第15話

 この角を曲がれば二十四時間営業のコンビニがある。

 いつものようにそこを曲がろうとした時、コンビニの前に一人の男と三人の女子の姿が見えた。


 男は、ここからでは後ろ姿しか見えないが、左手に黒いビジネスバッグを持ち、グレイのスーツを着たサラリーマンのようだ。

 三人の女子は制服を着ている。

 どうやら同じ高校の生徒みたい……だ。


 ――あっ!?


 そのうちの一人の顔を視界に捉えた瞬間、思わずオレは曲がり角に身を隠してしまった。


 知ってる顔だった。

 っていうか、今のウチの学校で彼女を知らないやつなんかいないだろうってくらいの有名人だ。


 なんで彼女がこんなところに?

 あ、でも、一瞬しか見えなかったから、もしかしたら見間違いってことも……


 壁を背にし、曲がり角からそっと覗いてみる。


 肩より長い綺麗な黒髪に大人びた顔立ち。他の女子とは違って制服を一切崩すことなく着こなし、後ろの二人をかばうように立つ凜とした姿。

 見間違いじゃなかったみたいだ。


 ――やっぱり〝椿姫〟じゃん。


 同学年で、隣のクラスの超有名人。

 あずさと二人でウチの高校のツートップとも言われている美少女。

 一部の生徒からは〝椿姫〟なんて呼ばれてる存在。


 もしアイドルグループにでも入ったらセンター取り放題間違いなしだろうとクラスメート達も噂してた。


 確かに梓に負けず劣らずの美少女だと思う。

 だがまあ、それでも桜さん程ではないと思うがな。


 ……どうしよう?

 気付かなかったふりしてさっさと通り過ぎちゃうか?

 それとも、全く知らない仲でもないし、軽く会釈でもしておくべきか?

 うーん……


 正直言えば、オレは彼女にちょっと苦手意識みたいなのがある。

 だから今もこうして彼女の姿を見たとたん、ほとんど条件反射で隠れてしまったわけだが。


 別に悪いやつじゃない。

 梓と仲が良いこともあり、その関わりで何度か言葉を交わしたこともあるんだが、これだけの容姿を持ちながら、むしろ気さくですごく性格の良いやつだと知っている。

 なんと言っても梓と違ってオレをからかってきたりもしないしな。


 でも……


 オレは椿姫の、とある一面を知っている。

 オレと梓しか知らないことらしい。それをオレたちに打ち明けてくれた時、「他の誰にも言ってません。内緒ですよ?」って言ってた。


 彼女のその秘密は、別に秘密にすることなんて無い話だと思うし、オレにとってはむしろ喜ばしいことのハズだ。……なのに、そのためにオレはどうしても彼女から一歩引いてしまうんだ。


 ホントどうしよう?

 幸いにも気付かれなかったみたいだし、このまま回れ右して学校へ行ってしまおうか。

 あ、でも、雑誌は買いたいんだよなぁ。


 彼女たちがいなくなるまで待つか?

 でもあまり遅くなると遅刻しちゃうし。

 それにいつまでもここに隠れているわけにもいかないよな。

 今は幸いにも人通りが全く無いけど、もし誰かに見られでもしたら、通報されかねないレベルで怪しい人だよな、今のオレは。


「……これは、謝って済む問題じゃないだろう? もちろん泣いて済む問題でもない。君たちはもう高校生なんだから、それくらい分かるよね?」


 そんな男の声が聞こえてきた。


 ん?

 何だ?

 もしかして、何かトラブってるのか?


 よく見れば、女子の一人が泣いているみたいだ。

 もう一人の女子がそれを慰めていて、椿姫が男の応対をしているようだ。


「ですが、よそ見をしていたのはお互い様ですし……」

「このスマホ、先日買ったばかりですごく高かったんだよ? ついさっきまで何ら問題なく快適に使えていたのに、君たちとぶつかったせいで、落として、壊れて、全然動かなくなってしまったんだ。なのに『ゴメン』の一言で済ませられては、こちらとしては非常に困るんだよ。分かるかな?」


 男の肩越しにスマホが見える。


 あれは確か、半年くらい前に発売された機種だ。

 今までに類を見ないくらい高性能ハイスペックな機種で、スマホにここまでの性能がホントにいるのかよって、ネットでもずいぶん話題になってた機種なんで良く覚えてる。

 確か値段も相当良かったハズだ。


 よく見ると、確かに画面にヒビが入っているみたいだ。


 うわぁ……。

 あれを落として壊したのかよ。


 買ったばかりみたいだし、あの様子じゃ保険も入ってなかったか。

 そりゃあ泣くに泣けないってやつだろう。

 いくら相手が美少女なJKだったとしても、笑って許せるもんじゃないよな。

 心からご愁傷さまと言ってあげたい気分だ。


「確かによそ見をしてたのはお互い様だ。それは僕だって分かってるよ。だから一方的に君たちが悪いだなんて言うつもりは無いよ。でもね、全額とは言わないけど、せめて半分は持ってもらわないと。お互い様と言うなら、なおのことでしょ? 違うかな?」

「そ、そんな……」


 たぶん、あの泣いてる子がぶつかった本人かな?

 だとしたら彼女もご愁傷さまだ。

 たとえ半分でも、高校生にはとんでもない額だろうからな。


「そうは言いますが、私にはむしろ、そちらからぶつかってきたように見えたのですが……?」

「……何? もしかして僕がわざとぶつかったとでも?」


 ん?

 男の方から、わざと……?


 それがホントなら、もしかしてJKにわざとぶつかって、あわよくばお近付きにでもなりたかった、とか?


 朝っぱらからそんなスケベ心を出して、それで高価なスマホを落として壊すなんて、あまりにもアホすぎるぞ。その上、弁償とまではいかなくても金を要求するなんて、逆恨みのようなもんだろうに。


 ……ん? 待てよ。

 金、を要求……?

 あれ? それってまさか……?


「……本当に、そのスマホは、今壊れたのでしょうか?」


 どうやら椿姫も、オレと同じ疑問を持っているようだ。

 こいつはもしかしたら、スマホを使った当たり屋じゃないのか、と。


 スマホ当たり屋っていうのは、数年前から何度か話題にも上がる詐欺の一種だ。相手にわざとぶつかっておきながら、そのせいでスマホが落ちて壊れたと主張し、修理代や弁償を要求するという。よそ見をしていたり、特に歩きスマホをしている人が狙われやすいんだとか。


 最近あまり聞かなくなっていたから、もうそんな詐欺は絶滅していたとばかり思っていたが、実はそうでも無かったのかもしれない。


「どういう意味かな? 僕が嘘言っているとでも? 何か証拠でもあるの?」

「でしたら警察へ行って、ちゃんと説明を……」


 もしこの男がスマホ当たり屋ならば、警察へ行くという椿姫の対応は正しいと思う。もしかしたら警察という単語だけで相手は引くかもしれない。


「確かにこのままでは埒が明かないね。警察もいいけど、分かってる? いや、高校生じゃ分からないのかな。警察っていうのは民事不介入と言ってね、刑事事件じゃないと対応なんてしてくれないんだよ。ふっ。そんなことも知らないのかい」


 その言い方に、なんというか、正直イラッときた。

 警察の民事不介入とかは、確かに男の言う通りかもしれない。

 でも、上から目線で、相手が高校生ということでバカにしたようなその物言いにいい気分なんかしない。


「まあ、それでも警察官立ち会いのもと、お互いの名前や住所などを交換することはできるだろうからね。そうすれば、今度はそちらのお宅にお邪魔して、ご両親としっかり相談させてもらえるかな。そのほうがいいかな? そうしようか、お嬢さん?」


 泣いている少女が、住所とか両親とか言われて、僅かにピクっと肩を震わせていた。


 どうやら男のほうが一枚上手か?

 言い方が上手いというか、やらしいというか。


 本来ならちゃんと警察へ行って事情を説明し、お互いの連絡先を交換して、後は弁護士に任せるという流れにすべきだと思う。

 だけど、こういう言い方されると躊躇ちゅうちょしてしまうかもしれない。

 両親にバレて迷惑をかけてしまうことももちろんだが、自宅へ押しかけられると言われているのに住所などを教えてホントに良いのだろうか、と。


 女子なら特に警戒してしまうと思う。

 そして、おそらくそれを狙ってのセリフなんだろう。


「僕としてはね。多少足りなくてもこの場で払ってくれるなら、それで今回の件は終わりにしたいと考えているんだよ。最近の女子高生はそれなりに持ち合わせてるんじゃないの? お友達もいることだしさ」


 警戒して躊躇ためらっているところへ、すかさず比較的受け入れやすそうな要求へと促す、これって〝譲歩的要請法ドア・イン・ザ・フェイス〟ってやつじゃないか?


 オレも詳しくは知らないけど、そういう交渉術があるってかえでさんから聞いたことがある。


 こいつはそういうことに慣れているやつだ。

 もちろん楓さんのように営業畑のサラリーマンで、普段から仕事でやり慣れているだけかもしれないけど。


 だけどオレの中で、この男はスマホ当たり屋だと、確信に近いものを感じた。


「それがどうしても嫌だというのであれば、その場合は仕方がないよね。新しいスマホを購入した後で領収書を持って、お嬢さんの自宅にうかがって、ご両親に弁償してもらうよう相談させていただくだけだよ。そのほうがいいかな? ん?」


 言い方がいちいちねちっこいやつだ。

 椿姫も、他の二人も、対応に困ってしまって何も言えずにいるみたいだ。

 周りは人通りもなく、他に助けてくれそうな人もいない。


 ……仕方ない。

 少し手伝うか。


 オレは曲がり角から一歩出て、男の後ろに立ち、そして――


。よければ少し、お手伝いしましょうか?」


 女子達の方ではなく、サラリーマン風の男に向かってそう声をかけた。



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