一輪挿し


 ――死を直感する。臆病な心臓がどくん、と鳴って。


 そのまま、鼓動をめた。人体の中身になど特段興味なかったけれど。自分の骨を断ち、肉を裂いてこの心臓を割った刃の冷たさを客観的に検分している。


 ああ、これは助からないな、と。


「「     」」


 こんなにも唐突に、瞬間的に終わるものなのだろうか。耳は既に拾ったモノを音声と認識していない。おかしいな、家族みんなで祖父を看取った時、彼はもう少し緩やかに死んでいったのに。


 目は開けているはずなのに真っ暗。


 なるほど、これは死んでいる。ああでも待って欲しい。どうして死んでいるのにこうやって意識が続いているのだろうか。或いはこの状態こそがその、俗に言うというヤツなのか。歩いた覚えもなければ、河を渡った覚えもない。真っ黒な視界の中で、けれど自分はどこにもけていないという確信がある。


 死んでいる。死んでいる。死んでいる。死んでいるのに。まだ続く。終わっているのに旅立てない。割れた心臓かじつへ後入れされる蜜。これは毒だ。あるいはおり。選別をせずに詰め込まれ煮込まれ凝縮された負の感情。常世とこよに持ち込むには苦すぎる味。嗚呼ああだからこそこんなにも惜しく、渇き、求めるのか。液体のような気体で、その実どちらでもない非現実の不物体。それが、流れてこぼれる筈の血液を止め、代わりに血管を我が物顔で循環している。



 ――瞬間、死体かれの意識は反転かくせいした。


「調子に――」


 死の確定から数秒しか経っていないにも関わらず失われた体温。冷たい両腕が伸びあがる。


「――乗てんじゃあないよ、この三下ァ!」


 自分をあやめた花守れいまの頭を掴み、そのまままわしてごきりと折った。こんなのはただの八つ当たりだと理解している。こんなものでは


 業腹ごうはらで仕方ないが、自分にはソレを行えない。刀は肩から鎖骨を割り心臓まで達しているにも関わらず、どうして左腕までもが動いたのか――死体かれはその、条理が起こした不具合をまだ不問にしたまま。


「ほら、百鬼なきり


 蹴り込んで渡す。戻った視界は暗くて。花守の死体のせいで百鬼椿の顔は確認できていなかったが、きっと半回転した死体と目が合ったりもしただろう。とくに、どうとでもないことだけれど。


 意を汲んだ椿はままに脇差を閃かせ、捻じれた首を切って落とす。


 くずおれる霊魔。遮られていた視線が交差する。


「……おい、かこいボン


「なんだよ。きちんとできただろ、ボクは」


「全ッッ然できてェだろうが。なに勝手な真似しておっんでンだよ」


「ホントそれ。あーあー陛下のめいじゃなきゃ絶対断ってた。


 胸に残った刀を引き抜く……返り血は、仕上げ油のように刃へと貼り付き、滴ることをしなかった。


 彼は。


 かこい斉一せいいちは、契約者共々死んだ刀を握り込み、一度だけ振り返った。


「斉一……?」


 脇差を構えた深山みやま杏李あんりの後ろで、朝霞あさか神鷹じんようが息をむ気配がした。


 それは、、と。


 少女の身に起こったような奇跡にすがってもいるようで、吐き気がする。今すぐ殺してやりたい。この女ごと。そもそもボクが死んだのだって朝霞オマエがポンコツ過ぎるからであってだね?


辛気臭しんきくさっ。場所変えようぜ百鬼。庭でいいよな?」


 その提案。霊魔へとした囲斉一を、百鬼椿はこの瞬間にもしなければならない。その身に重ねた血が本能がそうしろと言っている。


 歩き出す。初動。右手の中で脇差〈薄氷うすらい〉がくるりと回る。そのまま――


「……あぁ、先行ってろ」


 。道を譲る。斉一は確かな足取りで廊下へと出て行った。


 気づけば死体だらけの花霞かすみ邸。この神鷹の部屋にも争いの跡と首の落ちた死体が転がっている。


 その中で椿は、大刀も鞘に戻して空けた手に、今度は煙草タバコを持って火をともす。


 久方ぶりに親友の部屋で吸う煙は、思いのほか苦かった。


「……百鬼様、お煙草は」


「今の状況よりさわるもんがるか?」


 深山杏李の苦言を一息で封殺し、神鷹へと視線を投げた。


「椿、斉一は」


「あぁ、


「椿は、斉一を」


「あぁ、


 つっても一筋縄にはいかねェだろうけど、と毒づいて。椿は隊服の右腰から鞘を一本外して神鷹へと放った。


(つばき……?)


「神鷹を頼むわ、〈薄氷〉。深山のお嬢さんも、ソイツから離れンじゃねェぞ」


 踵を返す。紫煙を引き連れて、椿も庭へと歩いて行く。



「杏李……肩を貸してくれ」


「朝霞様、それは、」


 起き上がり、洋寝具ベッドから降りようとする神鷹に杏李が駆け寄る。


「頼む。僕は――見届けなきゃ、駄目なんだ」




 /


 ふたりが外に出ると、月光の下で、ふたりは対峙していた。


 囲斉一と向き合う百鬼椿の左手には、大刀〈そそぎ〉。


 本来。歴代の百鬼家当主『椿』は二本を差し、を使う。


 当主が普段差しているもう一本には通常、宿だ。


うち〉の他に〈薄氷そと〉を使うことは異例とさえ言える。


 故に、迫間はざまでは今の椿が過去の椿を持つ姿をこう言った。


『椿の一輪挿し』と。




「気分はどうだ、霊魔せいいち


「最悪だよ、花守なきり。なんでアイツら来ちゃってんの?」


「知るかよンなもん」


 応酬は常のような口の軽さで。


 けれど次には立ち上る瘴気と霊気が冬の花霞邸を更に冷え込ませた。


 励起れいきし、収斂しゅうれんする。



 ――囲斉一の踏み込みを皮切りに、今宵こよい最後の死闘の火蓋が切って落とされた。

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