第漆話〈迫間獄楽浄土・凶原大幽郭〉

第二次丸奈奪還戦/壱

迫間へ。


 ――慶永けいえい七年三月。


 日ノ国帝都夕京ゆうきょう、その中心桜路町おうじちょうは【霊境崩壊】に遭いながらも奪還され、今また現世うつしよの中心として花守たちが集っていた。


 この桜路町皇居を中心に展開した夕京市、その五つの大霊脈。すなわ深山みやまかこい朝霞あさか山郷さんごう迫間はざま


幽世かくりよ〉の軍勢と花守たちの戦いとは、つまるところこの五つの霊脈の奪い合いだ。一時は幽世に奪われた山郷区も取り戻し、これで残るはあと二ツ。


 かねてから霊境崩壊のもくされ、霊境崩壊以降、丸奈川まながわを越えてその地を踏んだ生者の存在しない、『敵』の本拠地、深山区。


 そして――


「そう……つらい役を押し付けちゃったわね、椿つばきちゃん」


 花守隊本陣。総隊長かこい麗華れいかの前で平服する百鬼なきり椿のかたわらには、紫の浄布じょうふで包まれたきりの箱。


剥離はくりされきる前に終わらせられなかった。はらった時には消えた。すまない」


「いいの、いいの。……おもてを上げて頂戴ちょうだい、百鬼家当主、六十三代目椿殿。貴方に任せたい仕事があります」


 その、六十三という数字を声に出す瞬間。麗華は確かな苦みを覚えた。


「何なりと、総隊長」


 顔を上げる青年の瞳からは、およヒトらしい情緒が欠落している。


 百鬼家のおこりから千年。当主が『椿』を襲名するようになってからは八百年。たったそれだけの時に、。その歴史と、よわい十二にして最後の一輪となった目の前の青年に。


 霊魔へと堕ちた孫の首を落とした鬼に。その、生まれる前から知っていた子に。


 せめて斉一せいいちの分も健やかに生きて、長く生きて欲しいと願いながら。




 予てから霊境崩壊の爆心地と目され、霊境崩壊以降、丸奈川を越えてその地を踏んだ生者の存在しない、『敵』の本拠地、深山区。そして――



「……迫間家の名代みょうだいとして、迫間区の霊脈の奪還を命じます」


 ――そして、霊境崩壊に際してず堕とされ、統べていた花守が全滅し、今以いまもっなお奪還できずにいる迫間区。


 ついえた迫間家に代わり、霊脈を取り戻せと麗華は言う。


「確かにうけたまわった。では」


 立ち上がりきびすを返す椿の背を麗華は見上げる。大任にあたり、黒から白へと意匠の変わった隊服がひるがえり、陣から遠ざかっても見つめていた。


 掛けるべき言葉を、他に見つけられないまま。



 /


 廊下を足早に通る椿に、眼鏡をかけた青年が合流する。


「百鬼殿の進言の通りに、霧原きりはら君には観測をさせていませんが、先遣隊せんけんたいも出さない、とは徹底していますね」


「ああ。土地勘はおれたちの方がある。それに、羽瀬はぜも――これ以上、いたずらに戦力減らしたくねェだろう?」


 返ってきた言葉を受けて青年――花守隊参謀・羽瀬斎宮いつきは眼鏡の奥の瞳で隣をうかがう。


「それほどですか、迫間は」


「少なくとも、生きてる奴の道理が通じねェ程度にはな。で、だ」


 半年。霊境崩壊が起きてから。そして、迫間区が落ち、そこからこの青年と一門が生還してから。


「同時作戦だろ。迫間こっちが本命だが柊橋ひいらぎばしも捨て置けん。かと言って深山のお嬢さんを使えはしねェだろう? こっちはいいよ。どっちもクソに変わりはしねェが柊橋はまだ度合いがマシだし、それに」


「それに?」


「……いいや、自分で言う。じゃあな、参謀殿」


「ええ。百鬼殿もご武運を」


 椿はそのまま進む。くだんの少女をその先に認め、廊下の別れを斎宮は曲がった。



 春先とはいえ、まだ桜路町の名に相応ふさわしい桜の花はつぼんでいる。冬に比べて幾らかやわらいだ気もするが、徹夜明けの椿の目には朝陽が刺さるようで。


 意図せず藪睨やぶにらみっぽく眉を寄せた椿に、霧原灯花とうかは肩をすくませてしまった。


「あ、あの、百鬼様……?」


「ン? あぁわりィ。ちと眩しくてな。今回、迫間側は視なくていい。こっちはこっちで何とかするから柊橋を、……いや、柊橋に


「はい!?」


 逡巡しゅんじゅんの間に椿ははかりにかける。霧原灯花を前線から遠ざけた理由。その異能の有能さ。形見のように託された言葉と想い。大勢。この少女の能力を十全に活かし、情を挟むことなく戦況をかんがみれば、この少女は本陣に置き、これまでのように羽瀬斎宮と共に指揮を担わせるのが一番だが――


「奪還できてねェ場所だ。これまでと地獄度合いが違うのも確かだ。だがだからこそ居る。必ずな」


 口をついて出たのは、戦局を最重要視するのではなく。


「……春雪はるゆきかたきが。〈霧渡きりわたり〉殿なら面に覚えもあるだろうよ。は知らんが」


 あだを取れ、という、ニンゲンのような言葉だった。


「仇……雪にい様の……」


 椿には少女のいた刀からは何の声も聞こえてこない。


 去り際、その場に立った侭の少女の頭に手を置いて、椿は己の本分をしに陣を出た。



 /



「私、初めてです、車」


「わ、わたしも……」


 迫間区に隣接する翁寺おうじ区へ向かうにあたり、手配された自動車の中。深山杏李あんりと百鬼りつは早回しに過ぎ去る窓の外の風景に、同じように目を白黒させていた。


「移動の間くらい休んどけよ二人とも。特に深山のお嬢さんは寝てねェンだから」


「それは百鬼様も同じでしょう」


「椿さまもお休みください」


 後部座席から一度に返る二つの声こうして聞くと、まるで姉妹か何かのようだ、と助手席に座る椿は思いながら目を閉じる。


「……言いつけ通りにしたか?」


「食事、ですか。はい……水と、ご飯を少しだけ」


「空腹にも満腹にもするな、とおっしゃったので、はい」


 これから向かう先は、掛け値なしに現世ではない世界。なのにどうしてか、二人の少女はどこか浮足立っているかのようだった。


 この二人には何かと共通項が多い。


 たとえば。この歳になるまでろくに外の世界を知らずに生かされてきたことだとか。


「あの、椿さま……」


 おずおずと、躊躇ためらいがちに律がうかがう。


「ぁン?」


「その、迫間は、かつてはどのような場所だったんでしょうか……」


「どうって……そうさなァ」


 小さな夢を見るように。椿は奪われる前の地元を思い出す。


 常緑の生垣いけがき。静かで広く、けれど孤独ではなかった屋敷。絶えることのない賑わい。絢爛けんらんを誇る丸奈の川沿い。白檀びゃくだんの香り。


 それらはやはり椿の思い出であって。迫間区という場所を紹介するのであれば。



「――だよ。日ノ国で一番の。ンなもん誰だって知ってっだろ」


「「ゆっっっ」」



 音に聞こえし大遊郭だいゆうかく迫間吉原はざまよしわらを知らぬ者など一人とて無し。


 なんてうたい文句も通用しない。そんな事例がこんなところに二ツも在ったンだなァ、なんて。


 椿はいっそ、他人事のように考えた。それきり言葉は交わされず、沈黙の侭に自動車は翁寺を目指して進む。




 ――朝陽が遠ざかる。やがて差し込む暗闇に追想を閉じて、椿は瞳を開いた。


 三月某日、正午前。


 山郷と迫間。二つの霊脈で明確に区切られ同居するひるよる。そのいびつな光景を前にして。



 冷徹で知られる百鬼椿の顔は……うっそりと。、笑むのであった。


 その顔を、誰にも見せない侭。


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