ストレイ・シープ


 かれには才がった/かった。


 努力をおこたらなかった。


 ゆえに/けれど かれは選ばれた/選ばれなかった。


 そういうさだめにじゅんじた/あらがった。


 そうして掴み取った。



【霊境崩壊】は等しく奪い去った。



 ――これは、だからそれだけの話。


 たとえそれが神為的じんいてき災害モノだったとしても。


 起こらなければ、きっとそのまま静かに終わっていたのだろう。



 /



 誰何すいかの必要はあったが(どうしてか)声に出さずに見定める。


「あぁ、あぁ! 御免ごめんなさい! どうにも舞い上がってしまって、つい」


 げんどうは一致している。歓喜にふるえるそのかおも。


 隊服ではない。花守ではない。少なくとも、号令に応じた正規の。


 見窄みすぼらしくはないが、随分といたんだ布地きじの服は、慶永けいえいの夕京にありふれた意匠いしょう


「あの、花守様ですよね? その恰好かっこう。刀も」


 重なる問いに応えない。


 ……肉体がある。瘴気にどれほど侵されているかは判別が付かないが、生きている。


 霊魔が死体を動かしているわけでもない。生ある者の息吹いぶきを感じる。


(――ならば覚醒者かくせいしゃか?)


 花守は大別たいべつして二ツのの仕方がある。


 一ツは血統。そうなった経緯はさておき、元来が花守としてその力を濃く、永く続けた結果。〈夕京五家〉が代表だ。百鬼なきりもそうだしりつの元々居た九瀬くぜも、霧原きりはら前市岡まえいちおかもそう。現在ほとんどの戦線に出ている者たちは出自として花守の血統に生まれている。


 もう一ツが、血統にらずした者。突然変異的にへと目覚めた結果。総数は前者に遠く劣るが、この霊境崩壊にあって少なくない者が花守として刀霊と契約を結んだ。……『抗体反応めいて』とは主の言葉だ。


 けれど鞘は無し。後ろ手に組んだ手の中に短刀でも握っているのか――そうあらためる必要がある、と百鬼前市岡あずさは思い、一度も外さなかった意識の先。視ていたはずの男が


「ッ!?」


「あのっ! これっ!」


 戦闘であれば致命的な機の遅れ。反射的に飛び退く梓へ、男はまるで西洋式の告白アプローチに奇襲を選んだ紳士が花束を差し出すように。


「お土産です。迫間はざまの花守様はだと聞いて」


 なまめかしくもおぞましい、女の首を、両手で。


 その瘴気の密度。どれだけ瑞々みずみずしくともこの世のモノではない。男の素性よりも余程よほど解かりやすい。まごうことなき霊魔の――


 梓の右手が踊る。男は確信に微笑む。間違いではなかったと。


 渡す為に緩められた手から、西瓜スイカが転がるように首が落ちた。


「……あれ?」


 梓にとっては当然で、彼にとっては意外な結末。すでに断たれてからった時は如何程いかほどか。転がる霊魔の首はそうなるのが摂理せつりであるかのように、ちりへとかえってった。……梓の右手は、左腰の刀の柄を掴んでいる。


 はらってから今の今までカタチを保ち続けたその瘴気密度からして大霊。その首を一刀で落としたというのなら、その技量の凄まじさは百鬼家当主か――朝霞あさか家当主に匹敵する。頼もしい限りだ。なのに全身、否。魂までもが全力で警鐘けいしょうを鳴らしている。不変の事実。霊魔をたおせるのは花守のみ。霊力を持った人間と、契約を交わした刀霊。その組み合わせのみがそれをせる。


「……あぁ。あぁ!? 成程! これはとんだ失礼をいたしました!」


 両手を結んで勢いよく頭を下げる眼前の男に。かといって居合いあい抜き撃つこともできない。生きている人間だ。それは確定している。さりとて後ろに下がることもできない。何故なぜか、


 果たして。男の中では結論が出たようだった。


「僕としたことがお恥ずかしい」


 顔だけを上げる。浮かんでいるのは照れた笑み。自身の心得こころえ違いをじている。


「刀をたずさえているとしても、花守様はお侍様ではありませんものね」


 首に価値など見出すわけがない。そもそもにして文明開化から何十年。武士などこの慶永けいえいに存在する筈がないのに、と。


 はぁ、という深いため息の後の深呼吸。


 ……そこまでを必要とした。百鬼前市岡梓が抱いた違和感と警戒心の答え。


「……本当に浮かれているな、僕は」


 自戒じかい自戒、とひとちる青年が。


「きちんと生きてる人間と半年ぶりに逢えたからって」


 あまりにも普通過ぎて。





 この――。どうして現世のちまたのように振舞ふるまうのか。


 遅きに失したが、まだ戦端せんたんを開いてはいない。


 残った疑問を置き去りに。


「〈石動いするぎ〉――!」


 居合、抜刀。常闇とこやみに銀色がひらめく。奇襲上等口上不要。男の言う通り侍などではない。百鬼一門のほまれはそんなところに置かれていない。すみやかに首を断つ。


嗚呼ああ――」


 その銀色を、ひと呼吸の間に自分の命を奪うであろうその刃を。男は確かにて。


「――――美しいなぁ」


 、上体をらしてかわしてみせた。


 爪先から背骨まで。梓の身体を寒気が駆け抜ける。反して腹は熱く。


 必殺を躱された。それよりも。そんな事実が瑣末さまつに思える程。


 いっそ澄み渡るほどに純粋なまでの〈魔〉を。最高速度で放った筈の、視認など一瞬でしかなかったおの刀霊やいば見惚みとれる男の瞳に見出して。


「もっと、」


 その右手に、刃が。


「どうして、」


 あるいは、いや。余計な思考は捨てろ。だが問わねばならない。その刃の隠し方などではなく、そのものを。


「、せて、ください――!」


「、貴様が――!」


 八年間。共に過ごしたその刀身を、見間違えるわけがない。その神気を他の刀霊と誤ることなどない。


 それは主……当世とうせい百鬼椿つばきの――


 抜き放った侭の〈石動〉を袈裟けさに振り下ろす。その瞬間にかぶさる絶望を見た。。必死の間際まぎわ記憶野きおくやが引き出したのは正月のうたげ。酒のさかな。鋭い痛みと灼熱は止めた呼吸の後。隊服ごと刀を握った右腕の上腕が。肉と袖が宙を舞う。続いて血飛沫ちしぶき。止まるな。右手が使えないのなら左手に。柄を渡す。同時に二方向から仲間が打ちかかろうとしていた。


「あ」


 /


 ぱぁん、と音が聞こえる気がしたほどに。


 それは、しゃぼん玉が弾けるさまによく似ていた。


 はじから端へ。等速で塗り替わっていく世界の眩しさに梓は思わず目を細める。劇的、つ強制的な昼夜逆転。順転したとも言えようか。


(迫間の霊脈が取り戻された――!)


 次いで遠く近くから響き渡る、木枯らしのようで地鳴りのようなこえは、迫間に巣食った霊魔の絶叫だろう。


「あ」


 その、生憎あいにくの曇天にかげった陽の下。


。では、失礼します花守様」


 唐突に動きを止めたと思えば、オジギソウのようにぺこりと頭を下げて踵を返し、百鬼邸の向こう正面……続く路地裏へと男は消えて行った。


 寸での処で一門の二人が追走しようとするのを、


「追わなくてよろしい。このまま椿様を待ちましょう」


 流れ出る血もそのままに、努めて静かに梓が止める。


(あの男……)


 一切が読めなかった。その行動規範きはんも、剣筋も。目的さえも。


「梓殿、先ずは手当てを」


「っ、お願いします。……警戒を密に。椿様が戻るまでは、」


 すべて他の者に任せて休んでしまいたいが、背筋に残った冷たさとそぎ落とされた右手の熱がそれを許してはくれない。正門の前に膝を付いて、浅い呼吸を繰り返しながら、梓は一門の仲間と共に主の帰還を待った。


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