第14話

 オレとあずさは、高校への通学に地下鉄を使っている。


 自転車でも行けない距離ではないのだが、雨の日は無理だし、寒い日は辛すぎる。

 っていうか、朝っぱらからそんな運動したくない。


 地下鉄ならそれなりに本数は多いから、そう長く待たされることもない。

 何よりエアコン完備という快適な通学ライフが約束されている。


 ……そう思ってた時期もありました。


 現実はそう甘くは無い、と入学三日で悟ったよ。

 あれから一年ちょっと。

 今日もまた、約二十分間の苦行が始まろうとしている。


「……今日も凄いね」

「だな」


 ホームに降り立ったオレたちの目の前には数え切れないほどの多くの人たち。

 スーツを着たサラリーマン風の人、同じくOL風の人。

 そしてオレたちと同じような学生風の人、その他諸々。

 どっから湧いてくるんだろうね、この人たちは。


 体験して初めて分かる朝の通勤通学ラッシュの凄さ。

 もちろん高校入る前から知識としては知っていたけれど、これほどまでとは想像できてなかったよ。


 ため息を一つ付きながら、オレは背中に背負っていたリュックを前に抱えるように持ち直した。

 梓も手に持っていたバッグを胸の前にしっかりと抱え直した。


 オレの場合、背中に背負っていては他の人の邪魔になるし、防犯の意味がある。

 梓の場合はそれとはちょっと違う。

 もちろんそういった意味も多少はあるが、主な理由は痴漢対策だ。


 いるんだよ。

 二十一世紀にもなったこのご時世に、むしろ冤罪を恐れて終始両手を上げて頑張ってるサラリーマンが多いこのご時世に、いまだにそんなふざけたことするやからが。


 桜さんもオレたちと同じ高校に通ってて、同じ通学経路を使ってたんだけど、三年間の内、一度だけやられた経験があるって言ってた。

 残念ながら犯人には逃げられてしまったとも言ってた。


 それを聞いたのはオレと梓がこの高校に無事合格できた後だったかな。

 だから「昔の話よ」と桜さんは苦笑いしてたけど、それを聞いたときのオレの気持ちが分かる?

 どうやって犯人を見つけ出し、どうやって社会的に抹殺してやろうかと、本気で考えたね、あの時は。


 さすがに時間が経ちすぎているから実行に移すことはできなかったけどな。

 その代わり、桜さんにお願いされてしまった。

 梓を守ってあげてね、と。

 それもあって少なくとも朝のラッシュ時は、オレと梓は一緒に登校することにしている。


 もし梓に不埒なマネするやつがいたら、そいつには十分な制裁を与えてやる。

 桜さんに不快感を与えた罪は万死に値する。

 その大罪を、別人だったとしても構わない、そいつに償わせてやろう。

 生まれてきたことを後悔するレベルで。

 ふっふふふ……。


「……ゆう?」

「なんだ?」

「今、何考えてるの?」

「別に何も。どうして?」

「なんか、目がすごく危ない人っぽいんだけど?」


 気のせいだろう?

 早く梓に不埒なマネするドアホが現れて欲しいだなんて、これっぽっちも考えてない。

 うん。考えてない。


 ちなみに、オレたちが通学に使う路線には、朝の混雑する時間だけ女性専用車両がある。

 以前梓に、女性専用車両は使わないのか? と聞いたことがある。

 それならば空いてるというほどじゃないが、一般車両よりはずっと人が少なそうだし、何よりも痴漢被害に遭う心配は無いハズだ。

 それに対し梓は首を横に振りながら「苦手なのよ、あそこ」と言っていた。


 何が苦手なのかも聞いてみたけど、梓は苦笑してた。

 そして「優も一度乗ってみれば分かるわよ」と言って教えてくれなかった。


 だからって、乗れるわけないだろう?

 間違えたフリするという手はあるかもしれないが、残念ながらオレにその禁断の秘術を使う勇気は無いな。


「ほら、電車来たぞ」

「あ、うん」


 電車が入ってきて、オレたちはなんとか乗ることが出来た。

 比較的空いている真ん中あたりの車両を選んで乗っているが、やはりと言うべきか、込み具合はハンパない。

 梓はドアに背を付け、オレはそのすぐ前に立ち、梓を潰さないようにドアに手を付けてなんとか体を支える。

 梓のカバンとオレのリュックが、オレと梓の体で挟まれ、押しつぶされている。


「うっ!」


 電車が揺れ、少し梓に力がかかってしまったみたいだ。

 ちょっと苦しそうな声が聞こえた。


「大丈夫か?」

「ええ。まあいつものことだしね」

「そっか。あ、頼むからオレのシャツにリップを付けないでくれよ?」


 ちょっと冗談っぽく言ってみる。

 快適とはとても言えない電車の中を、少しは気を紛らわせられるように。


「あはっ。心配しなくても大丈夫よ」


 梓もそれに乗ってか、おどけたように返してくる。


 ホントか?

 以前薄いピンクのリップをシャツに付けられて、落とすのに苦労した記憶が頭をよぎる。


「今日のは無色だから。付いちゃってもバレないわよ」


 ――そっちかよ!?


「……試してみる?」

「勘弁してくれ」


 にやりと笑みを浮かべる梓の顔。

 冗談だと分かっていても、げんなりした声がオレの口から漏れた。


 ◇


 高校の最寄り駅に着くと、多くの人達と一緒にオレたちも降りた。


 そしてこれから第二の苦行が始まることになる。

 それは、階段だ。

 これがわりと長くて地味に辛い。


 もちろんエレベーターはあるし、エスカレーターもある。


 だけど、エレベーターは使わない。

 あれは一台しかないし、体の不自由な人や大きな荷物を持った人なんかが優先されるべきだろう。


 エスカレーターはというと、これが非常に混んでいる。

 それでも、できることなら文明の利器のお世話になりたい。

 ゆっくりとした人混みの流れに乗ってエスカレーターのほうへ向かう。

 が、そんなオレの制服を梓がつまんでくる。


「優。何処行くの」

「何処って、そりゃあ……」

「いいからほらこっち。階段昇るわよ」


 ああ、やっぱり今日もかよ。


 学校からは「生徒は極力階段を使うように」と言われてる。

 要は、お前らは若いんだから、いつもお疲れのサラリーマンやOLさんたちに譲ってやれ、ということなんだと思う。


 だけど、エスカレーターを使ったからといって罰則があるわけじゃない。

 普通に使っている生徒はたくさんいる。


 なのに梓はのたまう。


「普段運動不足の優には良い運動でしょ。私も付き合ってあげてるんだから」


 そしてオレの袖を引っ張ってくれちゃうわけだ。


 でも、ちゃんと分かってるんだからな、梓。

 幼馴染を舐めるなよ?


 オレのためだなんて言ってるが、実は逆だってこと。

 ホントは自分のダイエットのためにオレを無理やり付き合わせて……


 ――いてっ!


 急に梓がオレの脇腹をぎゅっとつねってきた。

 恐る恐る振り返ったその先には……


 にっこりと微笑むその笑顔が怖い。


 う、嘘だろう?

 いくら幼馴染だからって、そんなにオレの考えてることがバレちゃうものか?

 それとも、げに恐ろしきは女の勘、ってやつか?


「はいはい。余計なこと考えず、しゃきしゃき昇る!」


 パンパンと軽く背中を叩かれた。


 ったく。

 ここの階段、ホント長いんだよ。

 地上に出るまで、全部で軽く百段くらいはあるんじゃないか?

 数えたことはないけど。


 こんな苦行をあと二年近くも繰り返すのかと思うと……

 入る高校、間違えたかなぁ、オレ。


 長い長い階段苦行を経て、ようやく陽の光を拝むことができるようになった頃、周囲にいるのはほとんど同じ高校の奴らばかりになっていた。


「梓。オレ、欲しい雑誌あるんでコンビニ寄ってくから、先行ってて」

「ん。分かった。遅刻しないでよ」

「分かってるよ」


 いつも梓とはこの辺で別れる。

 今日のようにオレがコンビニへ寄るからということもあれば……


「梓。おっはよー」

「あ、お早う」

「ねね、数学の宿題やってきた?」

「一応ね」

「さっすが梓。ねね、ちょっと見せて?」

「だーめ。宿題は自分でやらないと。人の写してちゃ意味ないでしょ」

「えー、もー! 梓のけちぃ」


 あんなふうに友達に出会って自然と別れることもある。


 友達と談笑しながら学校へ向かう梓を横目で見ながら、いつものコンビニへ行こうと、横道に入った時だった。


「……ごめんなさい。許してください」


 そんなひどく怯えたような声が微かに聞こえてきたのは。



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