょっと大げさに頷いてみせた。


「君もそう思うか!」

「ええ! もちろんですよ!」


 男は見るからにご機嫌そうな笑顔をオレに向けてくる。


 うん。この男、ちょっとちょろいかも?


 それに対して、女子たちの視線がどんどん鋭くなって突き刺さってくる……気がする。

 椿姫なんて、その視線だけで相手を射殺す気じゃないかってくらいだ。


 もしもし椿姫?

 それ、演技だよね?

 ちゃんと、オレの意図はわかってくれてるハズ……なんだよね?


 ちょっと自信無くなってきたかもしれん。

 特に椿姫の後ろにいる女子は絶対こっちの意図は分かってくれてないと思う。


 さ、さて、じゃあ、これくらいにしておこうかな。

 なんかこれ以上やると、オレのライフポイントが見えないところでガシガシ削られていくような気がしてくる。


 時間も無いことだし、そろそろ本題に入ろう。


「というわけで、オレが手伝いますよ。っていうか、手伝わせてくださいな」

「それはとてもありがたい申し出だが、でも、どうやって?」


 ――よしっ! 乗ってきた!


 オレはすかさず背負っていたリュックに腕を突っ込み、小型のノートPCを取り出した。


 こいつはオレの愛機だ。

 ディスプレイは八インチ程度と小さく、八百グラムを切るという軽量ながら、そこらの一般的なデスクトップなどあっさりぶっちぎるほどのハイスペックなノートPCだ。

 アキバの、昔親父に紹介してもらった馴染みのショップに頼み込んで、特別に作ってもらった特注品なんだ。


「こいつで、そのスマホのデータをサルベージしますよ」

「……サルベージ?」


 男が少し首をかしげる。


 おっと。

 普通の人にはあまり馴染みがない言葉だったか?


「データを吸い上げるってことです。お兄さんはさっきまでそのスマホを使っていたんですよね? じゃあメールとか、アドレス帳とか、画像や動画とか。失いたくないデータもその中にたっぷりあるんじゃないですか? オレがこの場でそういうデータを全部吸い上げてあげますよ」

「えっと。あ、いや。そういうのはスマホのショップで……」


 なんか男が狼狽え始めたけど、オレは構わず言葉を続けた。


「大丈夫です。すぐ済みますから。むしろショップよりずっと早いですよ? たぶん一分もかかりません。オレ、こういうの得意ですし。ちょうど使ってないUSBメモリも持ってますから、それにデータを移してお兄さんに差し上げますよ」

「あ、でも。そこまでしてもらうのは……」

「全然構わないですよ。遠慮しないでください。それに何より」


 そこで一旦言葉を区切り、再び人の良さそうな笑顔を心がけながら、お兄さんに微笑みかけてみた。


「それがきっと決定的な証拠になりますよ」

「……証拠?」

「ええ。吸い出したデータの日時を見れば、ついさっきまでそのスマホを使っていたんだという確かな証拠になります。疑われているのでしょう? そのスマホがホントにいまさっき壊れたモノなのかって。なんかこのまま話をしていても埒が明かなそうだし、証拠があれば一発じゃないですか」


 オレは極めて明るくニッコリと笑ってあげた。

 もう満面の笑みで、さもお兄さんのためです、と言わんばかりに。


 もし新しい日時のファイルがあれば、ついさっきまでちゃんと動いていた証拠になるかもしれないけど、逆に新しい日時のファイルがまったくなかったとしたら?

 さっきまで使っていたという男のセリフが非常に疑わしいものになるわけだ。


 さあ、どっちかな?

 何かちょっと楽しくなってきちゃったかも。


 男の顔が少しひくつきながら青ざめているように見えるけど、オレはそれに気付かないふりして更に言葉を続けてみた。


「さあ、ちゃちゃっとやっちゃいますから。そのスマホをちょっとだけ貸してください。ホント、すぐ済みますから」


 手に持ったノートPCにスマホとの接続用のUSBケーブルを差し込みながら、男に向かってさらににっこりと笑ってあげる。

 今日は笑顔の大サービスディだ。


 男が一歩後退りする。

 オレは笑みを絶やさず、男に一歩近付く。

 男がさらに一歩後退りした。そして――


「も、もういい! これ以上遅くなったら会社に遅刻だ。し、失礼する!」


 そして男は踵を返し、足早に去っていってしまった。


 うーん、ざーんねん。

 真相は分からずじまいか。


 男の姿が見えなくなったところで、オレはノートPCをリュックにしまった。


「……あのぉ、ゆうさん……?」


 椿姫がオレの名を呼ぶ。

 その声に剣呑な雰囲気は感じられない。


 振り返ってみれば、その眼差しもいつも通り穏やかなものだ。

 やっぱり彼女はオレがしていたことをちゃんと分かってくれてて、あの鋭い眼差しは彼女なりの演技だったんだろう。

 それが分かって思わずホッとした時――


「ちょっとアンタねっ!」


 椿姫を押しのけるように一歩進み出てきた女子。

 名前は確か、えっと……ダメだ、思い出せないや。


「何よさっきの! あの男が引いたから良かったものの、下手したらとんでもない額を請求されるところだったのよ! なのにあの男の味方するなんて! ひどいじゃない! それでも男なのっ!」


 そこに男か女かなんて、関係なくない?

 ……なんて指摘しようモノなら、ぜったいオレはさらなる非難の的にされるんだろうな。うん、分かってる。こういう女の人には下手に反論しないほうがぜったいいいんだ。


「ちょっ! こ、こずえちゃん? あのね優さんは……」

「椿は黙ってて。こういう情けない男にまで優しくなんてする必要は無いんだよ。私がガツンと言ってやるんだから!」


 なんか椿姫がなだめようとしてくれてるみたいだが、当の本人は全く話を聞こうとしないようだ。


 こういう場合は……


「あのさ」

「何さっ!」


 オレの言葉に、まるで噛み付こうとするかのように声を荒げてきた。


 マジでちょっと怖い。

 オレは表面上なんとか平静を保ちつつ言葉を続けた。


「もう時間無いぜ? 急がないとみんな遅刻するぞ」


 それだけ言うと、オレは回れ右して早々に歩き出した。


 そう。

 こういう場合は、もうさっさと逃げるに限る!


 後ろではまだ何か喚いているみたいだが、もう決して振り返らない。


 そして、数歩歩いて気付いた。


 あっ!

 雑誌買うの、忘れてるじゃん。


 今からコンビニ寄ってたら、さすがに遅刻しちまう。

 はあ……仕方ない。

 帰りにでも買うとするか。



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