椿と富貴姫


 十二年間が彼のだとしたなら、その半分以上を彼女と過ごしたことになる。


 もっとも、その立場には相応の違いが在りはしたが。片や家を継ぐ者。片や売られた者。ふたりの共通項といえばそう、成れなければ終わりという、それぞれに冷淡な現実だけ。


 十年先に色恋を宿す未来を想像できない瞳の少年と、十年先に色をつやに変えていなければ摘まれる少女は。そうして大人たちの行き交う隙間で生き、学び、他愛のない――ほんとうに、両者にとって他愛のない時間を共有した。


 やがて少年は当世とうせいの『椿つばき』と成り、身の丈に合わない大刀をく。


 禿かむろの少女は芸を修め、遊女『富貴ふき』と呼ばれて客を取る。



 ……そのはからいは果たして大人たちのいきか、それとも務めだったのか。結局のところを椿は両親や迫間はざまの者たちにきはしなかった。


 元服げんぷくなど、別に祝うほどのことでもなかったろうに、と。



 ともあれ彼が彼女を抱いたのはその時くらい。あとは花守としての(当時は百鬼なきりってせずとも特に必要のない)見回りついでにとして、この遊郭ゆうかくに顔を出す程度だった。


 いつしか遊女は花魁おいらん『富貴姫』となり。椿にとっては色街で得られる重要な情報源となっていた。



 /



わりィ、遅くなったがつら見せに来たぜ、


 かつてのように軽々しく声をかけながら歩く。逢瀬おうせの礼をえて無視した距離の詰め方。当然だ。大輪なれど彼にとって彼女は蜜で誘う花ではなく。鮮やかなれど彼女にとって彼は客ではない。


 その――明確に死んでいるのになお、頬に伸ばされるあでやかな左手。


「……。ふふ、アタシのことなんてもう、忘れてしまったのかと」


 白手袋越し、感じられない熱を探そうと、頬に触れたそれに添えられる死体の手。


((――!))


 なかば反射的に、椿の後ろで少女ふたりが得物えものに手をかける――そして、止まる。


 それよりもで上に在る本能。椿の右手が、脇差うすらいの鯉口を切っていた。


 


 、と。


 情はあった。共に過ごした時間があった。


幽世かくりよ〉に呑み込まれた迫間で、時と共に生をうしない残り続ける霊なら斬らない。が垣間見えれば斬る。


飯番いいばんの人らがね、近頃ちかごろ猫が仕事をしないって愚痴ぐちを。鼠が増えて困ってるって」


 それは、椿が十七の頃に聞いたような、曖昧な記憶にある言葉だった。


 美しいままの死体は、しあわせな夢を見るように瞳を閉じて、口を開く。


古谷こたに刃傷にんしょう沙汰ざたですって。怖い、怖い。アタシに何かあったら、守ってくださる? 御館様。ふふっ」


 それは、花守が関与しない、警察の仕事だ。十九の頃。


「学校、学校。ねぇどんなところ? 若様って友達いるの? アタシ以外で」


 十三。


「質屋の旦那がね、可笑おかしいの。アタシと逢うなら奥さんを質に入れるとか」


 二十二。


「……禿かむろ雲雀ひばりっているじゃない? あの子が貴方を『不吉でおっかない』ってアタシに泣きつくんだけど。おふさは『でもちょっと格好いいよね』って。……知らない、って幸せよね。うん? えぇ、どちらもよ」


 二十四。


 都度つど、問うまでもなく応えられる。


 その悲哀ひあい。それは死ぬまでに彼に話した記憶を再生し続ける蓄音機レコードのようで。


 椿は一度瞳を閉じて、富貴姫から視線を流した。


 。おそらくは、あの瞬間ときにも彼女は変わらずこの館に居て。


 そして、反転した世界で食事をした。幽世の住人となった。


 永遠に、へだたれた。


「……霊脈に向かう。付き合わせて悪かったな、ふたりとも」


 離れる男を引き留めるように、けれども力の入らない白い指先が空を切る。


「…………ずるいひと」


「椿様――」


 その言葉は、


「いい。だ」


 彼が顔を見せ、部屋を出ていく度に、押し花のように送られるただの悪態あいさつだと。



 /


「百鬼様、その、あの」


「なンだよ歯切れ悪ィな」


 遊郭街はその目的上、京の都に似て区画が整理されている。異界化していても盤のようにきっちりとした道を、訪れた時のように迷いなく進む椿の背に、戸惑とまどいがちに深山みやま杏李あんりが声をかけた。


「霊脈を取り戻したら、その……あの方は、」


 どうなるのでしょう、と。


「富貴のことか? 幽世が現世に戻るンだ。間違いそうだが、時間なら昼前だぞ」


 影法師かげほうしの喧騒に紛れて跋扈ばっこする、根を脚にした桜木を一刀のもとに斬り伏せて。


「跡形もなく消えてくれるだろうさ。アイツに限らず、迫間で魔に堕ちず死んだ連中は。……それより覚悟しておけよ、お嬢さんがた」


 夕京ゆうきょう五大霊脈の一ツ、迫間。


 その核心に、何も用意していないはずがない。


 深山名護なもりと霊刀〈生駒いこま〉。この大霊災を引き起こした黒幕は。



 それを証明するかのよう。近づくにつれ濃くなる瘴気の向こう側。


 彼が『椿』となってから、年に一度は出向いていたそのほこら


 ――生々しくも点々と、しるべのように奥へといざなう、血液の赤。



「さァて、おにが出るかじゃが出るか」


(つばき。鬼ならさっき出た。)


 椿渾身こんしん冗句じょうくを、素でばっさりと切り捨てた〈薄氷うすらい〉の鋭さに。


 ふたりの少女は絶句して。そんなふたりに、もう一振りの刀霊そそぎは頼もしかろ? と呵呵カカと笑った。


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