うつくしきもの



『美』とは何か。梶井かじい浩助こうすけは考える。


 ――思うに。それはなのではないか。一生をけて追い求める価値が、そこにはるのだと。


 最も美しいモノの片鱗へんりんを。確かにあの日に見た。見つけてしまった。ぼくはそれから美のしもべとなったのだ。それまで他人だれか人生ものがたりに足されていただけの歯車が、みずからの意思ではしり出す。自覚するまでが遅すぎた。無為むいついやしてきた時間を取り戻すかのように全力で。けれども僕には足りないものが――求めてまない目的の他に――あった。。見えているのに伸ばせない手は、筆を持ったとて脳裏に描いたを紙にあらわせない絵師と酷似こくじしている。問題ではない。歯車は廻る。。『千里の道も一歩より』とはまさに、まさに。始め、こなし、失敗し、また始め、失敗し、行い、馴れ、落陽らくようて、いたった。


 /


 ――あの絶望を、覚えている。こころざしなかばで、それまでの半生みちあやまりであったと糾弾きゅうだんするかのように。目的の為の手段が、なかばで折れた。理由は知れた。。日本刀というものは技術のすいだ。折れず、曲がらず、人を斬る為に存在するものだ。それが折れたとあらば、理由は僕の方にしかない。。上手におこなっていさえすれば、刃は必ず応えてくれる。筋力か角度か。にもかくにも僕の至らなさがあの結果をもたらしたのだ。僕は剣に愛されてなどはいない。失敗を積み重ねて、次に活かそう。それまで握るまいと、自罰じばつの意味を込めてつかのこした。


 するべきことは変わらない。目的の為に自身をきたえ、昼にはまなびを忘れず、夜には自身を忘れず。繰り返す。折れた刀身を磨き、その美しさの先――今度こそは、といましめる。


 それから何年経ったか。


 日々のはげみを見た天がたまわってくれたのか。。いっそう励もう。なんとも嬉しいことだ。夜が明けるまでの行いを、


 それから、それから、それから、それから、■■■■、■■■■、■■■■■■■■■■―――――――――――



 ――かくて〈魔人〉は産声を上げた。生来の魔性ましょうに、




 /


 斬り結ぶ。一合いちごうで解かった。これまでの獲物とは違う――。憧れさえいだく。なんという無駄の無さ。剣筋が、ではない。その在り方そのものが。


 熱し、重ね、ち、冷やし、締め、また熱し、重ね、鍛ち、冷やす。そのたびに取り除かれる不純物。やがて出来上がるそれは――信仰を得る程に、その存在意義を如何いかんなく発揮する。足されるのではない、不純をすべて取り除かれた結果の完成。梶井浩助は百鬼なきり六十三代椿つばきをこう評した。


「……、貴方は」


 自分が何の為に存在するかを理解していて、それを行う為に存在している。


 それが眩しい。それが美しい。確信する。求め続けた『解』が、この男に在る――!


 周囲は夜を埋め尽くす霊魔の闇。波濤のごときそれを討ち砕き続ける百鬼の刃の銀光。


「……、〈そそぎ〉」


 梶井の声に応えず、椿は鞘に納まる大刀へと声を投げた。


(応。あずさの言った通りだな。刀は鉄。ああしてのも概念がいねん的には可能だろうよ。当世とうぜよ、うつつを欠いた今でなければまみえん相手だぞ? アレは。)


「言ってろ。……で〈薄氷うすらい〉。?」


 いで、左手に握る脇差わきざしへと。


(全部。。)


 なら縮みはしても伸びはしねェか、と椿はその冷徹で眼前の〈魔人〉を定めた。


 梶井浩助。【霊境崩壊】以前に夕京ゆうきょうの夜のちまたを騒がせた殺人鬼。


 その右手、中指と薬指の間から〈薄氷〉が太刀たちであった頃の半刃はんしん男。何がどうなってそうなったかは知るよしもなく、今後に役立つ類例にもなりはしないだろうが、困ったことに現実だ。人間のまま、この〈幽世かくりよ〉へとちた世界で生きている。


 問題はそこではない。別に椿からしてみれば――梶井をして完成とされるその本質――相手が生きていようが死んでいようが、〈魔〉であるのならつことが百鬼のつねだからだ。


 問題は。


「ああそうだ! 気に入っていただけましたか? 


「あン?」


 一門の報告によれば、この男は霊魔の首を持って現れたらしい。その首も、途中で霧散したとの話だ。百鬼前市岡まえいちおか梓の死の他に、この男が置いていったモノなどない。そも、梶井浩助の狂った感性に合わせて会話を続ける気もなかった。


「あれ? おかしいな……気の緩んだ頃に、斬ったつもりだったんですが」


 ――それが、梓の最期のことを言っていて。緊張と共に繋ぎとめていたはらわたがまろび出るようにのだと、理解して。


「あはッ! すき


ンなもん」


 椿


 シィン、と二振りの〈薄氷〉の刃がかち上がる。らされた軌道。ヒトであるのならば作るであろうその空隙くうげきを少しも生み出さなかった椿に梶井は目を丸くし、次にはやはり、嬉しそうに笑った。


 この男の真実は問題ではない。その精神性も問題ではない。だから問題は。


。)


 ひとでなしをしてそう思わせるの高さこそが、問題だった。


 知れ渡った剣術ではない。おそらくは我流。だががある。


 朝霞あさか神鷹じんようとも、かこい斉一せいいちとも違う性質の腕前。


 ――柄と鞘が無い以上、そう握るしかないのは判るが。


 まるで弓をつがえるように。左手の指が、切っ先を挟む独特の構え。


 ぎちり、と万力で締め付けるような渾身こんしんの後、放たれた斬撃は椿の霊力で強化された動体視力を上回って視界から消え失せた。


「―――――ッッ!?」


 異形いけい、左から右下への逆袈裟ぎゃくけさ。星の流れるような悪夢めいた速度の一撃を、


「……お美事!」


 からその軌道を予測し、間に一本の髪を入れるが如きタイミングで脇差をあわせ、流すそれは――


(敗北の経験が活きたな、よ。)


「っ、かれェにも程があるわ」


 水逆月みなのさかづき』――!


 外套インバネスすそが斬れて舞う。言わずもがな、囲斉一のそれとは精度が違う。防ぎきったとは到底言えない。遅れて白隊服の左脚に赤がにじむ。逸らしきれなかった梶井の〈薄氷〉。その切っ先は前に出していた左の腿を浅く裂いていた。


「……クソ名物めいぶつが」


 慮外りょがいの運動に過不足無く発揮されるののしるように褒めるほかない。


 そのを〈薄氷〉。安土あづちの――日本刀の鍛造たんぞう技術が極限に至った時代に、その御神体ごしんたいと成ったまさしく掛け値なしの大業物おおわざもの


〈魔人〉の技と合わさったその切れ味は、血が出たのを確認してから痛みを認識する程に鮮やかだった。


 ――憮然ぶぜんとしたその魂の宿るもう半分を握っているのが、当の斬られた本人なのだが。


 脂汗あぶらあせが椿の首を冷やす。頭痛を覚えるほどに、手ごわい。


「……まったく、随分な刀と契約しちまったもんだぜ」


 カチ、カチ、カチと。


 強がるように叩いた軽口とは裏腹に、百鬼の最高傑作は相対する〈魔〉を殺す算段を、それのみが存在する理由の機構きこうの如く組み立てていた。


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