伐神/ある黎明の前



 白く染まる吐息。からだから立ち上る蒸気は人神合一じんしんごういつの気にる。(おそれるな。)身体強化の排熱。これが百鬼ナキリ。百鬼椿つばき此方こちらを測る(おそれるな。)月色になった瞳。けた右掌。。大刀。左担ぎ。柄の先に隠れて(おそれるな。)刀身が視えない。吹き抜ける冬風に温度を感じない。死んだ脳が加速する。と警告する。迎え撃つ。受けて、断つ。『水逆月みなのさかづき』を揺らすな。繰り出される一撃はまま袈裟けさ。(おそれるな。)つまり、つまりそれは……かこい斉一せいいちを両断するにあたり、ということだ。月光。沈む体躯。来るという確信。理由は明白。『水逆月』に対して反撃を試みるということは千日手と同義。夜明けまで膠着こうちゃくを待つ? 。だから(畏れるな。)来る――畏れるな!


 /生命活動を止めた末に得た幾つもの眼球が、波紋状に打ち破られる空気の壁を視認した。後方に弾け飛ぶ庭の土が、いやに緩やかに思える。二の踏み込みへ上がる脚。構えはそのままに沈んで上がる瞳が月色の残光を引いて――その駆動が、と認識するよりも速いと知る。斉一はもう確かに死んでいると自認しているが、それでも、と加速しきったままの自身の思考に走馬灯を連想した。良い運びだ。余計な記憶の再生などらない。百鬼椿の構えから刀身を推し測れない。クソが。なんて有用な小細工。だが軌道は読めている。それしかないと結論付けている。だからあとは機。汚れきった魂から捻出される、瘴気まみれの霊力をまわす。朽ちた刀霊の刀身その隅々まで行き渡らせる。椿の洋靴ブーツが斉一の影を踏む。瞬間――


「……ッ!?」


 影が、真黒い水溜りのように、ぱしゃりと鳴った。


(これは囲の護法術……!?)


 。符ではなく影を媒体とした至近距離用、対霊結界術――!


 椿の躰が縛り付けられたように停止する。花霞かすみ邸の生存者、全員の呼吸が止まった。


 作られた明確な隙。


洒落しゃらく」


 ばちん、と紫電が弾ける。時間にして一秒未満。


「、せェェッッ!」


 踏み込んだ侭の椿の左足が更に地を強く踏み締める。硝子ガラスのように砕け散る地面と術式の残滓ざんし


 大刀〈そそぎ〉の柄が持ち上がる。みねが肩に埋まる。一瞬だけ柄を掌がパ、と放し、次には渾身こんしんで握り込まれた。振り下ろす。


 ――月光すら切り裂く百鬼の必殺を放った瞬間。椿は斉一の意図を理解した。


 秒未満の隙を穿うがつ為の一手ではなく。


 先の術は、必殺を反撃する為に設けた、機先タイミングを奪う布石――!


 認識を超えられた速度。推し測れない全霊での威力。見えない刀長。だからこそ、その機だけは逃せない。死してなお強靭たるはその自負心。


 ソレさえ得られれば受け流せる。受け流してみせる!


 二ツの刃金ハガネが夜に合わさる。


 ――果たして、百鬼椿渾身の袈裟斬りを満を持して囲斉一の黒刀が止めた/刀身を滑らせ、外へと流し、返すよりも先に胴を薙ぐ。










 。/筈なのに。


 発現うまれた視界が消え失せる。元の眼で見た眼前の幼馴染は刀を振り切った状態だった。


「……クソ。これだから、」


 動くうちに視線を横に流す。握った誰かの打刀は、一瞬前よりひたすらに軽くて、まあ当然か。目瞬まばたき一度の間の後で、


 百鬼一輪挿し、『伐神バッシン』は確かに刀霊の魂と、


 それを持つ霊魔を、一刀両断にした。


「刀霊なんてのは、


 それが、囲斉一の真実。誰が知ろうか。物心ついた時にはもう、この世ならざるモノたちの姿が視え。内に秘めた霊力は一族の歴史でも頂点に在り。〈夕京五家〉の嫡男ちゃくなんとして育ちながらも――刀霊を。


 居ることは解っていた。視えていた。知っていた。話もできた。でもさ、でもさ。。神様なんて言われてて、でも物事を考える基準がまるで人間と同じように違ってて。永く在れたら偉いとか、よくわかんないし、だいたい――


「……ボクはさ、百鬼」


「あァ」


「たぶん、心の中に他人が座る椅子ってのが、ないんじゃないかな」


「今更なに言ってンだよこの


 父上の言うことを聞いていれば、未来は明るかった。


 お婆様の事だって、歳のワリには頑張ってるし、別に早く死ねとか思わなかった。


 でも他の奴らなんてどうしたって、どうしたって同じになんて見れなかった。才能も、血筋も、学も、見てくれも、品性だって。


 だから、ああ、でも。。けど座れるヤツなんて、神様なんて曖昧な連中じゃあなくってさ。


「悪い百鬼。面倒かけた。朝霞あさかのこと、頼まれたけど」


「らしく無ェ気の回し方してンじゃあねェよ斉一。百鬼ウチはこれが仕事だし神鷹じんようも無事だ。……幼馴染だろ、気にすんな」


「うん……」


 うなづいたのが引き金となり、


(コイツ、マジでさあ……)


 完全に袈裟だと思ったし実際袈裟だったのに。刀が合わさった瞬間、外に流す力よりも強い力で内に流れて刀ごと首をねるとか。じゃない?


幽世かくりよ〉に奪われた躰がはらわれ、灰のように夜風に消えてく。現世にのこったのは首一ツ。


 あまりにも穏やかな死のかおに、朝霞神鷹はつての問いの答えが方便だったと理解する。


『どうして百鬼は霊魔の首を斬るの?』


『なんでってそりゃあ――』


 便利が良いのだと椿は言った。死者に、もう一度死を認識させることをしやすいのだと。


「椿……君は、」


 チンと鳴った納刀の鍔鳴りは、神鷹の問いを遮るように。


「……時間を喰い過ぎた。桜路おうじに急ぐぞ。深山みやまのお嬢さんはそのまま神鷹と来い。囲の婆様に斉一の事ついでに、ソイツの寝床を何処にするか相談する」


 黎明れいめいは遠く。いまだ奪われた侭の東の空は、朝日の出現を本来よりも遅らせている。


 椿は煙草タバコを銜え、紫煙を吐き出す。……ことほか、苦いと思いながら。


「……ッつったが。さてどう帳尻合わせたもんかなあ」





 ――花霞邸襲撃事件は此処に幕を下ろす。数多の死者、霊魔を出したこの一件から僅か数刻後。


 迫間はざま区の奪還作戦が開始される。




 そこには、何事もなかったように百鬼椿と深山杏李あんりの姿が在った。




 /〈花霞邸襲撃事件〉了。

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