誰がために。


 いにしえいわく。死した女神めがみとの別離べつりを惜しんだ男神おがみことわりくつがえそうとし、うつつから黄泉よもつへと渡った。結論は変わらない。死んだ妻はよみがえらなかった。変わったモノもあった。愛は憎に。美は醜に。


 ――訣別けつべつの大岩を挟んで、それぞれが誓う。


 日に千の命を殺す呪いを。


 日に千五百の命を祝うと。


 これもって、隣り合う生死ふたつは明確にへだたれた。




 /


 広間にかれた絨毯じゅうたんの赤色は、葡萄酒ぶどうしゅよりも静脈じょうみゃくの血を連想させる。上等さは以前におとずれた時のまま――静かに、靴音を殺して。


 そんな感想を朝霞あさか神鷹じんようが抱くなか――


「ようこそ、花守の諸君。神鷹殿。そして杏李あんり


 声は上から。広間を囲う階段をゆっくりと下りながら、深山みやま名護なもりは、初めてした時と変わらない穏やかさで来客を迎えた。


 とはいえいささか数が多い――生きてこの深山邸に辿り着けた者が――と思ったのは確かだ。朝霞神鷹の復帰も驚きだが、これは。


「……百鬼かれらに随分と無理をいたようだね。古谷こたにに割り当てるとは思っていたけれど、現着させるとは」


 お陰で古谷からの霊魔、そして深山にあふれた霊魔の大半がに向かってしまった。


『――――』


 。それも一瞬のこと。髪を揺らして、同じ高さまで降りてきた名護はそっと微笑む。


 神鷹は脇差〈凪風なぎかぜ〉を抜いた。杏李の手には〈無銘むめい〉が。百鬼なきりりつや他の花守は、もうそれぞれの刀霊を手にかけている。


 ――深山名護。を苦も無くしのいだ、この〈幽世かくりよ〉へと堕ちた地で、そちらにくみしたの花守。現世に相応ふさわしからぬ保持霊力と、それに反比例する脆弱ぜいじゃくな肉体は、現世ならぬこの地ではの出来といえよう。。日ノ国の帝都夕京ゆうきょうで日の目を見られなかった青年は、陽の当らないこの世界でその性能を花開いている。


 数は利にならない。


 そして圧倒的なそのを理解し、息をむなか。


「名護殿。これは〈夕京五家〉が一、朝霞の当主として問うべき言葉だ」


 タカが、毅然きぜんと口を開いた。


「なにかな、神鷹殿」


 名護が応じる。


深山影辰かげたつ殿や七香なのか……深山家につらなる花守は何処どこへ? 深山の霊脈を反転させた?」


 という『動機』ではなくという『手段』を朝霞神鷹は問う。


 霊魔へとなった死者はどれも悪辣あくらつだ。本人の自覚は関係なしに。たとえばそう、捨て猫のように。。それが、かつて共に生きた土地の人間なら尚更なおさらだ。共に戦った仲間なら尚更だ。家族であれば尚更だ。愛した者なら尚更だ。


 ――その、見知った誰かの誰とも、遭遇していない。その意味を。なかば以上解かっていて。


「君が考えている通りだよ、神鷹殿」


 果たして、名護はを認めた。


「深山本家花守の血と肉、魂を守護刀霊である〈生駒いこま〉で断つことにより、この地を現世から隔絶させた。言っておくと愉しんでなどはいないよ。ただ必要だったから、速やかにおこなった。誓って苦しませたりなどはしていないとも」


 身内を手にかけておきながら、その言葉を繰る心は表情そのままにだ。神鷹はさとる――そういう壊れ方も、あるのだと。


「そうか」


 一歩。


「では――!」


 神鷹の二歩目を止めたのは、杏李の慟哭こえだった。


「杏李」


「杏李」


 義兄と実兄。ふたりの兄の視線が、少女に流れる。


 水面に映った月が揺れるよう。黄金を瞳にたたえた侭、杏李は自身のを問いただす。


「ではどうして、私はっ……私だけがっ! 私だけを……っ」


 殺さずに、生かしたのか。


「あぁ、杏李。君は私の妹じゃないか。どうしてと言うのも妙な話だよ」


 諭す名護の声は、妹の心配をする兄そのものの色で。


「父も母も七香も、殺したくて殺したわけじゃあ、ないんだよ。霊脈を開くのに必要だったから。そうする必要があったから斬ったんだ、杏李。?」


「――――」


 つまりは、やはりのだ。のだと。


 夕京五家筆頭、深山に生まれた双子。その片方には、うつつを守護する力も、さりとて現を覆す代金にもならない。だから生かした。違う。


 香らない不実の花。


 杏李の意識が沈む。律の義憤に火が灯る。


「深山名護殿」


「あぁ、始めようか朝霞神鷹殿」


 二歩目が再開された。神域しんいきの剣と冥域めいいきの生。異なる頂上が戦サを決さんと向かい合い、


 深山名護が〈生駒〉を抜いた瞬間に、


 神鷹を除く、名護本人を含めたその場にいたすべての存在が、その事象の認識に後れを取った。


 一刀の速さはやはり人間の極致。とても目で追えたものではない。


 速度の問題ではなかった。絨毯に転がる名護の頭は、まだ思考を――『神剣、朝霞神鷹の第一刀をどう防いだものか』、そんなふうに続けている最中。


 構え。技の起こり。肉体の連動。それらをこれから行うという『意識』よりも


 朝霞流無拍子むびょうし』は、深山名護が死合に立った瞬間に、その椅子を開けた。


〈凪風〉が鞘に納まる音で、夢から覚めるように。


「貴方は杏李の兄失格だ」



 静寂せいじゃくを以て、彼の死は確定した。




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