不知底井/仇花


 地を蹴りながら、かこい斉一せいいち青眼せいがんに構えた日本刀の切っ先が上がる。最小動作での上段、袈裟けさ斬りへの変更。


 対する百鬼なきり椿つばき大刀そそぎの鞘を右手に握り、左てのひらを柄に乗せたまま迎え撃つ。


「シィッッ!」


「――――」


 駆動のは斉一の方が速かった――それでいてなお、椿の抜き打ちが。一足一刀の距離。その一足が踏み出された瞬間。斉一の肘が肩まで上がった瞬間に、打刀うちがたなよりも刀身の長さでまさる大刀が肘ごと首をねる――


 朝霞あさか神鷹じんよう深山みやま杏李あんりは共に目をいた。……理由は違えどどちらも等しく、真逆まさか、と。


(斉一が、)(百鬼様が、)


 だなんて――!


 当事者たちの驚愕きょうがくは二人のそれを遥かに超える。


 あと一歩。踏み出した筈だ。踏み込ませた筈だ。


 なのに、そのあと一歩の距離が


 鞘から抜かれた大刀は月光に濡れて光り、中空に。


 振り降ろされた打刀は影のように黒く染まり、地面を見つめている。


「――おい」


 斉一がはらの底から湧き上がる怨嗟えんさって問いただした。


 確かにボクは踏み出した。なのに踏み込めなかった。ゆるせない。


「まさかもう死んでいるってのに、、オマエ――!」


 自らの足を縫い留めた瘴気に。のっぺりと斉一をかたどったそのと、


「それでも神なのかよッッ! おいッッ!!!」


 そうしてかつての主共々ともども霊魔へと堕して尚、刀身に宿った魂とやらが我が身可愛さに怖気付いたというその怯惰。到底赦せるものではなかった。


当世とうぜまずいぞ。)


「……あァ、ンなこと言われなくったって判ってる」


そそぎ〉の声にぶっきらぼうに応える椿には、けれど余裕など全くない。先の不発に終わった一合で、そんなものはすべて使い切らされていた。


「もういいよ、オマエ。も知らない刀霊と何ができるって言うんだ。ははは、いや、ウチの刀とだってなんにもできなかったけどさあ! ……そうだよ。何がカミサマだよ。刀なんてもともと、じゃないか」


 斉一は天を仰ぐ。汚れきった霊力が腕から刀に伝い――ばちん、と。何かが事切れる音がした。



「あーあーあーあー。こんなことなら支給品サーベルで良かったんだ。……悪いな百鬼、しらけさせちゃってさ」


 囲斉一の剣に迷いなど無かった。冴え渡った剣筋に在ったのはただ、油断と慢心だけ。それを――嗚呼ああ、あとほんの少しで、はらえたのに。


 斉一が月から視線を落とした。


「それにしても、なに百鬼。いつもは手ェ抜いてやってたってワケ? 違うか……腹立つなあほんとさあ。ムシみたいな眼ェしちゃってさ、。そっかそっかそっか。ボクにも朝霞にも負けてて、まったく悔しそうな顔しないワケだ、ははは。オマエやっぱりイカれてるよ。言っちゃ悪いけどボクは莫迦バカじゃないけどさ、死ななきゃ解からないこともあるんだなって――だからなんだろ?」


 交差する視線。その、今まで向けられたことのない、椿からの意思――混じり気無しの純粋なに。


現世うつしよに生きてる間は、どんな悪党だってオマエが関心を向けることなんてない。逆に言えばどんな善人も――んだろ?」


 手にした刀の抱いた恐怖に。


 斉一は、死していっそう壮絶となったその美貌びぼうを、いっそ乙女のようにほころばせた。


 ざあ、と砂利を滑る右足は後ろに。右半身はんみに突きを掲げるその構えこそ、囲流の真骨頂――『水逆月みなのさかづき』。


 囲家の剣術は護りに特化している。術式もだが、花守の長〈夕京五家〉として霊魔から現世を、ひいてはその身を護るという点にいては他家の追随を許さない。


 いわく。『大海知れど、井の深さは未だれず』


 例外は、既に人の域を超えた剣技を持つ朝霞神鷹か――


 どの道、囲の鉄壁を抜かないことには次は無い。人の身など対霊戦では不利に尽きる。刀霊の在る無しなど何が問題か。……人間は、刀で斬られれば死ぬのだから。その刀身に瘴気――毒でも宿っていれば釣りが来る。


「来いよ百鬼。それとも悩んでくれちゃってるワケ?」


「莫ァ迦。お前さんの首を持ってって、バァ様に何て言おうか考えてンだよ」


 言葉と鞘を放り、今度は椿が駆け出した。距離はすぐに詰まる。あまりにも無造作な斬りかかり。だがこの場の誰もが知っている。それは常に必殺であると。


 霊気と瘴気が紫電を散らす。打刀の腹で斬撃を逸らし、後手に回った斉一が突きを繰り出す。渾身の反撃が、けれど椿の頬を僅かに裂くのみでかわされた。次の一合は下から上。最短距離を戻った斉一の刀が椿の切り上げの軌道をまたしても逸らす。開いたたい逆月さかづきが奔る――決まった。


「がッ!?」


 ご、という鈍い音。


 不意に斉一の頭がった。


「百鬼様っ!?」


 杏李の声は悲鳴に近い。神鷹に至っては声も出なかった。


「おま、百鬼、」


 をそのままに、剣の間合いの内側で百鬼椿のが囲斉一の腹で爆ぜた。


(……当世、無茶が過ぎるぞ。)


「だぁってろ。不意打ちならかく、剣の技で囲斉一に勝てるわきゃ無ェだろうが」


 。それで祓えるのなら花守など不要だろう。なにより瘴気の塊である霊魔に素手で触れること自体が自殺行為でさえある。事実、痛みと衝撃はあっても斉一の死には何一つ届かない。だが――


「ま、ならこういう手もある。命懸けてンのにまだ上乗せしなきゃいけねェのが難ありだが」



「……百鬼家は、特別剣術に優れている、とは言えない」


 神鷹の独白めいた呟き。


 花守は、契約した刀霊と共に霊魔を討つ。故に、花守が修める剣の腕はそのまま霊魔を斬る実力に直結すると言っても過言ではない。


 だが百鬼家はその不文律を笑うかのように、剣術らしいが数えるほどしか無い。


「ただ、そう。百鬼は……椿は、霊魔を殺すのが


 。過去千年から慶永けいえいの今まで、怪異を殺すことしかしてこなかった一族。


「ナ、キ、リィ……!」


 再び構えを取る斉一。直接の死因となった肩口の傷に、今度は一挙手一投足も見逃さぬ、と無数の目玉が生まれ、ぎょろりと椿を見た。


「おーおー。なってきたじゃあねェか」


 軽口を叩く一方で、椿の瞳はその様を検分する……それこそ、思考ではなく実動のみの蟲のように感情無く。


 目の前の霊魔に、何ができて、何ができないのか。


 どの手なら通じるのか。


 首の痣が朱に染まって尚、身体に循環する霊気に淀みは無い。


 開いた間合いに、果たして見出した勝機。百鬼の剣。


「……六文は不要だ、囲斉一」



 大刀を左肩に担いだそれが、攻略の出来ていない『水逆月』に挑む、『一輪挿し』の神髄。


 椿の霊気と〈そそぎ〉の神気が合一ごういつする。


 いわく。『大海知れど、井の深さは未だれず』



 例外は、既に人の域を超えた剣技を持つ朝霞神鷹か――


 ――或いは、現世に血を紡ぐひとでなしか。



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