群狼―百鬼夜行―


 花守たる百鬼なきりの屋敷にはけれど、神棚かみだな鳥居とりいも剣術道場もない。代わりに、他家にはない鍛造場たんぞうばが存在した。


 かつ遊郭街ゆうかくがいの裏。日毎ひごと夜毎よごとに鉄をつ音が、街の賑わいに隠れるように鳴ったものだ。


 数えて六十三。当世とうせい椿つばきはその音と、人々の営みと、陽と月を見ながら育った。


 百鬼家は嫡子ちゃくしが生まれると、あらたに一本の日本刀を鍛つ。そしてその子が『椿』を継ぐことに成功したのならば、代々伝わる刀霊とうれい――それぞれに宿った祖先――のいずれかと契約を結び、これを帯刀する。


 生まれた祝いに一本。呪いに一本。後者は生涯しょうがいいて現世うつしよ蔓延はびこる〈魔〉を断つ為に。


 前者はその果てに宿に、持ち続ける。


 彼が生まれた時も、一本の刀が鍛造された。


 けれど結局、彼はそれを持つことはなかった。


 契約したのは初代の『椿』……めいは〈そそぎ〉。腰にもう一本を差したのは彼が『椿』を継いでから八年後。二十歳になってからで刀霊〈薄氷うすらい〉と契約をしてからである。


 ――どうして彼が自身の魂の宿る先を持たなかったのか。ついぞそれは語られなかった。



 /


 深山みやま突入の日取りが決まった次の日の夜、自然に目を覚ました。天井はよく見知った、けれど半年ぶりの自室のそれだ。短くも睡眠の質は良かったのだろう、という自己判断。寝直すこともせずに、かたわらに置かれた二本を掴む。次いで枕元に置かれていた一箱も。


 習慣めいたよどみのない動作で、椿はふすまを開けるとそのまま屋根にへと飛び昇った。



「ふーっ……」


 紫煙を吐き出す。去年とは違い、三月の迫間の夜に虫の声は聞こえない。それでも取り戻した満天の星空と欠けた月。


 


 いつの頃からか付いたくせ。彼は夜、独りになりたがって部屋を抜け出し、こうして屋根へと昇って星を眺めるようになっていた。


 百鬼の屋敷は人間よりも刀に宿った魂の方が多い。刀霊かれらは静かなものだが、その気配の多さに何か思うことがあったのだろう、と〈雪〉は推察をする。いたことはなく、本人がそれに答えることもなんとなく想像がつかなくて。


 紙巻タバコ二本を灰にするだけの時間。彼は一言も喋らず、そうして空を眺めていた。何かを確かめるように。


 そして部屋に戻って寝直した。死体のような穏やかさだった。






 /群狼ぐんろう百鬼夜行ひゃっきやこう



 決戦前夜。丑三うしみつ時に、ソレは姿をあらわした。


 迫間区最東端さいとうたん丸奈川まながわを境に、その先は正真正銘の魔窟まくつ――古谷。


 繋ぐ橋へと進む、中心に乗物のりものを担いだ一団。一様に黒い服を着た彼らは、足元にかかったもやも相まって葬列に見える。


 乗物の傍を歩く彼の服だけが白い。頭目である彼が歩いているのならば、その中に入っているのは余程の貴人きじんか、それとも――


椿――!」


りつか」


 彼を呼ぶ声は悲鳴のようだった。葬列が止まる。


「どうした、作戦はだぞ」


「では、ではどうして椿様は、皆様は向かっているの、ですか!」


 切れ切れになった呼吸が、喋る合間に整っていく。そんな少女のをみて、椿は上々だ、と思った。口には出さない。


「ンなもん、百鬼ウチだからに決まってるだろうが」


 地続きの古谷・深山間を封鎖し、本命が本丸を落とすまでの時間を稼ぐのが百鬼一門の仕事だ。分断が早ければ早いほど、深山に突入する部隊の生存率は上がる。


 その代償がであるかを、百鬼かれら自身が誰よりも知りながら、それをとした進軍だった。


「ではどうして――! 私を、ッ」


 連れて行っては、くれないのか、と。


 九瀬くぜから百鬼へと引き取ってくれたのに、と。


「じゃあ訊くが律――お前さん、おれの為に死ねるのかい」


 問われる覚悟。見慣れたはずなのに少しも慣れない、美しくもいろの宿らない瞳。


 浮かんだ涙をぬぐって、律は顔を上げた。決意の眼差しで椿を見据みすえる。


「はい」


 淀みはなかった。偽りも。


 そのはっきりとしたこたえに椿はそっと口元を緩めた。


「……そうかい。ンじゃ猶更なおさら駄目だ」


 歩みが再開される。丸奈川を前に、その歩みのが倍を数えた。



 ――顕現けんげんする。僅か十人足らずの花守、百鬼一門の歩みに加わる、大神オオカミの群れ。


 中心で律を見ている、一際おおきな刀霊。実体なき体高たいこうがヒトの背丈を超えるの姿だけを、少女は知っていた。


 横被りの狐面。初代の『椿』。


『……当世とうぜ。ソレでは余りにも言葉が足りん。連れてかぬなら往かぬで、もう少し言葉をのこしてやれ』


「あァ?」


 その巨眼ひとみが、彼女をあわれむようで。


 椿は少し考えてから、口を開いた。


 それは、ある男のだった。


「……いいかい律。ヒトってのは何も持たずに生まれるわけじゃあない。誰もが生まれた時に、一ツのカバンを持って生まれる。鞄は風呂敷ふろしきにでも何でも置き換えていい。生まれた時に空っぽのソレに、中身をどれだけ詰め込めるか。とどのつまり。中身が善いモノだろうが悪いモノだろうが、死んだ先に持って逝けるのはその鞄一ツだ」


 人生というモノに於いて、個々人が執る選択肢の良し悪し、善悪はあくまで人間の法である。宗教の多くに『死後の安息を得る為に生前は善行を重ねろ』というものがあるが。椿は天国も地獄も無いことを知っている。


 死んだ先を良いモノにできるか、悪いモノにしてしまうか。それは自分で決めることだと。


「お前さん、精々せいぜいがこの数か月分だろう。だから連れて往かねェよ。もっと


 それが出来たのなら、と。


 ――その人生は、おまえが自分で見積もっているより安くはない、と口にして。


 立ち止まった少女を置いて、百鬼の夜行が橋を渡る。



「っ、置いて……」


 絞り出すような少女の願いは。


「いかないで、ください……」


「――悪ィが、おれの鞄はソレを入れる余分は無ェよ」


 それでも届かない。



 /


 籠の中身は貴人きじんなどではない。


 八百年、現世に湧き出た〈魔〉を討ち続けた代々の『椿』の成れの果て――数々の鬼刃きじんが入っている。


 踏み出す一歩。世界が変わる。地の底まで瘴気しょうきまみれ、呼吸ひとつ取っても誤れば死に直結する。一門にとっては都合三度目の〈幽世かくりよ〉そのものとなった世界だ。


「ま、同じ夕京ゆうきょう市内だしな。ご先祖サマのやった五十三継ごじゅうさんつぎよか余程短い」


「京都、江戸間は盛り過ぎでは?」


 百鬼のおこりは遠江とおとうみでしょうや、という一門が入れた茶々に笑う。


五月蠅うるせェなァ」


 紙巻を出す。残りは三本。一本をくわえ、それを消費するまで各々おのおのの準備時間とし。


 すでに囲まれた。沸き立つ怨嗟えんさこえは【霊境崩壊】時の迫間の比ではなく。


「六文は不要だ、総員整列なかよくならべ


 また、その口上は霊魔に対してではなく。


 そのさだめを。


 討ち取った霊魔の首で野を築く先。


 ことわりおかす一切を駆逐するまで止まれない鬼たちが、その働きに対して。



 殺到さっとう銀閃ぎんせん。霊魔の第一波をにて両断する。


「――を飾る、洒落シャレこうべとなるがいい」


 と。当主である椿が一門へ対して払うが、この口上のすべてだった。



「さァ、討怪道とうかいどうを始めよう」



 霊魔、怪異、妖、怨霊。


 あまね化生けしょうの存在がすべ御伽噺おとぎばなしになる時代が、やがて来る。


 その未来に、百鬼かれらが名を遺していなかったとしても。

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