禱れや謡え、花守よ


 結瞬けっしゅん。唐突な事故のような死であったろう。頭部を失った深山みやま名護なもりからだしばしの時間を費やして、やっと休むようなかたちで両膝を絨毯じゅうたんについた。


 なおかれぬ朝霞あさか神鷹じんよう残心ざんしん。瘴気により全身をむしばまれた、文字通りたいの花守隊最強の剣士は――周りの生を持つ者、死を持つモノどもすべてから畏怖おそれを向けられたまま、仕留めた相手を見ている。


 如何いかなる不意も、声すらかけられない。


 災禍さいかの元は断った。一刻も早くこの屋敷の地下――深山大霊脈を確保・奪還し。〈幽世かくりよ〉へと堕ちた世界をうつつへと戻さねばならないというのに。





 やがて。







成程なるほど。首無し公を一刀ではらい、山郷さんごうの霊魔を残らず斬り伏せたのはこの剣か。伝に偽り無し。美事みごとなものよ。確かにヒトの身を超えている――シンに迫っているな、朝霞神鷹』


 こぼれ出る血液をそのままに、は落とされた首を拾って立ち上がった。


 深山杏李あんりは驚愕に目を開く。百鬼なきりりつは悲鳴の代わりにひゅ、と喉を鳴らした。朝霞神鷹だけが、その瞳をすがめて声の主を見ていた。


 その、死体が携えたを。


『う、む。……良し」


 きゅ、と瓶に栓をするような動きで、深山名護の頭部が胴体と再接合される。


 首をえたわけではない。元ある場所に戻しただけ。挿げ替わったというのならばその肉体ではなく魂――意識の所在だろう。


 現に、声は。


「名護が言っていたろう? 供物くもつには深山本家の花守の命が必要だと。、朝霞神鷹」


「やはり貴方か――刀霊〈生駒いこま〉」


 深山名護のものでは、なくなっていた。


「そんな、嘘……」


が、花守の躰を……!?」


 操り、動かしてでもいるというのか。


「そこな刀霊と一緒にしてくれるなよ。我はだぞ? 使の通りではないか」


 深山守護刀霊、神刀〈生駒〉。〈夕京五家〉筆頭・深山家と共に戦乱を駆け抜け、この慶永けいえいの【霊境崩壊】まで、日ノ国を守り続けてきた刀。


 カレは言う。であったのだと笑う。深山名護を生かしておけば最後の霊脈は取り戻せず、幽世の瘴気はやがて全土に満ちて世は滅んだと。


 深山名護をこうして殺せばそれが最後の『鍵』となり、活性化した霊脈を通り、今度こそ現世うつしよ、と。


 嬉々とした声。凛としたその音色。目論見もくろみが通った愉悦。だがそこに渦巻いている確かな


 この刀霊は、何を。どうしてそこまで憎んでいるのか。


 幽世にくみし、現世を滅ぼしたいというその願望は、どうして。


 ――足首を掴む怯懦きょうだを捻じ伏せ、杏李、律、神鷹。花守たちが斬りかかる。


「ふん。〈凪風なぎかぜ〉に〈無銘かずうち〉、〈於宇姫えきがみ〉までもか? まったく、ようも肩を持つ。……ニンゲンが、」


 。希代の名刀の神気と類稀たぐいまれなる霊力保持者の肉体。百鬼椿つばきを遥かに上回るそれが、


小賢こざかしいわァッッ――!」


 屋内に突如発生した竜巻がごとく、刃を届かせることさえなく彼らを吹き飛ばす。


 その発露をきざしとしたか。どくん、と屋敷が――否、深山の地の奥底に眠る巨大なの脈動が世界を揺らした気がした。



嗚呼ああ、ああゆるせぬ。とても赦せたものではない。お前ら、此処ここに至るまでどれだけの損害を出した? 何人死に、何本折った? それで何を掴むというのだ?」


 目の前の、契約者の躰を操る刀霊は、とうに狂っている。この大霊災を引き起こしておいてのこの言葉。


「世のため人のためと言えば凡ての義になると? 笑わせるなよ。朝日を拝むためにしかばねの山を築き上げ、そのいただきで見る景色はそんなにも得難えがたいものか? それは、我々かたな刀身死禍刃根しかばねに変えてでも通る理だと? 巫山戯ふざけるな。巫山戯るな、巫山戯るな――!」


 破綻はたんした神の倫理。正しさなど求めてはいない原理。


「お前らの都合で折られついえるモノたちは、それを良しとしたか? なあ朝霞神鷹――あの病犬ヤマイヌ共めらも、そうして使のだろう?  赦せぬよ。あれらが己をどう律して、自らを何と定めてお前らにかは知らんが。何百年経っても変わらぬ。……我の連作おとうとの時と、まるで変らぬ。ニンゲンは、がたい」


 扉の隙間。夜の広がる窓。明かりの届かない凡ての場所に、『死』がうごめいている。〈生駒〉の憎悪に呼応して活性化している。こうして幽世から霊魔はあらわれるのだと、唐突に理解した。


 ――荒魂アラミタマ。元来、神という存在はヒト同様その精神に多くの面を持つ。けれどヒトと違い、それが一色に染まる存在でもある。……目の前の刀霊が、そうであるように。


 この刀に、過去なにがあったのかは解らない。口ぶりから察するに、近しい刀が使い潰され、折れでもしたのだろう。


 だが。


「……〈生駒〉殿。


 濃密なる瘴気。留まるだけで死に繋がるこの場所で。いっそ涼やかに朝霞神鷹は応える。


〈凪風〉の刀身に、僅かな――けれど確かな霊気がとおる。無色の輝きは、霞みに煙る朝陽のように只々ただただ眩しかった。


 それが、神の――力あるモノの尺度故だとしても。神域に達したと言われる、人間の神鷹からしてみたら。次いで出した言葉は、多分に椿の影響を受けているなあ、などと笑みすら浮かべて。


に、この世凡ての命をまかなわせるのは如何なものかと」


「なに」


 花守として生きてきた。だから霊魔――怪異、怪談の話は噂好きの街人よりも余程よほど明るい。


 たとえば強い霊力を持った者が、自分の生きる領域で迫害され、呪いへと転じた話。


 住処すみかを奪われた山の主が、落ち逃げる道中に振り撒く呪い。


 その手の話は枚挙まいきょいとまがない。


 自身をしいたげた世を恨む、という考え自体はわからなくもない。わからなくもないが。


 まったく関係のない命さえ呪う対象にするというのは、そう。


 その癇癪かんしゃくの度合いはまるで、


「まるで、などと言い出した大神たいしんみたいでだ」


 びきり、と比喩ひゆでなくヒビが入る音がした。〈生駒〉の憎悪で窓硝子まどガラスが割れたのだ。


「あ、朝霞様……?」


 だいいちそれを言うのなら、だ。


「――七香いいなづけを喪い、斉一ともを喪い、残った椿とももまた喪いそうな僕から……同じように大切な人を貴方がたに奪われた僕たちのこの悲しみを、よろこんだのでしょう。


 御刃おんみの復讐は、と切っ先を向ける。



「――今にも死にそうな体で良く吠えたな、朝霞神鷹。忌々いまいましいものよ。我も赦す気など毛頭ない。ない、が……我を打ち倒せばあるいは現世を元に戻せるかもしれんなあ?」


「もとよりそのつもりで来た。〈生駒〉を此処で討ち滅ぼし、あかつきを取り戻す」


「その抗いは赦す。存分にやってみよ。さぁ――」




 ――果たして、ここに現世を賭けた戦いの幕が上がる。



「さぁ、いのれやうたえ、花守ども。お前らの手に、その未来あかつきとやらが懸かっているぞ?」


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