牡丹と■■■


 霊脈を奪われた土地で、現実を保ち続けた唯一の場所なのに。どうしてか、というのが『鬼の棲む家』――百鬼なきり邸に案内されたりつの抱いた感想だった。


 退魔の椿木つばきぎ生垣いけがきの内側。半年間手つかずだったから、落ち葉も溜まり、飛び石を進んだ先の玄関もすんなりとは開かなかった、と一門の一人が言う。床には埃がっすらと積もり、雑巾がけをしなければ……なんて律自身が思うほどに、他者を拒まない空気はけれど。


 瘴気のいっさいを排した、荒れてもなければ果ててもいない其処そこは――そう。んでいるというよりも、けがれが無い、と言い換えてしまいたくなる。屋根の下なのに、冬の空を思わせる清浄性。いっそ潔癖と言った方が正しいのかもしれない。拒まれてはいない。なのになのに、だから……穢れを持って此処に来てしまった自分を、自分自身が責めている。


 当の百鬼家の人々はそんな律や深山みやま杏李あんりと同等かそれ以上の瘴気を持ち込んでおいて、そんな呵責かしゃくは知らんとばかりに淡々と……粛々しゅくしゅくと各自の作業をおこなっていた。


 空気の入れ替えのために障子しょうじを開ける者。竈門かまどまきべる者。井戸から水を運ぶ者。


 その、彼らにとっての『当たり前』は、葬式の準備を執り行うことに酷似こくじしている。感情に押し潰されるよりも、しなければならないことに対しての誠心せいしんあるいは


 気づけば二人は居間に通され、用意された囲炉裏いろりそばに座っていた。


 喧騒けんそうは無い。百鬼の一門は総数が十何名か、という規模の集団だ。ぱたぱたと屋敷を駆け回る彼らの数よりも、ずっとずっと多くの気配だけが、足を踏み入れた時から存在し続けている。


 ……名称に対して皮肉なほどの縁遠えんどおさを感じさせるその縁側えんがわに、百鬼椿つばきは座っていた。煙草タバコを指にはさみ、自宅の枯山水かれさんすいをただ、眺めている。


 視線の向こうをなぞる。その空虚さの由来を、律は唐突に理解した。


 あっても良さそうなものなのに。このお屋敷には桜がないのだ、と。


 やがて、迫間はざまに来てから初めての日暮れ。お風呂の準備ができました。夕餉ゆうげ支度したくは整いました。今夜はここでお休みください。あれよあれよという間に、時に置き去りにされたようにふたり揃って客間の布団の中に居た。


「……はっ」


 何か色々と考えていたはずなのに、何も頭に残っていない。死線を越えて、目的を一ツ達した。からだも心も休息を求めていて、今はそれを叶えても良い状況だ。現に隣の布団で杏李の寝息が聞こえてくる。


 ……もう、こよみの上では春が近いのに。奪還をしたばかりの迫間では、虫の鳴き声一ツ聞こえない。


 椿様はどうしているのだろう、と。瞳を閉じて間も無く。緩んだ緊張を見逃さず、律の意識は眠りに落とされた。



 /


 月と星の下。人々は眠り、街はもうに死んでいる。夜半、百鬼椿はなおそびえる巨大な建造物を見上げ、ごきりと首を鳴らしてから其処に踏み入った。


 常と変わらない装備。白染めの隊長服と、右鞘みぎさやの大小。洋靴どそくでの立ち入りをとがめる者など居はしない。出迎えの声さえも。


幽世かくりよ〉に堕ちてからも運用されていた館は、その補強部分が取り除かれたいま、至る部分に傷みが発生している。半日前まで死者により磨き上げられていた床はきしみ。ふすまを一ツ開いては、すぱん、と。




 ことわりの通りにに渡らなかったモノの首を飛ばしては、進む。


 半年をて、迫間は現世うつしよに取り戻された。なのに今も残っているのだから、この奪還した迫間の。数ある遊郭ゆうかくの作る、夜からさえものがれる影に潜む霊魔が居る以上――塵殺おうさつの必要性は生まれた。


 怨嗟えんさの声も歓喜の声も懇願こんがんの声も、一切を斬って捨てる。最後の衾を開いて、もう番人オニも存在しないその座敷の向こう。香る白檀びゃくだん



 。たとえソレが――


「……


「よう。そういや日に二度ってのはなかったな、富貴姫ふきひめ花魁おいらん


 誰よりも美しいと思う、幼馴染おさななじみの遊女であったとしても。



 /



「ふふ、アタシのことがそんなに恋しかった?」


 予感はあった。霊脈奪還の時、幽世へと渡るホタルのような光の中に、彼女が好んで使っていたこの白檀が香らなかった。無論、現物げんぶつを持ち込めないのが道理だけれど。


「まァな」


「あら意外。嬉しいわ? 女の子を連れて来ていないのも、加点してあげます」


 嗚呼ああ。会話が成立している。半日前との差異さいに気づいている。つまりは死んで尚……


「そりゃどうも。意外なのはおれの方だよ、お前さんが道理を踏みにじってまでのこるようには思えなかったからな」


 死者の瞳が妖艶ようえんに笑う。


「……妾としては、みんなと一緒が良かったけれど。ね、その刀を仕舞しまってくださいな。物騒ぶっそうなのはいやだわ?」


 甘えるように。


「もっと近くへ。座ってお話しましょう? 夜はもう、


 明ける日が在ることを知っていて。その霊魔は、誘うように願った。


 ――果たして、椿はそれに応じる。二刀を鞘に戻し、女霊魔の真正面に腰を下ろす。


 血脈に刻まれた本能が、いつでもせんを取れる状態に、心を置いたまま


「……なあ。だ」


 刀霊の神気と自身の霊力が合一ごういつし、月色に変わった瞳で問う。


「おしゃくも、もうできないのよね。ふぅ。せっかちな男は嫌われるわよ? 御館様。えぇと、そうそう……」


 唇に指を当ててかし仕草しぐさは、生きている時からの彼女の癖だ。


「昔、ちょっと話したでしょう? 飯番いいばんの人らが『鼠が増えて困ってる』って」


「あァ」


「猫が仕事をしないって。その話は、貴方の耳に入れておきたくて」


「もう十年も昔に聞いたし、半日前にも同じこと喋ってたぞお前さん」


「うん、うん。うれし。きちんと妾の言葉を覚えていてくれたのね。だから、そう。仕事をしなくなった、じゃないのよ」


 死んだ脳が、道理を捻じ曲げてまで思考を巡らせる。


「――んですって。最初は野良ノラを見なくなって、お客さんの飼い猫も姿を見せないって。でも猫って気まぐれでしょう? ただ、後になって思ったのよ。っておかしいな、って」


「…………」


相槌あいづち。……もぅ。きちんと話を聞いてくれているってわからないと、女は愛想あいそかすものなのよ?」


「……で? まさか猫の話する為に世を売ったっつーわけェよな」


「うん。その話をした人らね、飯番も含めて、みんな一緒の区の人なの」


「つまりはどっかで集中的に猫が減ったってか?」


「うん。覚えているかしら。古谷こたに刃傷にんしょう沙汰ざたがあった、って」


「あァ」


「猫が居なくなったのも、古谷なの。えぇと、えぇと。妾の考えを言っていーい?」


「どうぞ」


 結果は変わらない。話が終わる時は、彼女の死を改めて執行する時なのだ。


を、していたのだと思うの。まず、小さな猫から始めた。それで学んで、ヒトを殺すようになった」


「……あのなァ富貴。悪ィが警察の仕事にまで手ェ伸ばすのが花守の仕事じゃねェンだよ」


「うん。だから、貴方の……百鬼の耳には、入らなかったんだと思う。その犯人、まで、捕まったって話は聞かなかった。どころかもっと前に、成りを潜めて、みんな忘れてしまったのよね。人の噂も七十五日って言うけれど。妾は死んじゃったけど、死んでいる間に考えたわ? それでね御館様。その噂が聞かれなくなったのは、妾達が二十歳になった頃で」


 およそ一年間。ひっそりと路地裏を巡ったその、の噂はそこで途絶えたのだと。


 古谷に始まり、


「御館様が、ちょっと前」


 この、まだ平穏だった迫間で――そのが、担い手の願いごと日に、終息したのだと。


「…………おまえ」


 


「だから、丸奈川まながわの向こう……んじゃないかしら、って。



 あずさかたき。いや、百鬼椿に復讐の心は無い。ただ、それをした人物の手がかり。そして、〈薄氷うすらい〉との契約の発端ほったん


 その男。


 世がくつがえらなければ終わっていた物語の。連続殺人犯だった者が、反転した世界で生まれ変わったことを。


 ――〈魔人〉梶井かじい浩助こうすけの、断定ではないが所在している地を。



 花魁として死に、渡る道を拒んでまで。椿に情報を与える役目の方を、選んだというのか。


 そうなったら椿が自分をのかまで、解かっていながら。


「……御免なさいね。妾、アタシ、貴方を汚したくはないのに」


「…………いい。全部ゆるす。大役たいやく、ご苦労さん」


 はらはらと落ちる。何度か見たことがある。この女は、泣く時に嗚咽おえつを漏らさない。


「アタシね、ちゃんと歌も踊りも、お酌も覚えて、成ったんだよ。遊女に」


「あァ、見てきた」


「名前も、富貴姫って。同じで、嬉しかった。椿


「あァ。盛大に祝ったもんな。覚えてるよ」


「でもは、アタシを抱いてくれたのって最初の一回だけだった」


「おまえ自分の価値かってンのか? 大店おおだな連中が富貴姫目当てに一晩で幾らの金を積むって思ってンだよ。おいそれと手ェ出せるか


 花弁の最期の話だ。桜は雪のように


 椿は、枯れることをいとうように、その花を


「アタシ知ってるんだから。ねえ、雲雀ひばりもおふさも、貴方に選んで欲しかったのよ? でも貴方は知っていて、その手を取らなかった。アタシのことも。山郷さんごうの姫君が懸想けそうしてるって話も、アタシの耳には入った。連れて来た娘もそう。……ねえどうして?」


 そしてその花は、大粒の涙を流すように、


 自分だったら一番良かった。でも、自分でない誰かを選んでくれても良かった。ねたみ、そねみ、それでもその先を祝えたのだ、と。


 ――椿あなたが独りでない未来を、見られたのに。


「おれとしては、おまえがさっさと太い客に身請みうけされるか、この店の女主人にでもなる未来が欲しかったもんだが」


「……バカ。アタシ、待ってたんだよ。あの日も。夜が明けなくなってからも、ずっと」


「そりゃ悪かった。だけどさァ、。おまえみたいな、」


そそぎ〉の鯉口こいくちを切る。


 椿はかつての、この花魁がまだ少女だった頃の名前を口にして。





「――おまえらみたいない女を、百鬼おれ人生みちに付き合わせたくはねェだろうよ」


 すぱん、と。未練も情緒も感じさせない冷徹れいてつで、対峙してきた他の者たちと同じように。その死を、首を落とすことで完遂かんすいさせた。



「……ずるいひと。こういう時は、お前だって言うものよ、  さま」


 発散される瘴気。はらわれて消えてく影。



 ――半年ぶりに、迫間の遊郭を朝陽が照らす。



 椿が屋敷に戻ったのは、その後だった。




 /〈迫間獄楽浄土はざまごくらくじょうど凶原大幽郭まがつはらだいゆうかく〉了。


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