蝶と迷い家


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 その展開は、関わった誰もの予想を裏切った。


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 ――深山みやま区、深山家本邸。


名護なもり


「――――」


 神棚に向かい、座していのりを捧げていた深山名護は、その声にまぶたを開ける。


「……何かな、〈生駒いこま〉」


『なに、迫間はざま百鬼なきりめらを迎え討たんで良いのか、とな』


 かの地の霊脈を奪還されては我らが悲願に差し支えるぞ、と刀霊〈生駒〉は続けた。


「彼らに『深山で待つ』と言ってしまったからね。たがえるのは深山家当主として良くないだろう? 迫間の霊脈から此方こちらあらわれたは相当に迫間と百鬼を恨んでいる。なにせ八百年間だったんだ。充分勝算はあるさ――それに、」


 置いた大妖たいようだけではない。確信をもって名護は微笑む。


「〈生駒〉は少し、彼を見誤っていると思うよ。夕京で勝負になるのは百鬼椿つばき、全盛期の朝霞あさか神鷹じんよう……杏李はどうかな。嗚呼ああ斉一せいいちくんがこちら側に付いてくれていれば盤石だったのに。初雨うめくんが生きていてくれればなぁ」


『……ではお前ならば? 深山名護。我が契約者よ』


さ。共に世界を変える、大切な同盟者だもの」




 /


「……これは」


 百鬼椿、百鬼りつ、深山杏李の三人が辿り着いたおくの奥。巨大な空洞。迫間大霊脈の中心。


「一体、」


 封印は解かれ、其処は確かに〈幽世〉と繋がっていた。


「どういうことだ――?」


 入り口から点々と続いていた血の道標みちしるべも確かに此処が終着であると示すように途絶えている。違いはそれが点でなく線に変わり、果ては赤黒い水溜りとして、霊脈本体である池の直前で、ぽたぽたと今も落ち続けていることか。


 ――。それは椿にして、思考に空白を生む程の衝撃であった。


 即座にめぐらす。濃厚な瘴気が空間内に満ちている。誘い込み油断させる為の罠……いや、それがることを前提に踏み入ったのだ。わば。この状況に、深山名護と刀霊〈生駒〉は何を仕込んだ――?


 他の花守の誰かが先んじて霊脈に入った? 答えは否。明白に否。迫間家が途絶えた以上、百鬼家以外で此処を知る者が居るはずが無い。その百鬼家も自分と律を除いた全員を百鬼邸へ向かわせている。独断先行をするような者は一門には居ない。


 深山名護たちがこの場所に何もしていない、というのも考えられない。此方が迫間を奪取できれば五ツの大霊脈の内、残るは深山だけとなる。迫間をらせること自体に思惑が――これも否。あまりにえきが無さ過ぎる。


 他に何か在るとすれば自分が連れている少女……深山杏李の存在。深山家として何かしらの鍵になる可能性があるか。だが花霞かすみ邸の襲撃時に杏李を連れさらわなかった時点でそこに矛盾が生じる。霊脈一ツと引き換えにするには彼女の生存は重要性に於いて釣り合いが取れていない。


 視線を少女――杏李に流す、と。


 彼女はいっそ見惚みとれるように、を凝視していた。


 視線それを追った先。今も血溜りを作り続ける源泉。


 ぽたり、ぽたりと。


 彼岸花のように行儀良く八節あしたたんだ女郎蜘蛛じょろうぐも――の霊魔。遊郭ゆうかくで遭遇した鬼同様、慶永けいえいの今となっては現世に存在をゆるされていない、の住人。瘴気の大半はコレが発生させているものだろう。


 絵巻えまきに記される怪異としての姿そのままの、巨大な蜘蛛の胴体になまめかしい遊女の上半身。


 は、やがてそう在るのが道理のように、瘴気を発散させながら消えていった。それにともなって断面からしたたり続けていた血も消える。


 ――理解する。


 障害は無かったのではない。。誰がやったのかは不明。


 そしてそれをおこなった誰かは、霊魔の代わりに霊脈を護るのでもなく、さりとて取り戻すのでもなく放置した。


 だから。


 この場所まで続いていた血の跡は。そうではなく。


 此処から始めて、


「椿様……!」


 律の声に思考をしぼる。


 違和感。


 いや、肝要かんようなのは迫間の霊脈を取り戻すこと。


 この地をうつつに戻せば、解も出るだろう。今も戦っている他の花守たちの時間をいたずらに消費するものではない。


「……あァ」


 椿はうなづき、大刀〈そそぎ〉を抜き放つ。



 神気をまとった刃を突き刺す。広がる波紋――次の瞬間、世界は再び裏返った。




 /(その瞬間の、少し前。)



 慣れ親しんだはず其処そこは、今となっては強烈な違和感と当然の安心感を同時にもたらしていた。


 迫間はざま遊郭ゆうかく区の外。ひっそりとたたずむ屋敷。


 ――百鬼なきりてい。言わずもがな、百鬼椿つばきとその一門が暮らしていた家である。


 なんてことはない平屋ひらやだ。曲がりなりにも花守の、しかも区の名にもなっている迫間家直下であり、歴史にいてはそれよりも長いくせに、道場の一ツさえ備えていない、かつて人々を享楽きょうらくに浸らせた色街の絢爛けんらんさと比べてもひどく簡素な家。敷地を囲う生垣いけがきの背は低く、正門のかんぬきは半年前のあの日に閉じたまま


 だからこその。迫間区の大霊脈が反転し、〈幽世かくりよ〉と直接繋がってしまったこの地で、。明けない夜のトバリは周囲の全てを黒く染め抜いているのに。裏返った現況げんきょうからしてみればまるで、まるで月の裏側であるかのよう。


 の世の誰にも気づかれない影。


 だからこそ。此処は百鬼の本拠地だ。へい無しほり無しやぐら無し。だからなんだというのだろう。百鬼が相手取るのはいつだってことわりの外側。世に蔓延はびこった理外の〈魔〉を討つ為に存在してきたのだ。こと屋敷単位での霊魔への防禦ぼうぎょ力は五家のそれをも上回る。……気質の問題として、あくまでもヒトへの、というモノとの同調の無さがこうして浮き彫りになっているのだが。


 ――生垣はすべて常緑。大人の背よりも低い椿木つばきぎでぐるりと屋敷を囲っている。


 武家の時代に於いてはの花。それよりいにしえから退の木として用いられてきた、この日ノ国の固有種。


 代々のおさにそれをでる趣味がないからか、花の付きどころもバラバラだ。ところどころに色づくそれは、もう三月だというのに冬が続いていることを示している。



 ……幽世に呑まれてなお、こうして変わらず佇む在り方は、うつついた世に浮かぶという、まよにも似ているな、などと思い。


 長の命に従い屋敷の周辺一帯に溢れた霊魔を討ち。たぶんそういう意味『可能ならば整えておけ』という言葉の真意を考えるに、まあ屋敷を掃除して更に時間が余っていたら茶でも沸かそうか、などと予定を頭の中で組み上げたところで。


「椿様? 随分とお早いお戻りで」


 この八年ですっかり慣れた刀霊の神気に、百鬼前市岡まえいちおかあずさは振り向いた。





 果たして。


「あっ! あぁ! ?」



 


「良かった……! 生きてる方に出逢であえて!」



 感激を隠そうともせずに笑う、よく知る神気を纏った、全く知らない青年だれかが其処に居た。




 /(その後、世界は裏返る。)


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