陥落街と白檀



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 祭囃子まつりばやしが遠くに聞こえる。きっと気の所為せいだろう。


 皆で必死に取り戻した翁寺おうじ区。隣の山郷さんごうに連なる霊脈れいみゃくに保全され、現世うつしよに返り咲いたこの地から、繋がっている地獄――迫間はざま


 土の道路を挟んだ向こう側の地を踏み、また戻って来られた生き物はこの半年間存在しない。


 仲間と共にくぐり抜けた幾つもの死線。神職の務めとして、ただ帯刀していた頃が懐かしい……踏み込む。


 その、たったの一歩で。これまでの人生が頭の中で


 違う。


 


 瞬間に喉がカラカラに渇いてしまったのに、口の中はよだれでいっぱいだった。


 星のない夜空。振り返る。昼が在った。振り返る。生物の気配は皆無。


 爪先つまさきから脳天までを走り抜ける怖気おじけに震える――でも、かなければならない。


 想定されていた霊魔の気配はない。すっかりと馴染んでしまった刀の柄に手を掛けたまままばらな行進は始まった。


 ――祭囃子が、聞こえるんだ。


 光と影ではなく、影の濃淡のうたんだけで立体を表わす街並みは、かつてこの地で起こり、現世こちら側の敗走で終わったイクサのきずあとが残っている。


 割れた地面。崩れた家屋。折れた店屋の旗。同じ光景は何度も見てきた。翁寺でも、神守かんもりでも。この大霊災の被害を受けた土地に、無傷な場所は一ツもない。


 だから取り戻す。


 幽世かくりよ退しりぞけて。


 ひとつひとつ、復興させる。


 地面を埋め、家を建て直し、旗をまた掲げて。生き残った人々の手を借りて。また、夕京を。


 怯懦きょうだに縮んだ心を怒りで奮い立たせる。えかけた戦意を再びともし進んで往く。


 幽世の者どもの惑わしなど、そのけがれた魂ごと斬って捨てる。




 そうして主街区。半年前まで活気と快楽で埋め尽くされていた迫間吉原はざまよしわら大通りの入り口。カタチを保ったまま迎える朱色の大鳥居おおとりいの向こうに、


「あ、あ……?」


 聞こえ続ける祭囃子はでもなんでもなく。


 ホタルめいて冷たくひか提灯ちょうちんの連なりに。


 そこでいとなまれている、に。



『ダンナダンナァ イイコガ ソロッテ イルヨ ! サァ サァ!』



 ――という現実を叩きつけられ、花守かれの魂は発狂した。



 /



 半年ぶりに戻る地元は、既に異界と化していた。【霊境崩壊】以前の騒がしさを残した侭、唯々ただただ生者の居場所で無くなっている。


 皮肉な話だ、と椿つばきは思う。おそらく半年前……この百鬼なきり椿とその一門が、既に壊滅していたこの地で戦っていた頃が一番静かだったのだろう、と。


 陥落街かんらくがい・迫間凶原マガツハラ。祖先が移り住み、自身が生まれ育った街の、成れの果て。



「椿様……これは、」


 何なんですか、というりつの言葉は喉から先に出てこようとしない。これ以上口を開けば、食べた物を戻してしまうようで。


「まァ、敗ければっつー手本みてェなもんだろうよ」


 生の無い地。死者の賑わい。


 幽世とは、本来死んだ者が渡り、その後に眠る場所である。だからいささか、このいびつだろうけれど。



 それはむくろの呼び込みであったり、髑髏どくろの往来であったり、茶店の椅子に座る影だけであったり。


 いつか誰かの影法師かげほうし。生前そうしていただろう営みの続きが、そこかしこで再現されている。


 ――百鬼椿をして、どこから手を付ければ良いのか判断に迷うほど、死霊しりょうあふれかえっていた。


 それは隣の深山みやま杏李あんりも同じだった。討つべき相手が多すぎるのに、そのほとんどに敵意が宿っていない。


 いま正しきはこの地に在る死者の魂。異物は生きた侭この地に踏み込んだ我らである、と。


「……あずさ


「は」


 椿の声に応えるのは、百鬼前市岡まえいちおか梓。先の【迫間の退き口】にて迫間家の霊刀〈八雲やくも〉を持ち帰った、椿付きの一門の一人だ。


「残りのしゅうウチの様子、見て来てくれねェかな。可能なら。半年前とは状況が違ってる、無茶すンなよ」


かしこまりました。椿様は?」


 紫煙を吐き出す。だから、きっと幻覚だろう。


 鼻腔をくすぐった、白檀びゃくだんの香りは。


「……おれは先に用事を一ツ片づけてから、霊脈をりに往く。律も深山のお嬢さんも離れンなよ」


「は。……くれぐれも、お気をつけくださいますよう


 梓はそれ以上追及しなかった。椿は短くなった煙草を捨てた。



 一門と別れ、椿たちは大通りを進む。


「先にも言ったが。お前さんたち、間違っても



 世界が違っている。その中で造られた物を口にするとどうなるか。いにしえよりのことわりくつがえすことなど、神にでもできないのだから。


「しませんよ……」


「私も。喉を通る気が……」


「さて、どうだか。道理が変わっちまえば認識も変わる。存外、現世で見たらおぞましいモンが御馳走ごちそうに見えちまうかもな」


 見上げる大楼閣だいろうかくえんゆかりも大いにあるが、目的にするほど重要な場所ではない其処に。


 けれどはずせぬ用事があるあたり、未練がましい奴だと笑ってしまう。


「〈そそぎ〉、霊脈をどう見る?」


(……賢一郎けんいちろう殿も、霊魔に果ててはなかろうよ。〈生駒いこま〉の奴めが護りを置いてないとも思えぬが)


「ハッ。なんとも曖昧あいまいな話だぜ」


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