不知大海/反転


 ――物心ついた時にはもう、がこの世のモノではないことを理解していた。


 触れられず、見えぬ者には一生見えないことも。善良かどうかは個々に違い、やはり道理もこの世のそれとは違っていることも。


 その、世界の均衡を保つのが一族の使命だと教わった。自分には才能があるとも。


 たがえばはらう。そうして続いてきたのだと。



 でもさ、ここまではオマエだって似たようなもんだったじゃないか。



 /



 部屋の間取りそのままに四方を囲った結界の中で、かこい斉一せいいちは外側の死闘を眺めている。


 顔見知りや、あるいはそれ以上の付き合いになっているかもしれない、同じ戦サ場を戦い抜いた花守たちの首を一刀で落とす百鬼なきり椿つばきを。


 着物を赤黒い返り血で染める深山みやま杏李あんりを。


 まるで、時代活劇を一等席の距離なのに立ち見しているような不快さで。


朝霞あさかさ」


 同じく戦いを見つめている、ベッドの上の朝霞神鷹じんようへと。視線をらずに言葉を投げた。


「オマエもアレとやり合ったの?」


 アレ、とはすなわち花守が死んで霊魔に堕ちた者。


 ヒトのカタチを象った霊魔とは違う、生きていた人間のむくろを。


 殺したことが、あるのかと。


「……あるよ。山郷さんごうで。他にも、奥まで進んだ隊士を呼び戻しに行った時とか……」


 間に合わずになった者たちを。


 神鷹は頷いた。


「で、どうだった?」


「……どうって、なんだ」


「どんな気分だったかって聞いてんの」


「……良いわけ、ないだろう、そんなの」


「ま、フツーはそうだよな、じゃあさ」


 その行為そのものが、いちじるしく魂を削る。


「アイツらは、どうなんだろうな」


 神気の残滓ざんしを死にかけのやどに宿した少女と。


 斬り落とした怪異の首で野を築いたとされる一族の傑作と。


「ボクなら、どうだったんだろうな」


 それを眺める――人間だったモノが首を断たれる瞬間を見ても――感慨の浮かばない斉一じぶんを。


「…………適任だったん、だけどなあ」


 他者を虐げることを、何とも思えないのなら。友人作りなんて、ろくにできなかった自分なら。


 それは、この様変わりしたちまたでこそ活きる優位性だったのに、と。


 室内灯が作る自分の影に目を落とし、その胸中を吐露した。


 


「!?」


 ふつふつと、影は立体を持たないのに泡を作っては弾け、床に伸びた影がぎょろりと眼球を幾つも剥き出し、斉一を見つめている。


(結界の内側……侵入された!? いや、――!)


 主の危機に敏感に反応した《無銘むめい》の神気が少女の躰を躍らせる。


 花霞かすみ邸の廊下を駆け、三歩で部屋まで到達し、そして


「ッ、朝霞さ……ッ!?」


 


 


『つばき!』


「チッ」


 半瞬遅れて、百鬼椿が《薄氷うすらい》の声で異常に気付く。なんてことだ。あまりに弱くて気づかなかった霊魔の気配。


 そして、朝霞神鷹を堕とすには十分すぎるその瘴気。


「斉一ッ!」


「斉一!」


 洋寝具ベッドの上で神鷹と斉一の影が重なる。眼球が神鷹の影にも現れる。駄目だ、られる――!


 その刹那、囲斉一の行動は即断つ的確だった。神鷹の寝布シーツを掴み真上に引き上げる。


 そして結界を解いた。当然だ。どれだけ弱い霊魔であろうと、またどれだけ願おうと。最も近くにいる、それが可能な杏李を部屋に入れる為に。


「杏李、駄目だ!?」


 残る花守の死体に宿った霊魔は一ツ。自分の真後ろに迫っていたソレを意に介さず部屋へと踏み込み、影の霊魔へ斬撃を放つ少女。椿はあと二歩。


(あぁ、くそ。)


 どうして、大した家柄でもないし、死んでまでこうやって人様に迷惑を掛けるようなヤツが花守になって。


 どうしてボクでは駄目なのか。目の前の死体がと思いながら、斉一は杏李と入れ違いに、刀を振りかぶって迫る花守れいまに自分と軍刀サーベルをその間に捻じ込んだ。


 。朝霞神鷹の冴え渡るような神域の剣よりも。百鬼椿の獣に似た瞬発と比べるとあまりにも粗末な霊魔の動き。


 霊力を巡らせる。強化された身体能力が後より仕掛けて先に届かせる。軍刀サーベルの刃は一刀で雑な上段に構えられた手首を断ち、返す刀で胴を分断わかつ。


「…………くそ」


 肉を斬り、骨を断つ感触に嫌悪はやはり浮かばない。一度死んでいるとはいえ、同じ肉を持った人間を殺めても。


 


 既に死体はこの世の道理で動いていない。斬られた腕と胴の断面はそのまま、血液の代わりに循環する瘴気が繋ぎ、行動を完遂させる。


 もう死んでいるくせに。こんなにも活き活きと。


「どうして斬れてくれないんだよ」


 そして斉一は、ずぶりと自分の肩に埋まる、刃金はがねの嘆きを聞いた。


「「斉一ィッッ!」」


 傷口から瘴気が流れ込む。やがて視界は黒く染まり――


五月蠅うるさいな……聞こえてるって」


 後悔はある。こんな女、別に庇う必要なかったじゃんか。ちょっとでもたせれば百鬼が追い付いて終わらせただろうし。


「ごぼっ。でもさ。げほっ」


 出来ないって言われても、真似事でも、やっぱりなってみたかったんだよ。


 花守ってやつに。


 なりたかった自分に。


 くそ。



 ――そして、囲斉一の命は反転した。


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